前田さんと飲んだら、知的な若者の本音が見えた
「〇〇さん、飲みに行きませんか?」
と、前田さんが言った。
20代の若者に誘われることなどそうそうない。
じつは、私のほうが前田さんと飲んでみたいと思っていた。
しかし、私は年下を誘わないと決めている。
まさか、彼のほうから誘ってくるとはね。
「いいですねぇ」
「今日、これからどうです?」
ふっ。
強引な感じがまったくしない。ごく自然だ。
おそらく彼は、私の性格を読んでいる。
「いつ空いてますか?」
など言おうものなら、
「いつも空いてるよ。今から行く?」
と私が答えるのを見越しているのかもしれない。
行きつけのスペインバルに行った。
世間話はそこそこに、私は正直に訊いた。
「リース会計の話をしましたよね。どうしてそんなに詳しいんですか?」
「僕はエンジニアなので、機械が相手です。機械を理解するために、それが財務諸表でどう表記されるのか知っておくべきだと思いました」
こんなことを言うエンジニアを私は知らない。
ある意味、優等生的な答えではある。
知りたいから勉強しただけ。逆に不気味だ。
まあそれはいい。
もっと不可解だったこと。
「ムラブリ族なんて相当マニアックだと思うんだけど、なんでそんな論文を読んだんですか?」
「僕は理系ですが、本当に興味があるのは言語学で。人と社会と言語の関係を理解したくて、文献を漁っていたらその論文に辿り着きました。たまたまですよ」
「たまたま」ではなかろう。
知の冒険には際限がない。
行き着くところは誰も知らない領域にもなるのだ。
自分から誘うくらいなので、飲める人だとは思ったが、前田さんは見た目に反して相当呑む。しかも酔わない。
赤ワインのボトルが2本空いた。
「映画好きなんですか?」
と訊いてみた。
「好きですね。とくにSFアニメです。映画じゃないですけど、魚豊の『チ。』とか好きでした」
なーんだ、それを早く言えよ。
こないだの返答は『ひゃくえむ。』でよかったんじゃないか。
案外、普通の20代男子なのか。
「そういえば、プルリブス観ましたよ」
「もう全部観たんですか」
「ええ。とても面白かったので」
「どんなところが?」
「キャロル・スターカのキャラが最高でしたね(笑)」
ほう。
私と同じことを感じたか。
「50代の女性って魅力的だなぁと感じました」
そこかよ!
君は年増好きなのか?
まあでも面白い。このまま続けよう。
「キャロルの歳は明示されていなかったと思いますが」
「キャロルを演じたレイ・シーホーンという役者さんです。彼女、53歳なんですよ」
やっぱりそういうこと調べちゃう人なのね。
「53には見えなかったな」
「僕はむしろ、完璧な53歳を演じていると思いました。今どきの50代女性はセックスアピールもハンパないですから」
ドラマのテーマについて語るのかと思いきや、女優の魅力を語るとは。
やはりこの男、あなどれん。
前田さんの輪郭が少しずつ見えてきた。
私生活のことも訊いていいかな。
「休みの日は何してるんですか?」
「妻の仕事を手伝っています」
「奥様は何をされてる方?」
「ファッションデザイナーです。僕より忙しい人です(笑)」
この話題はやめよう。
服を作りたかったけど売る人になった私の妻の話に飛び火しそうだ。
空気を察したのか、彼は話題を変えてきた。
「〇〇さんはどうしてこの会社で働いているんですか?」
まいったな。
やっぱりそういうことを訊いてくるタイプだったか。
この会社に入った経緯を訊いているわけではないのだろう。
ちょっと彼の本音を引き出してみたくなった。
わざとあいまいに答えてやろう。
「競争しなくていいから、かな」
「あぁ・・・。やっぱり〇〇さんに勝てる人いないんですね」
そうとったか(違)
返しがさらに難しくなっているぞ。
「私は何ももってないよ。各部門のエキスパートたちに何一つ勝てない」
「それでも勝っている気がします」
「どうしてそう思うのかな」
「わかりません。でもそれが知りたいんです」
彼が何に引っかかっているのか、だんだんわかってきた。
「前田さんは勝ちたいですか?」
「仕事で勝つより、人として勝ちたいと思います」
「あなたは誰にも負けてないと思いますけど」
彼は、しばし黙った。
「たぶん、部内でもそう思われています」
本音きた。
「でも勝てている気がしない?」
「僕は、ほとんどの人と距離をとってしまうんですよね」
「ほとんどの人が取るに足らない人間だから?」
彼は苦笑した。
「はっきりおっしゃいますね。でも、〇〇さんもそういう人なのかな、と思いました」
「うん。そういう人だった」
「だった・・・」
「たくさんの人を遠ざけたり、傷つけてもきた」
「今は、どう変わったんですか?」
その問いには答えないでおいた。
私が答えるべきじゃない気がした。
たぶんあなたは、私より早く気づく。
(次回)
(前回)
