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溺|【狸の短編小説】

 壁を埋める木が軋む音を立てたと思えば、背表紙と背表紙の隙間から黒い液体が滲んで、糸を引いて床に落ちた。

鉄と油が混ざったインクの匂いが、何十年も眠っていた紙の層に染み込んで、陽に焼けて脆くなった繊維は、長く閉ざしていた空気を吐き出す。

床板の木目に吸い込まれた染みは、静かにその領土を広げていった。


 ゴポリと低音が部屋の隅で生まれた。

革装丁の硬い背が黒くうねって、開かれた頁は砕けて白い飛沫を上げる。

活字の流れは床を洗って、椅子の脚を濡らしながら水位を上げていく。

私は音もなく椅子を降りると、冷たい流れに足首まで浸かってから、書斎机の硬い天板へと避難した。

窓の外の景色は動かない。
隣家の壁の、くすんだ染みが見えるだけ。

私の足首を流れ込むものの質量が掴むと、インクの匂いは遠のいていて、いつしか鼻腔を満たす塩の気配。

水面を叩く本の波間に、銀色のものがキラリと光って揺れて、鱗の一枚が私の指先をかすめて沈んでいった。


 水位は腰まで達して、浮き上がった数冊が頼りなく漂っている。

壁の時計の針は、とうに動きを止めて、部屋を支配するのは、チャプンと不規則に響く音。

流れは緩やかに天井へと向かっていく。

私の口元から最後の空気が離れて、銀の連なりとなって昇っていった。

視界の光が消える寸前、窓だと思っていた硝子の向こうには巨大な顔があった。

父の面影を宿したその顔の口元が、わずかに緩んだ。



Gemini作:タイトルデザイン案

🔻以前に書いた元記事はこちら


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