世界遺産と「西洋建築史」②|ローマ建築
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今回はローマ建築について深掘っていきます!
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ローマの歴史概説
ローマの地には紀元前8世紀頃に、ローマ市が誕生して以降、王政、共和制を経て、ローマ帝国が滅びる3~5世紀まで文化と歴史のメインホールであり続けました。
それまでエトルリア人の支配下にあったものの、地中海沿岸を次々と制圧し巨大国家へと成長していきました。
帝政になってからは五賢帝の「パクス=ロマーナ」の時代やディオクレティアヌス帝の盛期など安定した時代を築きました。
313年にコンスタンティヌス帝は「ミラノ勅令」を発し、キリスト教を公認し、これ以降キリスト教の地位は確かなものとなり、建築にもその様が見られるようになります。
しかし、395年にローマ帝国は東西に分割され、その後衰退の道をたどることとなります。
ローマ建築の特徴
ギリシア建築を芸術的規範として受け継ぎつつ独自に発展させたローマ建築は、円形闘技場や公共浴場、水道橋などの公共施設が特徴です。
アーチ構造やドーム天井など、高い土木・建築技術を伺うことができます。
「アッピア街道:レジーナ・ヴィアルム(街道の女王)」に代表されるローマ道は堅固な石畳で軍隊の移動や公共便のために使われました。
水道も都市に引かれ、「ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)」や、「セゴビアの旧市街とローマ水道橋」の水道橋が名高いです。

公共建築にもローマ人の意匠が詰まっており、「ローマの歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂」のコロッセウムや、パンテオン、「エル・ジェムの円形闘技場」などに顕著に見られる。
ローマの住宅は、アトリウムと呼ばれる天窓のある広間とペリスタイルという列柱廊中庭が軸線上に並べられ、その周囲に個室が配されるとう構造をとった。
これらはヴェスヴィオ山の噴火により街全体が飲み込まれた「ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区」の遺跡から当時の様子を伺えます。

キリスト教建築の黎明
また人が集まる空間を目的としたバシリカは、後の聖堂建築の基本構造となりました。
バシリカは建物が縦に長い構造が特徴で、アプス(半円の祭壇がある場所)をもち、この構造はミサに多くの信徒が参加するのに適した構造でした。
「ヴァティカン市国」のサン・ピエトロ大聖堂は現在は2代目であり、初代の聖堂はバシリカ式教会堂の典型で、側廊2列の5廊式の平面構造を採用しています。
16世紀に2代目に建て替える際の資金繰りに苦労した教皇庁が免罪符を発行したことが宗教改革へつながったことはよく知られたエピソードでしょう。

バシリカ構造の典型であるとともに、アプスも正面に見られる
いかがでしたでしょうか。
次回はビザンツ建築について取り上げます!
お楽しみに!
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参考文献
