零度の共感|【狸の短編小説】
彼女の肌に僕の指先が触れると、乾いた砂が血管を逆流して骨の内側で結晶になる鈍い重さが、腹の底に溜まっていく。
歯を食いしばると、奥歯が軋む音が頭蓋に響いて、彼女から流れ込んでくるものが尽きてようやく、僕はゆっくりと指を離す。
僕の腕の中で、彼女の強張っていた身体が弛緩するのを感じて、一息ついた。
浅く速かった呼吸が穏やかな深さに変わり、血の気のなかった頬にわずかな赤みが差したその寝顔から、目を離すことはできない。
ただ、彼女の閉じられた瞼が微かに震えて、一筋の涙がこめかみへと静かに流れていく瞬間だけは、見ないふりをしなければならない。
僕は、覚悟が決まらない自分の指先を強く握りしめた。
食卓に置かれたコーヒーの湯気は、輪郭を失って揺れている。
カップを持ち上げても、焦げた苦い匂いなどするはずはなく、口に含んでも、ただ熱い水が舌を濡らすだけ。
外の木々は緑色を失って、濃淡の違う灰色のモノクロ写真を見ている錯覚に陥った状態を、あと幾つ続ければ良いだろう。
最初は、週に一度だったこの儀式が一日おきに縮まって、今では朝と夜の二度、彼女の痛みを引き受けなければならなくなった。
僕が引き受けた痛みは内側に蓄積されて、僕の身体を犯していく。
儀式を終えて意識が浮いている僕の腕を、彼女のか細い指は掴んだ。
「もう、やめて」
掠れた声がシーツに落ちる。
「お願いだから。あなたのその顔を見るのが、何よりも痛いの」
僕は何も言わずに首を横に振る。
「君が痛くないなら、僕は平気だよ」
彼女の乾き切った冷たい唇に指を当てると、彼女は絶望したように目を閉じる。
それきり彼女は口を噤んだまま、一瞬だけ祈るように身を固くしていた。
その夜が来るのは必然のことだった。
シーツを掻きむしる指先に、部屋の空気を震わせる、引きつった呻き声。
僕は覚悟を決めて彼女の冷たい手を握り、意識のすべてを指先に注いだ。
これまでの痛みを鼻で笑えるほどの濁流が、僕の存在を根こそぎ洗い流していく。
視界から色が抜け落ちて、音が消えて、最後に身体の重さが失われた。
嵐が過ぎ去った時、僕の身体には何も残っていない。
空っぽの器。
腕の中の彼女は、眠るように穏やかな顔をしていて、その胸が上下することはない。
僕はそっと、彼女の冷たくなった左手を開いた。
固く握りしめられていたのは、僕のシャツから取れた白いボタンと、小さく折り畳まれたメモ用紙。
震える文字が、そこにはあった。
『あなたの痛みが、わたしの痛みだった』
そこに痛みはない。
色も、味も、重さもない。
ただ、胸の真ん中に小さな空洞がひとつ空いている。
僕が歯を食いしばるのを見つめていたあの瞳。
僕の指先が震えるのをただ耐えていたあの唇。
僕が僕でなくなっていくのを、絶望の淵で見つめ続けていた彼女の心が、冷たい棘となって突き刺さる。
窓の外で雨が降り始めた。
ガラスを伝う無数の水滴を、僕はいつまででも見続ける。

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