見出し画像

おっくんの思考デッサン|マンガ鑑賞編2枚目

希望は、人を生かす。でも時々、壊す。

『カイジ』や『アカギ』を読んでいると、人間って本当に”希望”で動く生き物なんだなと思う。

あと少し。
次こそ。
ここでやめたら、今までが無駄になる。

そうやって、人は崖の縁まで歩いていく。

昔は、それを「愚かさ」だと思っていた。

なんでやめないんだろう、と。

でも少しずつ、見え方が変わってきた。

あれは単なる欲望じゃない。たぶん、生存本能に近い。

人間は「まだ助かるかもしれない」と思うから動ける。完全に絶望したら、その場で
止まってしまう。

だから希望は、本来は生きるために必要な機能なんだと思う。

ただ、極限状態では、その仕様が逆回転することがある。

『カイジ』では、「ここで取り返せる」という希望が、逆に判断を濁らせていく。

損切りできない。引き返せない。認められない。

希望に縋るほど、視野が狭くなる。

『アカギ』は、少し違う。

アカギは生に執着していないように見える。

だから、恐怖で視野が縮まらない。

普通の人間なら「失いたくない」が先に来る場面で、異様なほど静かだ。

昔はただの天才だと思っていた。

でも最近は、「恐怖による判断汚染が少ない人間」に見える。

ただ、普通の人間はたぶん、
アカギにはなれない。

僕もなれない。怖いし、失いたくないし、できれば安全でいたい。それが普通なんだと思う。

だからむしろ最近は、アカギみたいな”超人”より、『ゴルゴ13』の方が現実の参考になる気がしている。

ゴルゴは、感情を捨てているわけじゃない。

「人間は必ず揺れる」という前提で動いている。

疲労、焦り、裏切り、油断、恐怖——そういう”人間のノイズ”込みで、崩れないように設計している。

たぶん現代社会も、少し似ている。

天敵に食われることは少なくなった。でも今度は、現状維持や慣れや先延ばしや「まだ大丈夫」という感覚が、静かに判断を鈍らせる。

変化した方がいいのに、変われない。
壊れかけているのに、止まれない。

希望の逆回転は、ギャンブル場だけで起きているわけじゃない。

だから最近は、「自分はどういう時に判断を濁らせるのか」を観測することが、結構大事なんじゃないかと思っている。

強くなるより先に。

カイジやアカギを読んでいて、たぶん僕が一番見ていたのは、勝負そのものじゃなかった。

そこに露出する、“人間の基本設計”だったのかもしれない。

(2026/5/29執筆)

次の記事

シリーズ一覧はこちら

いいなと思ったら応援しよう!