配達員ろること2号 第6話『たかが数百円の横断』

第6話『たかが数百円の横断』
昼ピークが終わろうとしていた。 スマホに表示された配達先は、ピックしたその足で向かえばギリギリ間に合いそうな距離。
「……あと一件、いけるかも」
ろるこは自転車のペダルを強く踏み込み、大通りへと出た。
目的地のマンションは、目の前に見えている。 文字通り“道を渡ればすぐそこ”。 だがその道路は、片側三車線の大通り。 そして、ろるこの立っている歩道には、横断歩道が……ない。
「……うそでしょ」
地図を見ると、最寄りの信号は、700メートル以上先。 反対側の歩道に続くラインは見えず、車は容赦なく流れていく。
スマホの時計を見る。あと10分。 今から横断歩道まで遠回りしていたら、間に合わないかもしれない。

「今、行けば……」
ろるこは唇を噛み、周囲の車の流れを見つめる。 一瞬、車の波が切れた。
「……今しかない」
その瞬間、自転車にまたがったまま、ペダルを踏み込む。 一直線に車道を突っ切る。
最初のレーンを抜け、中央レーンに差しかかる。 もう少し。あと10メートル足らず。
──プアアアアアァァァァッ!!!
正面から、乗用車のけたたましいクラクションが響いた。 咄嗟にブレーキをかけ、ろるこは止まる。 そのすぐ目前で、車が急ブレーキをかけ、ギリギリで停止。
「……っ!」
反射的に体がこわばり、バランスを崩して倒れ込む。 膝がアスファルトに擦れ、焼けるように熱い。 心臓の鼓動がうるさい。
足音が聞こえる。 視界の端に、見覚えのある黒いバイク。 そのバイクから降りた人物が、こちらに向かって走ってくる。
「……ろるこ!」
声を聞いた瞬間、誰かわかった。 2号だった。

バイクを路肩に停め、ろるこの前にしゃがみ込む。 無言でろるこの腕を取り、起き上がらせる。 歩道の端まで連れていく。
「……あ、ありがとうございます……」
ろるこがかすれた声で言うと、
「アホンダラ!!」


2号の怒鳴り声が、空気を裂いた。 ろるこの肩が跳ねる。
「死にてぇんかお前!なんであそこで渡んねん!」
ろるこは顔を伏せたまま、絞るように言う。
「……すみません……」
「謝って済む話ちゃうやろが!自分だけやない、 お前が轢かれたら、相手も終わりやねんぞ!」
その声は、怒りと、焦りと、恐怖が混じっていた。 ろるこは何も言えなかった。
「たかが数百円のために命かけるとか、ホンマにアホやぞ」
2号はしばらく睨みつけたまま、息を吐くと、ゆっくり立ち上がる。
「……次、同じことやったら、 俺がぶっ飛ばすからな」
そう言って、2号はバイクへ戻る。
エンジンがかかる音がして、やがて遠ざかっていく。
ろるこは、まだその場から動けなかった。 視線を落としたまま、唇を震わせながらつぶやいた。
「……たかが、数百円、か……」
あとがき
先日、一通のDMが届きました。
──「注意喚起を兼ねた物語を書いてもらえませんか」
東京で配達をしている方なら、ご存知の方も多いと思います。
秋葉原で、横断歩道のない片側三車線の道路を渡ろうとした自転車の配達員が、バイクと衝突し、搬送先で亡くなったという事故がありました。
DMの送り主は、この事故を受けて、「配達員目線で注意喚起となるような物語を書いてほしい」と言ってくれたのです。
正直、最初は気が進みませんでした。
こういったテーマを扱うと、どうしても説教くさくなってしまう。
『ろること2号』は、本来もっとゆるくて、ほのぼのとした日常を描きたい。
できるだけ重たいテーマからは距離を置いていたい──そう思っていたからです。
それに、僕自身、他人の交通マナーについてとやかく言いたくはありません。
世の中には「変えられるもの」と「変えられないもの」があります。
人の交通マナーは、後者のほうが多い。
だから僕は、「他人を変えるより、自分が気をつける」というスタンスでやってきました。
僕は配達歴4年ですが、今もゴールド免許を維持しています。
それでもヒヤッとした瞬間や危険な場面に遭遇することはあります。
だからこそ、本編の中で2号が言った
「たかが数百円のために命かけるとか、ホンマにアホやぞ」
──この言葉は、僕自身が日頃から感じていることでもあります。
急いだところで、変わるのは数百円。
特に雨の日なんかは、つい稼ぎたくなって焦るけど──
それで事故を起こせば、稼いだお金なんて一瞬で消えます。
何より、命を落としてしまえば、その日稼いだお金も、これまでの努力も、全部が無意味になる。
だから僕は、急ぎたい気持ちをグッとこらえて、
「少し時給が低くても、無事に終えられたらOK」と割り切るようにしています。
ただ、それを他人に強制したいとは思いません。
交通事故がゼロになる世界が実現するなら、それに越したことはありません。
でも、繰り返しになりますが、世の中には変えられることと変えられないことがあります。
お金を稼ぎたい理由も、人それぞれです。
僕自身、ウーバーイーツを始めたきっかけは「明日食う金にも困っていたから」でした。
──今日、時給2,000円を超えなければ、水道が止まってしまう。
──子どもの給食費が払えない。
──今月中に100万円を稼がなければ、父の手術代が用意できない。
そんな、切羽詰まった状態の人もいるかもしれません。
もちろん、「切羽詰まっているから交通ルールを破ってもいい」とは言えません。
それでも、誰もが何かを背負って走っているということは、忘れたくないと思っています。
そして僕自身も、誰かのためじゃなく、自分のために走っています。
日々の生活費を稼ぐため、借金を返すため、健康に過ごすため。
平凡で、借金だらけの人生ですが──それでも、僕は長生きしたい。
やりたいことも、まだたくさんある。
だから僕は、たかが数百円のために命をかけることはできないのです。
※本作はフィクションです。
登場する人物・団体・地名・出来事などは実在のものとは関係ありません。また、一部の描写は実在するX(旧Twitter)ユーザーの投稿や活動に着想を得ていますが、特定の個人・団体との関連性はなく、内容は創作に基づいて構成されています。
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