「信者系新書」という存在が映し出す出版社のレーベル投資(その2)
グレシャムの法則とレーベル資産の「減価償却」
だが、目先の確実な売上と引き換えに、出版社は取り返しのつかないものを削り取っているのではないかという疑問が頭をよぎる。
「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則がある。粗悪な貨幣と良質な貨幣が同じ額面で流通すると、人々は良貨を手元に蓄え、市場には悪貨ばかりが出回るという現象だ。出版企画の中で、確実な資金回収を期待して、悪貨的な企画ばかりが通るようになって、老舗新書レーベルの性格が大きく変容してしまうのかもしれない、
そのような変容の結果、同じレーベルの棚に「良質な教養書」と「信者向けファングッズ」が野放図に同居したとき、一般読者は次第にレーベル全体の信用に疑問を抱く。どれがアタリでどれがハズレか分からない棚から読者が静かに足を洗えば、短期的なキャッシュフローのために歴史と信用という「良貨」を磨り減らす結果になりかねない。
構造的に言えば、出版社は長年培ってきた「ブランドという無形資産」を、信者系新書という即効性のあるコンテンツを通じて「減価償却」し、短期的な現金を回収している状態と言える。
ブランド資産を取り崩して利益を得ること自体はビジネスの手法だが、再投資を怠ったまま資産を摩耗し続ければ、いずれその老舗新書というフォーマットそのものの威信が底をつき、一般読者の離脱という形で自滅への道を辿ることになる恐れを持たざるを得ない。
超長期投資としての「良貨の再投入」
他方で、出版現場もただ過去の威光を切り売りして手をこまねいているわけではない。
たとえば中公新書のような歴史ある老舗レーベルでは、過去の名著とされる旧刊の電子書籍化に合わせて、版面の質を上げて、再刊・復刊する丁寧な試みが広がっている。これは出版社側がみずからのアイデンティティを再認識し、長年培ってきた「良質なるもの」を自覚的に現代の市場へ再投入する動きと言えるだろう。
ここで重要なのは、信者系新書によって回収された短期的なキャッシュが、実はこうした「回収に時間のかかる長期的・超長期的な投資」を支えているという側面だ。
重厚な学術書や歴史的名著の復刊といった仕事は、投資した資金が回収されるまでに数年から数十年、あるいはそれ以上の時間を要する「超長期債券」のようなものである。即効性のある売上で出版社の経営基盤を支え、そこで得た体力を糧にして回収期間の長い「本物の教養」へと資金を還元していく。この還流構造が存在するならば、二つの極端なコンテンツの同居もまた、出版文化を持続させるための一つのエコシステムと見なすことができる。
共存のためのポートフォリオ管理
そもそも、ファンビジネスとしての収益性と、教養書としての格式や尊厳は、必ずしも二者択一の敵対関係にあるわけではない。異なる性質を持つものが同一のプラットフォーム上に同居すること自体は、現代メディアの避けられない宿命でもある。
要は、「どちらか一方を選択するか」という単純な二元論ではなく、その「配合と配分(ポートフォリオ)」の問題なのだ。
信者系新書という「ブランド資産の減価償却(即効性の現金回収)」と、名著復刊や学術的教養という「超長期的な再投資」。この質の異なる二つの文化的テイストと経済ロジックを、同じ一つのレーベルという枠組みの中で、どのようなバランスと自制心をもって共存させられるのか。
「新書」という伝統あるフォーマットは今、多様化する読者層と厳しい出版不況を抱え込みながら、そのブランドの包容力と編集者の高度なポートフォリオ管理能力そのものを試されているのかもしれない。
<全体目次>
本棚に漂う違和感の正体
なぜ単行本ではなく「老舗新書」なのか
グレシャムの法則とレーベル資産の「減価償却」
超長期投資としての「良貨の再投入」
共存のためのポートフォリオ管理
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