[19]【朝が普通に戻りはじめた】人生が終わった日も、朝のコーヒーだけは飲んでいた。-新聞配達編-
■この物語は筆者の実体験をもとに執筆しています。
・正直、極限まで恥をさらしています。
・僕が生きてきた記録(ノンフィクション)です。
・ほぼ毎日更新を目指しています。
【朝が普通に戻りはじめた】
午前1時。
コーヒーをいれる。
湯を注ぐ。
カップを持つ。
一口飲む。
まだ、落ち着いて
うまいとは言えない。
でも、苦かった。
ちゃんと苦い。
その苦さが、少しありがたかった。
カフェインが沁み渡る。
地図を開く。
契約の切れた家。
新しい契約。
入れるチラシの種類。
曲がる角。
暗い路地。
ひとつずつ確認する。
前みたいに、
同じところを何度も
行ったり来たりはしない。
不安はある。
でも、
何が不安なのかが
前より少し分かるようになっていた。
最初の頃みたいな、
正体の分からない怖さじゃない。
ここを曲がる。
この家には入れない。
この並びは最後に回す。
そういうことが、
少しずつ頭に入ってきていた。
販売所へ向かう。
空気はまだ冷たい。
眠気もある。
でも、足は前より重くなかった。
皆、いつものようにいる。
いつものように準備している。
その中に、
自分もいる。
前ほど、
場違いな感じがしなかった。
僕もすっかり
鹿島の人となりつつあった。
宮本さんが、
新聞を揃えながら言った。
「どうや、だいぶ流れ分かってきたか?」
「まだ毎日、緊張してます。」
そう言うと、
宮本さんは笑った。
「そら、しばらくはそうや。
でも、前より顔マシやぞ。」
顔マシやぞ___。
その言い方が、
何だか宮本さんらしかった。
大丈夫とは言わない。
頑張れとも言わない。
ただ、
前よりマシやと言う。
それくらいが、
あの頃の僕にはちょうどよかった。
配達に出る。
エンジンの音。
冷たいハンドル。
暗い道。
最初の頃は、
全部が怖かった。
曲がり角も。
段差も。
表札も。
犬の鳴き声さえ、
妙に神経に触った。
でも今朝は、
怖さの種類が少し違っていた。
飲み込まれそうな怖さじゃない。
気をつけよう、という
普通の緊張に近かった。
一軒ずつ入れる。
次の家へ向かう。
また入れる。
仕事に集中できた。
新しい契約の家も、
頭の中でちゃんと位置がつながっていた。
この前まで、
契約が切れた家と
新しい家がぐちゃぐちゃになっていたのに。
今は、
少し整理されている。
それだけのことが、
妙にうれしかった。
配り終えて、
息を吐く。
今日も転ばなかった。
誤配もしなかった。
たぶん、大丈夫だ。
その「たぶん」を、
前より少しだけ
信じられる気がした。
販売所へ戻る。
バイクを止める。
荷物を降ろす。
残りを確認する。
そういう動きも、
前より自然だった。
宮本さんが言う。
「新しいとこ、もう覚えてきたな。」
「いや、まだ何回も地図見てます。」
「それでいいよ。
見ないより、見る方がいいじゃん。」
そう言って、
新聞を束ね直している。
見ないより、
見る方がいいじゃん___。
できるふりをするより、
確認した方がいい。
当たり前のことなのに、
あの頃の僕には
そういう当たり前が
抜けていた気がする。
焦って。
見栄を張って。
大丈夫なふりをして。
結局、転んできた。
でもここでは、
分からなければ見ればいい。
不安なら確認すればいい。
そんな当たり前を、
少しずつ覚え直していた。
販売所の空気にも、
少し慣れてきた。
誰かの咳払い。
新聞の擦れる音。
雑談。
バイクの音。
前は全部が遠かった。
今は、
少しだけ耳に入ってくる。
自分だけが別の場所にいる感じが、
前より薄くなっていた。
部屋に戻る。
服を脱ぐ。
腰を下ろす。
コーヒーをいれる。
宮本さんにもらった差し入れを開く。
こういうの、
いつ以来だろうと思った。
人にもらったものを食べる。
そのこと自体が、
少し不思議だった。
ひと口食べる。
うまかった。
味そのものより、
誰かのやさしさが
ようやく身体に入ってきた気がした。
あの頃の僕は、
親切にされても
うまく受け取れなかった。
ありがたいとも思う。
でも、どこかで構えてしまう。
そんな感じだった。
でも今は、
ちゃんと食べていた。
ちゃんと、うまいと思えた。
コーヒーの湯を注いでいると、
ふとカレンダーが目に入った。
もうすぐ誕生日かぁ___。
そう思った。
誕生日なんて、
祝うような年でもない。
楽しみでもない。
でも、
誕生日が来るということは、
ひとつ気になることがあった。
免許の更新だ___。
あぁ、行かないとな。
そう思った瞬間、
胸の奥が少しざわついた。
免許が切れたら困る。
それは分かる。
でも、
更新に行くというのは、
ただの手続きじゃない気がした。
今の自分のまま、
そこへ行っていいのか。
何となく、
そんな気持ちがよぎった。
少し前の僕なら、
そんなことを考える余裕も
なかったと思う。
目の前の朝を終わらせるだけで
精一杯だった。
転ばないこと。
誤配しないこと。
怒鳴られないこと。
それだけで頭がいっぱいだった。
でも今は、
次のことが頭に浮かんでいる。
誕生日。
免許更新。
その先のこと。

コーヒーを一口飲む。
苦い。
まだ、
しみじみ美味いとは言えない。
けど、カフェインは沁み渡る。
そして苦かった。
それで十分だった。
朝をひとつ終えて、
次のことを考えている。
それだけでも、
少し前の僕からしたら
たいした進歩だった。
ただ___。
免許の更新は、
たぶん、それだけでは終わらない。
そんな気がしていた___。
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4月24日更新
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「人生が終わった日も、朝のコーヒーだけは飲んでいた。」
【第一章・失踪編】
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【第二章・新聞配達編】
→目次から読む
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