消費されるあなたへ
Xのフォロワーが1.4万人。 noteのフォロワーが1,200人。
これは、3年以上SNSで発信し続けた結果だ。
じゃあ、同じように3年以上活動しているのに、数字が伸びていない人はダメなのか?
ダメじゃない。
むしろ、私よりずっと仕組み化されている人の方が多い。 最近、そのことに気がついた。
数字があるのに、私は何かを見失っている。 SNSという大きな箱の中で、静かに消費されている。
高輪ゲートウェイにて
先日、広報営業担当の田畑さなえさんと、高輪ゲートウェイで「壁打ち」をした。

さらにその夜、マーブルコミュニティのライター交流会のあと、閉店間際のカフェでも、また彼女と話し込んだ。気づけば一日中、一緒にいた。

そもそも、さなえさんとは何者か。
今年知り合った。東京に住む私が大阪へ行ったとき、ご縁でオフ会に来てくれた。第一印象は、笑い声。あの笑い声が、印象的だった。
彼女には軸がある。中小企業支援という、ぶれない発信を持っている。
何度か話すうちに、私のインスピレーションが動いた。「手伝ってくれませんか?」と打診したら、快諾してくれた。契約書を結んだとき、また思った。私は、ご縁で拡大している。
書籍もそうだった。新しい仕事もそうだった。完璧な計画より先に、ご縁が動く。そうやって、支流が増えてきた。
そんな彼女と壁打ちを重ねて、Instagramアカウントを作った。名前は語るみち。
2人の商品の、発信の場所として。
そのとき、彼女にこう言われた。
「消費される側になってない?ポジション確立しないと。」
正直に言う。私はこういう話が苦手だ。
「何かの役割を担う」ということが、怖い。 承認欲求のかたまりのように見られているかもしれない私が、実は臆病者だということを、知られたくない。
それに
もし自分が誰かに影響を与えて、その人が潰れてしまったら?
その恐怖が、私を動けなくさせる。
そのとき、ふと思った。
私って、お人好しなのかな?
正直に言えば、嫌われたくない。嫌われることが怖い。いや、もっと正確に言うと
人より承認欲求が高いのだと思う。
でも、それって結局、「いい人止まり」なんだよね。
たしかコミュニケーションの本にも書いてあった。嫌われることを恐れて、好かれようとし続ける人は、「いい人」にはなれても、「信頼される人」にはなれない、と。
さなえさんに言われて、揺れた。 私って、何をしたい人なんだろう?
なぜそんなに怖いのか。
私は発達障害だ。書籍の一冊は、そのまま『発達障害のよりみちが、それでも生きる理由。』というタイトルになった。編集担当にこう言われた。
「あなたが生きているかぎり、続編が書けますね。」
確かに、と思った。
本来、障害開示は仕事依頼を求めている人はしない方がいい。
なぜか。当たり前だ。障害のある人に、企業が仕事を依頼したいと思うか?怖いと感じるのが当然だ。ビジネスだから。
私も、半分はそう思う。
でも、半分はなんとも言えない。
障害を持ちながら、それでも発信し続けて、本を出して、人が集まってきた。その事実が、私の中でまだ答えの出ていない問いを作り続けている。
いつも、弱い側にいた。搾取される側に、いた。
だから搾取という言葉に、あれほど敏感だったのだと思う。
「消費する側から、搾取する側に回る」
そのイメージが、どうしても拭えなかった。
搾取。まるで山賊が、知識のない村人をさらっていくような感じ。
自分が山賊になってしまうような気がして、怖かった。
でも、違う。違うのだ。
私は、価値提供の本質を、ずっと取り違えていた。
プロフェッショナルとして何かを届けることは、搾取じゃない。それはギフトだ。相手に必要なものを、誠実に手渡すこと。それが、本当の価値提供なのだ。
山賊じゃない。私は、ギフトを持って立っていい。
ただ
3年前の私とは、違う。
気づけば、自信というマントが、少しずつ重みを持ち始めている。話すとき、以前より迷いが減った。自分の言葉に、芯が通ってきた気がする。
それでも、話している最中に、席を立つ人がいる。去っていく人がいる。
でも、それでいいはずなのだ。 去る者を追わず。私は宗教を作りたいわけじゃない。全員に好かれなくていい、とわかっている。
——のに、まだ揺れている自分がいる。
だから、人に頼ることにした。たぶん、生存本能だったと思う。
キミがやりたいこと、できること、目指すもの
その微調整は、1人じゃできないよ。
心の底の森の奥から、そんな声が聞こえた気がした。
足りないところを補って、改良して、を繰り返していたら、noteのメンバーシップにも、イベントにも、人が来てくれるようになった。2026年には、商業出版を2冊出すことができた。
書籍第一弾
自伝
【発達障害のよりみちが、それでも生きる理由。】
書籍第二弾
絵本
【よりみちが生まれた日】
さらに発達障害の息子の誕生日に思うこと。という記事をnote創作大賞に出すことできた。
客観的に見たら、すごいことだと思う?
普通だったら、そうなのかもしれない。 でも私は、まだ自信がない。
成果が出ても、数字が積み上がっても、どこかで「これは本当に私の力なのか」と疑っている。消費される側にいるんじゃないか、とさなえさんに言われて揺れたのも、きっとそこが原因だ。
自信というマントは、まだ完成していない。 でも、羽織り続けている。
そして、もう一つ怖いことがある。
誠実な価値提供ができる人が、「搾取されるのが嫌だ」と黙ったまま引っ込んでしまったら
その空白を埋めるのは、本当に搾取を考えている人たちだ。
ますます、そういう人ばかりになってしまう。 それって、まずくない?
そして、白状する。
この記事を書いているのは、さなえさんと話した翌日の真夜中だ。
昼間にライター交流会の記事を書いて、次の日曜日のイベント告知も書いた。
発信を絞ったら、とアドバイスされた直後なのに、脳が排熱を求めた。
変化に対する不安だと思う。
これでいいの?いい人やめるの?と、脳がウィスキーをストレートに飲んだ新卒みたいになっている。
それでも
だから私は、怖くても、立つ。
怖くても立つ。その理由がある。
今、この記事を書けていること自体に、喜びが生まれている。
うつから、回復した。日本の福祉のおかげだ。
元気になった私には、恩返ししたい理由がある。
だから、立つ。
そんな気づきを、私は6月の頭に得た。
四ツ谷駅そばの、閉店間際のカフェ。 さなえさんと向かい合って、アイスコーヒーを飲みながら。


彼女の一言が、私を揺らして、そして少し、前に進ませた。
だから、そんな彼女と一緒に、商品開発することにした。
けっ、なんだよ、搾取するのかよ!と思うよね?
思っていい。
でも、思わない人だけ
続きの物語ができたら、読んでほしい。
それまでは、メルマガで我慢してほしい。
