体育会系合気道㉑ーチカラより名誉より大切なものー
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このごろは、わたしは新しい技や慣れない技を掛け稽古(ひとりずつ技を掛けていく)するときには、掛ける側(仕手)より、受け手のほうをよくみて、さきに習得しようとしていた。
そうすると、仕手側には上手い練習になる。まず、教室に馴染むにはそのほうがいいと思っていたからだ。
謙虚にまわりのことを考えながらやっていきたい。
それでも、上川さんは、なにかいうかもしれないが、知らん。
そんななかで、今度は、十月の演武会で、わたしと主人は「ファミリー演武」に出場することになった。三分間の技の披露をする。
先生は、去年、わたしがかつての実家のほうのひとたちに会い、リンチに遭ったのをかすかに憶えている。実家のほうのひとたちは、特に新しく引っ越してきたひとたちは、割と新しいことしか知らない。家の裏のお爺さんが、躁病気味でうるさくて、それでわたしとトラブルになった過去があるのを知らない。
わたしは、両親と話し合い、「実家を離れたい」といったのだが、大学生にもなる娘をそのまま実家に住まわせて、執念深いそのお爺さんが腹立ち紛れに嫌がらせをさせるがままにした。
年取ってからの執念深さは、やめてほしい。特に自制心もなく嫌がらせの毎日だったから、わたしは実家にいても我慢しかなかった。自制心のない、執念深い大人は困る。
実家のほうの近所のわたしの悪い評判のほうを信じているひとは多い。
近年、実家の飼い犬を散歩させに帰ったとき、毎朝、わたしと顔を合わせると、土産物を持たせてくれた近所の方が大勢いてくださって、わたしがバッシングを受けてばかりでなかったことを知った。
久々に帰ったわたしをみて、「立派になって帰ってきた」と、目で語っていた大人たちをみて、世のなかには味方と敵という別の側面を持ったひとがいるのだな、と思った。
ひとは、みてないようでみていた。(よく我慢している)と、みていてくれたのだ。近所付き合いのほとんどない街だったが。
反対に、わたしも血の気が多いのをやめなければならない。
わたしが、小学生のときも、網元の娘が飼い犬にコショウや塩を効かせたひどい食べ物を食べさせようとするのを咎めたら、その娘に四年間も村八分にされた。
こないだの入院のときも、似たことがあった。
いいよ。わたしは、いま、とてもあたたかい家族に囲まれている。もう、わたしから裏切らない。たとえ、まえに離婚しようと思ったときより悪くなっても、わたしは離れない。ほんとうにわたしを愛でてくれる。愛で愛で(めでめで)してくれる。
家族に嵐が吹いて、違う側面をみせても、それはときとともにまた変わるかもしれない。
それは、調理補助の仕事をしていたときさんざん経験した。
ひとの心で、良き部分を引き出すのは当人。ひとの心は自分次第なのだ。
上川さんは、どうなるのだろう。期待しないけど。
*人名は、すべて仮名です。
つづく
©️2026.8.6.山田えみこ
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