世界遺産と「西洋建築史」③|ビザンツ建築
こんにちは。
今回はビザンツ建築について解説します!
この時代からキリスト教の影響が強く見られるようになります。
その黎明を見届けましょう!!!
前回記事↓
東ローマ帝国の趨勢
330年、コンスタンティノープルは東ローマ帝国(後のビザンツ帝国:395~1453)の首都となり、ローマとは異なる文化を形成していきました。
アナトリア(現トルコ)でローマの建築技術と東方文化が結びついて発展し、ビザンツ建築は教会堂を中心に発展することとなり、煉瓦建築が発展しました。
バシリカ式や集中式、十字架式などの聖堂建築にドーム天井を融合させた点や、華麗な内装が特徴でイスラム建築にも影響を与えたことも留意しておく必要があります。

イスタンブールにおけるビザンツ
世界遺産「イスタンブルの歴史地区」のハギア・ソフィアでは、中央に巨大なドームを架け、その前後に半円ドームを、さらにその周囲に大小のドームを架けることによって、バシリカ式と集中式の融合を果たしました。
そしてこの方法は、ビザンツ建築独特の手法となりました。
東ローマ帝国のキリスト教は、帝国崩壊後も、ギリシア正教、ロシア正教などにその系譜が受け継がれ広範に広がっていきます。

他の地域に見られるビザンツ
ところ変わってイタリアの「ラヴェンナの初期キリスト教建造物群」では、ユスティニアヌス帝時代の初期キリスト教の造詣が多く残り、色大理石や色ガラスで作られたモザイク装飾の優美さを目にすることができます。
ジョージアの「ゲラティ修道院」は神学の中心地のビザンツ様式の聖堂が残っており、1994年の世界遺産登録時には「バグラティ大聖堂とゲラティ修道院」として登録されていましたが、大聖堂で行われた再建工事が真正性を損なうものであったため構成遺産が削除され、「ゲラティ修道院」単体での登録に変更されたという世界遺産として重大なアクシデントがありました。
そのためこれ以降の世界遺産登録では、より真正性を重視した政策が模索されるようになりました。
次回はいよいよキリスト教中心の建築様式が覇権を握る時代となります。
ロマネスク建築編をお楽しみに!!!
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参考文献
