調剤薬局物語vol.5-2〜トンカツ屋さんは忙しい〜後編(1750字あとがき含む)
トンカツ屋さんは忙しい(後編)
「ところで……さっき、少し咳されてましたよね」
食後のコーヒーをいただきながら、タイミングを見計らって、白石は声をかけた。
間も無く休憩に入る時間、他の客ももう誰もいなかった。

店主はふっと眉を上げ、手を止めた。
「……まあ、たまにな。吸入、出たからやっとるけどな」
「もしかして、薬……今回が初めてですか?」
白石の問いに、清元さんは数秒黙ったあと、少し視線を落とした。
「……ああ、そうや。ほんまは、初めてや。
せやけどあのとき、急いどったし、なんや……人前で使い方とか言われるの、ちょっと、なあ」
白石はうなずいた。わかる。
急いでいる時、人目が気になる時、薬の説明なんて後回しにしたくなる気持ち。
「そうですよね。毎日、お忙しいですよね。もしよかったら、今ここで確認だけさせてもらえませんか?」
清元さんは少し戸惑った顔をしたあと、ポケットから吸入器を取り出した。
「これや。こんなふうにやっとる。」
一連の動作を見て、白石はやさしく言った。
「惜しいです。あとちょっと、って感じですね。
薬がちゃんと肺に届いてないかもしれません。せっかくの薬なので、もったいないです」
「……そっか。ちゃんとできとる思てたけどな。
これまでも、咳はずっと出とるし、こんなもんやろ、とおもてたわ。」
白石は、吸入器を手に取りながら、ゆっくりと説明をはじめた。
デバイスのセットの仕方、吸うタイミング、姿勢、持ち方、息の使い方......
清元さんは黙ってうなずきながら、もう一度、吸入器を手に取った。
「……これで、ええか?」
上手く吸えている。
「はい、それでバッチリです。ちゃんと肺まで届いてると思います。
あ、あと最後にひとつだけ、吸入のあとは、必ずうがいをしてくださいね。」
「うがい……?」
「はい。口の中に薬が残ると、声がかすれてしまったり、カビが生えてしまったりすることがあるんです。
吸入するのとと同じくらい、うがいも大事なんですよ」
「はあ……それは知らんかったわ。教えてもらってよかったわ。」
白石は笑った。
「この間、ちゃんと説明してますよ。」
「ほんまか?全然覚えてないわ。」
清元さんも笑った。
「吸入薬って、正しく使えるとすごく効果が出るんです。
困ったことがあったら、またいつでも聞いてください。」
清元さんは伝票を受け取りながら、小さく頷いた。
「今度はちゃんと説明聞くわ。せっかくもらった薬やのに、うまく使えんかったら意味ないわな。」
白石も笑い返した。
「ほんと、そうですよ。今日は、美味しいトンカツのおかげでいい時間をもらいました」
「あっ、あんちゃん、これ持って帰ってや。」
清元さんが手渡してくれたのは、油紙の袋に入った2つのコロッケだった。
「えっ、いいんですか?なんか申し訳ないです。」
「ええに決まっとるやろ。それ持ってはよかえり。」
その言い方が白石には心地良かった。
「わかりました。遠慮なくいただきますね。
この美味しいトンカツ食べに、また来ます。」
そう言って白石が外に出ると、陽はまだ高く、店の前には揚げ油の甘い香りがふわりと漂っていた。
……薬を届けるだけが薬剤師の仕事じゃない。
伝えることで、その人の暮らしの一部に、そっと入り込むことができる。
それが、ほんとうに患者さんの役に立つことができる瞬間だ。
(第六話へつづく)
〜あとがき〜
ほんと美味しいトンカツでした。
写真でわかるように、衣の色が薄いです。低温でじっくり揚げているようです。
最初に、パッと見た印象ではこんがりとした、狐色の方が美味しそうに見えるなあ、と思っていました。
人間の食欲を司る部分は、もうすっかりメイラード反応に支配されているのかもしれません。
しかし食べてみると、本当に美味しいトンカツでした。分厚いのに柔らかく、簡単に噛み切ることができます。そして、ジューシーで油の甘味を感じることのできる、まさにこだわりのトンカツでした。
店主の方も、小説とは違って気さくな感じでした。でも店内の内装や、目の前に並べられた何種類もの岩塩、そういったものを見ていると、自分なりのこだわりを持ってらっしゃるのがひしひしと伝わります。
ああ、また食べに行きたいなぁ😆
