人事を動かす者たち
喫煙所に技術部VPのゲオルグがきた。
「あなたが動いたんですね」
もちろん何のことかわかっているが、とぼけた。
「何のことですか?」
「Maeda-sanの件ですよ」
「ベノワから聞きましたか」
「いえ。ベノワは本人の希望としか言いませんでした」
「なら、そういうことなのでは?」
「R&D技術開発チーム。ガビですか」
「・・・」
「得体の知れない若者の才を見抜く。いかにも彼女らしい」
ゲオルグはVPだけあって、様々な情報源をもっているのだろう。
「ゲオルグ。あなたの了承を得るべきでしたか」
「当然でしょう。これは越権行為ですよ」
「それはすみませんでした」
「それより、なぜですか?」
切り換えが速い。
技術部のヘッドらしい。
どう答えようか。
前田が技術部で孤立していたから、と言ったら、ベノワの気遣いが台無しになる。
「彼は、新しい時代のエンジニアだと思います」
「それはどのような?」
「技術以外の関心と思考に長けている。既存の技術より新たなテクノロジーの開発にこそ活きる人材でしょう」
「ミスターファイナンスがよくおっしゃる(苦笑)」
「あなたも気づいていたのでしょ」
「お互い、50を過ぎると人をみるようになりますな」
「ははは。私はもう数字を見るのをやめました」
「私も、技術だけ見ていればいい立場ではありません」
少しの間、ふたりでアルプスを眺めていた。
ゲオルグは去りながら言った。
「また技術部にも顔を出してください」
ふー。
危なかった。
この件で禍がシネムに飛び火するのは避けたい。
R&D技術開発チームのリーダーは、ガビというDirectorである。
彼女は、前田の加入を二つ返事で受けてくれた。
そのお礼も兼ね、ガビのオフィスに立ち寄った。
「Hallo, 〇〇〇! Wie geht’s?」
「Gut, danke. Und dir?」
こういうとき、ドイツ語習っといてよかったな、と思う。
もうほとんど忘れていて、簡単な会話しかできないのだが、それができるとできないのとでは雲泥の違いがある。
フランス人がフランス語に誇りをもっている話はよく聞くが、ドイツ人のドイツ語に対するこだわりはそれ以上かもしれない。
ゲオルグもドイツ人だが、ジュネーヴ本社勤務が長いせいか、ほとんどドイツ語を話さない。
ガビはドイツ工場出身。元同僚ともつながっているから、自然にドイツ語が出てくる。
英語に疲れたときに聞くドイツ語は、私も嫌いではない。
「Maeda-sanおもしろいわー」
とガビは言った。
ふむ。やはりガビに託して正解だったかな。
「彼さぁ、全部一人でやろうとするんだよね」
ガビはにやにやしながら言った。
げっ。あいつ学んでないのか。
「そういうとこ、私は好きだな」
ほう。ガビとウマが合ったか。
「ガビはそういうタイプじゃないよね」
「Genau. 私は一人じゃ何もできない。Maeda-sanは誰も頼ろうとしない」
「そこが彼の弱みだと思うんだけど」
「Nein. 開発には向いてるのよ。誰とも議論しないことが」
深いな。深すぎて底が見えない。
でも、なんとなくガビの言うことはわかる気もした。
「それにMaeda-san、ドイツ語勉強してるんだよ!」
前田らしい。
上司に気に入られるためとかではなく、純粋な好奇心で学んでいるのだろう。
ガビに感謝を伝えにきたのに、逆に感謝されている。
なんだろう、どこか引っかかる。
ゲオルグの言葉を思い出した。
「得体の知れない若者の才を見抜く。いかにも彼女らしい」
もしや、彼は知っていた?
ガビならゲオルグに筋を通しているに違いない。
知っていて止めなかったのか。
まあそんな大人たちの舞台裏など前田は知らなくていい。
当面、遠いほうの喫煙所に行くとするか。
(次回)
(前回)
