後発のコインは何を積み、何を借りるのか 〜読まれない証明〜 仮想通貨とは第6稿
前回、最初の一個という椅子は一脚しかなく、もう埋まっている、と書きました。
それでも、新しいコインは毎日生まれています。集計サイトに載るだけで万の単位、載らないものを含めれば誰にも数えられない。椅子が埋まっていると知りながら、いや、たぶん知らないまま、後発は次々に部屋へ入ってくる。彼らは何を持って席を取りに来るのか。今回は理屈の話の締めくくりとして、後発の積み荷を見ます。
三つの積み荷
後発が値段を作るために積めるものは、突き詰めれば三つしかありません。
一つ目は、物語。有名人が付いている、国を立て直す、新時代の金融だ。第2回で見た、いちばん厄介な燃料です。
二つ目は、幻想。物語より一段構造化された、これから起きることの設計図です。いずれ大手の取引所に上場する。持っていれば特典が配られる。関連する銘柄が次々に生まれ、経済圏になる。まだ起きていない未来の予定として語られるのが特徴で、物語が過去と現在を語るのに対し、幻想は未来だけを語ります。ちなみに、発行と同時に国内の取引所で売り出される形、いわゆるIEOと呼ばれる狭き門を通ったコインは、制度が始まってから累計でも一桁台しかありません。幻想の代表格である「上場したら」は、統計としては宝くじ側の数字です。
三つ目は、信用。約束を守ってきた実績、生きてきた年数、開示してきた履歴。前回ビットコインの側で見た、あの積み荷です。
三つとも値段を支えます。ただし、性質がまるで違う。そして後発の運命は、この三つの性質の差で、ほとんど決まってしまいます。
序列は逆さになる
三つを、作るのが簡単な順に並べます。物語、幻想、信用。
物語は一晩で作れます。言葉だけなら無料です。幻想は少し手間が掛かる。設計図の体裁と、実現しそうな気配が要る。信用は、作れません。積むしかない。約束して、守って、時間が経つのを待つ以外に、手に入れる方法がない。
今度は、値段を支える力が長持ちする順に並べます。信用、幻想、物語。
物語は着火が最速で、寿命が最短です。反証された瞬間に死ぬ。関わっていたはずの本人が否定すれば、一晩で終わる。幻想はもう少し持ちます。まだ起きていないことは、嘘だと証明できないからです。実現を先送りしている限り死なない。ただし先送りには限度があって、いずれ「で、結局いつ」が来る。信用だけが、蓄積で強くなり、時間に削られない。
お分かりでしょうか。簡単に積める順と、効く順が、逆さになっています。
後発には時間がありません。信用を積むには年数が要り、年数だけは買えない。だから後発は、いちばん効く積み荷を持てないまま、いちばん安い物語と、二番目に安い幻想で船を出します。着火は速い。だから初動は派手に上がる。そして寿命が短い。だから派手に死ぬ。後発ほど鋭く上がって鋭く落ちる、という値動きの形は、気まぐれではなく、積み荷の物理です。おまけに、初動の急騰それ自体が、第2回で見たスリルの層を呼び寄せる餌になる。派手に上がった実績が次の買いを呼び、次の買いがさらに派手な上がり方を作る。物語で点いた火に、射幸が薪をくべる循環です。
借りた信用
抜け道が、一つだけあります。自分で積めないなら、借りればいい。
有名人の名前を看板に載せる。実績のある発行の仕組みに乗る。外部の審査を通る。どれも、他人が年数を掛けて積んだ信用を、自分の船に積み替える行為です。賢いやり方で、実際、後発で生き残る数少ない船は、たいていこれをやっています。
ただし、借り物には借り物の物理があります。貸し手が傷つけば、借り手も一緒に沈む。看板にした有名人が別の騒動で信用を落とせば、船は何もしていないのに浸水します。自前の信用は自分の行いだけで守れますが、借りた信用は貸し手の行いに運命を預けている。逆の流れもあります。借りた船が騒動を起こせば、名前を貸した側の看板が汚れる。信用の貸し借りは、沈むときだけ双方向なのです。金利のない借金ほど、返済の形が見えないものです。
椅子のない部屋
ふつう、こういう話は茨の道と呼ばれます。険しいが、越えれば報われる道、と。
正確ではないと思います。茨の道なら、努力の量で越えられる人が増える。この部屋はそうではありません。最初の一個の椅子は一脚で、もう埋まっている。裏付けの型と実需の型の席も、それぞれ数えるほどしかない。残りの万の単位は、物語と幻想の寿命が尽きるまでの時間を、席のない部屋で立って過ごしている。
努力が足りないのではなく、座る椅子が最初からない。茨の道というより、椅子が数脚しかない部屋に、毎日数百人が入ってくる椅子取りゲームです。しかも音楽は、物語の寿命という形で、銘柄ごとに違うタイミングで止まる。そして本物の椅子取りゲームと同じで、音楽が鳴っている間は、誰も座ろうとしません。鳴っているうちに降りるのは損だ、と全員が思っている。止まってから慌てるまでが、ゲームの仕様です。
読まれない証明
さて、理屈の話の最後に、いちばん奇妙な現象を書きます。
地を這った無数のコインは、この構造の証明です。生き残りが例外で、死が正常。データは毎日更新されていて、誰でも見られる。第4回で書いたとおり、死の大半は犯罪ですらなく、ただの失敗です。積むべき信用を積む時間がないまま、物語の寿命が尽きた。それだけの死が、部屋の床に万の単位で積んである。
それなのに、新しい船は減りません。
理由は、人がひとつの成功だけを見るからです。宝くじの当選者を見て宝くじは儲かると思う、あの錯覚。生存者バイアスと呼ばれる、目の錯覚の一種です。無数の死は目に入らず、一個の生存だけが輝いて見える。死屍の山は教訓にならないどころか、山が高いほど「これだけ挑戦者がいるなら本物だ」という燃料にすらなる。そして山を越えて入ってくる全員が、同じことを思っています。自分のは違う、と。錯覚は統計の顔をしていません。いつも一人称の顔で来ます。
死屍累々は、警告として機能しない警告です。証明は毎日積み上がり、毎日読まれない。読まれないから、部屋には今日も新しい船が入ってくる。この市場でいちばん確かなことは、値段の行方ではなく、この光景が明日も繰り返されることのほうだと、僕は思っています。
理屈の話は、ここまでです。物差しは揃いました。四つの買い手、三本の線、三つの崩れ方、四本の柱、三つの積み荷。次回からは、この物差しを持って、名前のある実例を見に行きます。最初は、政治家の名前を冠した二つのコインです。片方は名前の主に拒まれ、片方は名前の主が自ら担ぎました。
僕の口座にも、借りた物語で値段がついているコインが並んでいます。誰から借りているのかは、次回から名前で書きます。
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