[26]【電話の向こうに福岡があった】人生が終わった日も、朝のコーヒーだけは飲んでいた。-新聞配達編-
■この物語は筆者の実体験をもとに執筆しています。
・正直、極限まで恥をさらしてます。
・僕が生きてきた記録(ノンフィクション)です。
・ほぼ毎日更新を目指してます。
【電話の向こうに福岡があった】
警察から、
母に電話するよう言われたあと。
僕は携帯を開く。
母の番号を見る。
親指を、
発信ボタンの上に置く。
一度、息を止めた。
自分が逃げてきた場所。
自分が帰れなくなった場所。
それでも、
本当はずっと、
心のどこかで帰りたかった場所。
電話番号は覚えていた。
忘れるはずがなかった。
でも、
すぐにはかけられなかった。
携帯を開く。
置く。
また持つ。
また置く。
何を言えばいいのか、
分からなかった。
元気か。
生きているか。
心配かけてすまん。
言いたいことは、
いくらでもあるはずなのに、
言葉にすると、
全部嘘みたいになりそうだった。
それでも、
かけなければいけなかった。
吉田が生きていたことを知って、
僕は少しだけ楽になった。
今度は、
母を少しだけ
楽にしなければいけない。
そう思った。
そして僕は、
母の番号に発信した。
呼び出し音が鳴る。
一回。
二回。
三回。
それだけで、
心臓が痛かった。
出なくてもいいと思った。
出てほしいとも思った。
どっちなのか、
自分でも分からなかった。
「はい。」
母の声だった。
それだけで、
喉の奥が詰まった。
何も言えなかった。
「___もしもし?」
変わっていない声だった。
少しだけ年を取ったようにも聞こえた。
でも、母の声だった。
「僕。」
ようやく、それだけ言った。
電話の向こうで、
一瞬だけ間が空いた。
「___元気ね?」
最初に怒られなかった。
責められなかった。
どこにおると。
何しよると。
なんで連絡せんやったと。
そう言われると思っていた。
でも、母はまず、
元気かと聞いた。
「うん。元気。」
嘘ではなかった。
生きている。
働いている。
ご飯も食べている。
コーヒーも飲んでいる。
だから、
元気と言えば元気だった。
「そっちは?」
自分でも驚くくらい、
普通の声が出た。
「元気よ。」
母もそう答えた。
それだけの会話だった。
お互いに、
生きていることを
確認しただけだった。
細かいことは話さなかった。
どこで何をしているのか。
どうしてこうなったのか。
これからどうするのか。
聞かれたら困ることは、
母も聞かなかった。
僕も、言わなかった。
ただ、
少しだけ話した。
福岡のこと。
家のこと。
親戚のこと。
昔のこと。
特別な話ではない。
でも、
電話の向こうに福岡があった。
母の声の後ろに、
自分が生まれた場所の
空気があった。
懐かしいというより、
遠かった。
あまりにも遠かった。
地図で見れば、
鹿島から福岡までは、
ただの距離だ。
電車に乗って、
新幹線に乗って、
帰ろうと思えば帰れる。
でも、
その時の僕には、
福岡は外国より遠かった。
帰る場所がある。
そう思った瞬間、
余計に帰れなくなった。
帰ってしまえば、
全部が終わる気がした。
今ここで踏ん張っているもの。
新聞を配っている自分。
午前1時に起きて、
コーヒーを飲んで、
暗い道を走っている自分。
それを全部、
投げ出してしまいそうだった。
母は最後まで、
帰ってこいとは言わなかった。
僕も、帰りたいとは言わなかった。
でも、
言葉にしなかっただけで、
電話の中にはずっと、
福岡があった。
「身体だけは気をつけて。」
母はそう言った。
「うん。」
それしか言えなかった。
電話を切った。
携帯話閉じたあと、
しばらく動けなかった。
泣いたわけではない。
ただ、
身体の中の力が抜けた。
吉田は生きていた。
母も生きていた。
僕も、まだ生きていた。
それだけで十分なはずだった。
でも、十分ではなかった。
福岡に帰りたい。
そう思った。
思ってしまった。
新聞配達を始めてから、
初めてだったかもしれない。
どこかへ逃げたいではなく、
帰りたいと思ったのは。
外はまだ暗かった。
配達の時間が近づいている。
僕はもう一度、
コーヒーを飲んだ。
冷めかけていた。
それでも、美味かった。
カップを置いて、
立ち上がる。
今日も新聞を配らなければいけない。
福岡に帰るかどうかは、
まだ分からない。
帰れるのかも分からない。
でも、
母の声を聞いたあと、
鹿島の夜は少しだけ違って見えた。
遠くに、
帰る場所がある。
そのことが、
嬉しくもあり、
苦しくもあった。
僕はジャンパーを着て、
外へ出た。
もうすぐ5月。
あたたかな風。
春の匂い。
そんなものが僕を
福岡に誘っている。
懐かしい思い出。
春の出来事。
みんな元気だろうか。
でも僕は、今夜も新聞を配る。
福岡の人間のまま。
鹿島の人になりかけたまま。
【次の話】第27話「春の鹿島に、心を預けた」へ
5/6 掲載予定
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「人生が終わった日も、朝のコーヒーだけは飲んでいた。」
【第一章・失踪編】
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【第二章・新聞配達編】
→目次から読む
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