依存の養殖|【狸の話】
バヒヌの日記_🜄

私たちは、自立という洗脳をかけてくる社会に生きていた。
「誰にも頼らずに生きていける孤高の自立」
社会で長く信じられてきたこの強い大人像は、個人を脆くする幻想に過ぎなかった。
強さとは、一人で解決できる能力や知識を持つことではなく、多様な依存先を持ち、人生の荒波に耐えうる依存関係を構築することにある。
この考え方は、依存症が持つ特定のものへの執着と依存の危険性を反面教師としている。
依存症の本質が、アルコールやギャンブル、薬物といった不健全な対象に、人生のすべてを委ねてしまって、他の健全な繋がりを破壊し尽くしてしまうように、依存先の選択肢を失うことこそが、人生を破綻させる根本の原因。
この認識から、意識的に依存先を育てる依存の養殖という生存戦略にたどり着いた。
かつて健全な依存先を半ば自動的に供給してくれた会社や地域の共同体という天然のいけすは、今やその機能を失いつつある。
待っているだけでは孤立してしまう時代にいる私たちだからこそ、自らの手で居場所を見つけ、関係性に栄養を与え、複数のコミュニティを管理するという養殖の技術が必要となるということだ。
しかし、この依存の養殖という戦略は、諸刃の剣である。一歩間違えれば、それは「能力や知識がある者だけが救われる」という自己責任論へと変わり、友人やコミュニティを自己利益のための資源として扱う、功利主義的な浅ましい人間観を作り上げてしまいかねない。
巷に蔓延るオンラインサロンやメンバーシップなどは、この典型例である。(残念ながら、ここnoteでも度々見かけることが、一旦見て見ぬふりをする)
計算で築かれた養殖の繋がりは、私たちが本当に求める無条件の受容、つまり天然の温かさからは程遠い、空虚なものになる危険性を常にはらんでいる。
では、この矛盾を前にして、私たちはどうすれば良いのか?
その答えは、戦略を捨てることでも、理想に溺れることでもなく、「養殖の技術を使いながら、天然の心を忘れない」という、矛盾を抱えたまま進む曖昧な道を探ることしかない。
まず、行動の動機を損得勘定から純粋な好奇心に切り替える。人を使える資源として見るのではなく、一人ひとりのかけがえのない物語に向き合うこと。
次に、自身の成功や有能さをアピールするのではなく、むしろ弱さや不完全さを分かち合う勇気を持つこと。
強さを求め合う関係性は実に脆く、弱さを受け止め合える関係こそ、条件付きの繋がりを超えた本物の関係へと変化する可能性を秘めているから。
最も重要なのは、この営みを個人のサバイバル術に閉ざさないことかもしれない。
なぜ天然のいけすは失われたのかを問い続け、公的な場所の価値を再認識し、社会をより良くするための小さな一歩に関心を持つこと。
誰もが孤立せずに済む社会のあり方を考える方向へ広げていくこと。
結局のところ、当たり前だが完璧な答えなどない。私たちは、したたかな養殖業者の頭脳と、人間を信じて面白がる子供のような心を携え、この複雑な世界を生きていくしかない。
それは、理想と現実との狭間で、不器用ながらも他者との関わりを諦めない、最も人間らしい誠実な態度なのだと信じたい。


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