おっくんの思考デッサン|マンガ鑑賞編3枚目
人は、組織の中で少しずつ変わっていく。
『サラリーマン金太郎』を読んでいると、時々、少し苦しくなる。
ああいう主人公は、現実にはなかなか存在できないからだ。
金太郎は無茶苦茶な男だと思う。
でも同時に、成果を出すことも、人として筋を通すことも、世話になった人に報いることも、自分の信念を曲げないことも、全部やろうとする。
たぶん現実の組織では、これを全部守るのはかなり難しい。
仕事をしていると、どこかで必ず、優先順位を迫られる。
成果を取れば、誰かにしわ寄せが行く。
空気を守れば、現場が疲弊する。信念を通せば、組織から浮く。
逆に、適応しすぎると、少しずつ自分が
削れていく。
だから最近は、金太郎を読んでいて「すごい主人公だ」というより、「こう在れたらいいのに」という、願望に近いものを感じる。
たぶん人間は、組織の中で少しずつ
変わっていく。
最初から悪人になるわけじゃない。
ただ、波風を立てない、評価を落とさない、嫌われない、面倒を避ける——を繰り返しているうちに、判断基準が少しずつズレていく。
怖いのは、その変化がかなり”自然”なことだ。
人間は所属から完全には逃げられない。
集団の空気を読む、周囲に適応する、評価を気にする——それ自体は生存本能に近い。
だから、組織に染まること自体を、単純に責める気にはなれない。
でも同時に、時々すごく怖くなる。
「自分は、いつまで自分の違和感を覚えていられるんだろう」と。
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津は、めちゃくちゃな人間だけど、妙に”外側”を嗅ぐ。
制度の穴、時代の欲望、流行、人間の浅ましさ、そして自分自身の欲望。全部、隠さずそのまま出してくる。
だからこち亀を読んでいると、ギャグ漫画というより「日本社会の定点観測記録」みたいに感じる時がある。
時代が変わっても、人間の欲は形が変わるだけで、そんなに変わらない。
たぶん僕は、組織そのものが嫌いなんじゃない。
人が、考えることをやめていく瞬間が怖いんだと思う。空気に合わせて、疑わなくなって、自分で判断しなくなる。
それが続くと、違和感そのものが消えていく。
だから時々、金太郎みたいな人間を見ると、少し眩しく感じる。
現実には、あんなふうには生きられない。
でも全部は無理だとしても、「どこだけは譲らないか」を持ち続けることは、たぶん大事
なんだと思う。
組織の中で生きるなら、なおさら。
(2026/5/29執筆)
