ショートショート15(ファンタジー編).かまいたちの嘆く夜
かまいたちの嘆く夜
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颯太の右手の指先に、小さな傷ができていた。
血はほとんど出ていないけれど、スパッと綺麗に切れている。
昨日転んだ時にできた傷だろうか。
「また転んだの?」
お母さんが洗濯物を干しながら、心配そうに言った。
「わかんない。そうかもしれないけど、気づいたらできてた。血もあんまり出てないけど、少しヒリヒリするから、絆創膏貼っておいたらいい?」
「そうね、綺麗に手を洗っておいで。お母さんが絆創膏、貼ってあげるから。ほんと、毎日やんちゃね」
お母さんは笑いながら言ったが、少しだけ心配そうな顔をしている。
その時、おばあちゃんが台所から静かに声をかけてきた。
「きっとかまいたちの仕業じゃの。」
お母さんは「そう言えばおばあちゃん、昔もそんな話をしてくれたことあったわね。すっかり忘れてたわ。」と笑いながら言った。
おばあちゃんは颯太を見つめながら、ゆっくりとした調子で話し始めた。
「かまいたちってのは、三匹一組で風の中におる妖怪じゃ。お前のその傷、もしかしたら、かまいたちがつけたんじゃないかの。」
颯太は興味津々で耳を傾けた。
「三匹?それってどういうこと?」
おばあちゃんは穏やかに説明を始めた。
「かまいたちはな、三兄弟なんじゃ。ひとりはお前を転ばせる。もうひとりは、その傷をつける役目を持ってる。そして最後のひとりは、その傷口に薬を塗る役目じゃ。」
颯太は少し驚いたように目を見開いた。
「転ばせる?傷をつける?しかも、薬をつけるって?だったら最初から傷をつけなければいいのに。それって…どうして?」
おばあちゃんは少し考えてから答えた。
「なんだろの。おばあちゃんにはわからん。いいもんか悪いもんかもわからん。そういうものがおる、ってだけの話や。でも、かまいたちの話をするもんも、とんとおらんようになったの。
「ぼくも初めて聞いたよ。」颯太が言った。
おばあちゃんが続ける。
「妖怪はその存在を忘れられた時に消えてしまうと聞いたことがある。かまいたちも、もうほとんど忘れられてしまって、今はもう、ただの風になってしまったものも多いかもしらんの。」
颯太はじっとその話を聞いていた。
「名前を忘れられたら、消えてしまうの?」
おばあちゃんはゆっくりうなずいた。
「そうじゃ。名前を呼ばれなくなったら、ただの風に過ぎなくなる。その存在を誰も覚えてくれなくなったら、風になって消えていくんじゃ」
颯太は心の中でその言葉がずっと響いた。
「じゃあ、僕も…名前を忘れられたら、消えてしまうのかな」
おばあちゃんは少しの間黙って、颯太をじっと見つめていた。
「忘れられたら、消えてしまう。そんな妖怪もおる。
それでももし、颯太がかまいたちのことを忘れたくない、と思ったとしたら、その気持ちがとっても大切なことなんじゃ。その気持ちがある限り、かまいたちはどっかにおるんじゃないかとおばあちゃんは思っとる。
そして、颯太のことじゃが、おばあちゃんは颯太のことが大好きだし、絶対に忘れたくないと思っとる。その思いを颯太も忘れないでいて欲しいんじゃ。」
颯太は少し、くすぐったいような嬉しいような気持ちになった。
......その夜、颯太は布団の中で眠れずにいた。
外からは、風の音が聞こえる。
「かまいたちって、本当にいるのかな」
颯太は心の中でつぶやいた。
風が、まるで小さく答えるように響いた。
颯太は目を開け、布団から出ると、窓を少し開けてみた。
冷たい風が頬をなでた。
「颯太」
心の中で誰かが呼ぶ声が聞こえる気がする。すると少しだけ気持ちが落ち着いた。
絆創膏を貼った指のヒリヒリは、もう治っていたが、颯太はもう一度、かまいたち三兄弟のことを思い出していた。
その時、風が少しだけ強く吹いたような気がした。
............
流れる風の中で、かまいたち三兄弟が話していた。
「久しぶりに俺たちのことを思い出してくれた人間がいたな。」
「そうだな。俺たちの仲間もだいぶ減っちまったが、こうやってたまに名前を呼んでくれる人間がいる。」
「俺たちは人間にとっては、ただのやっかいな妖怪かもしらんが、たまにはこうやって名前を呼んでもらいたいもんだな。」
「ははは、勝手なもんだな、人間を傷つけておいて。」
「まあ、いいんじゃねえの。俺たちはただの妖怪なんだから。そんなもんさ。」
風がくるくるくる、っと回った。
(了)
