雨のかさぶた|【狸の短編小説】
十年前に降り始めた雨が、背中の肩甲骨と肩甲骨の間に、未だ降り続けている。
そこにできた湿地帯は、年輪を重ねるごとに腐葉土の厚みを増して、私の重心を後ろへ後ろへと引き倒そうとする。
私が猫背で歩くのは、重力へのささやかな抵抗と、世界に留まるための工夫だった。
カフェの厨房で、私はシンクに積み上がった皿を洗う。
泡立った洗剤の匂いよりも、背中から立ち上る雨カビの臭気が鼻につく。
誰も気づかないこの異臭こそが、私が私であるための証明書。
ドアベルが鳴って、一人の客が入ってきた瞬間に、背中の湿度が跳ね上がる。
シャツの繊維が水を吸って張り付き、背骨がミシミシと悲鳴を上げる。
視界の端で捉えたその男は、右足をわずかに引きずりながら、窓際の席へと向かっていった。
あいつだ。
十年分の罪悪感が、私を床板へとめり込ませる。
あの日、階段の上から突き落とした手の感触が、指先で蘇って熱を持つ。
彼が杖をつくたびに、床を叩くその乾いた音が、私への断罪として響いている。
私は逃げるようにバックヤードへ駆け込んで、うずくまった。
呼吸をするたびに、肺の中に泥水が侵入して、私を壊す。
私は加害者という配役を与えられることで、かろうじて主役の座にしがみついている惨めな人間だ。
彼がトイレを探してバックヤードの近くを通りかかった時、私は震える膝を叱責して立ち上がり、その行く手を塞いだ。
「あの」
彼は立ち止まり、怪訝そうに眉を寄せている。
その瞳に、私の姿は映っていないかのように薄い。
「僕のせいで、その足」
言葉は途中で泥に飲まれて消える。
謝罪を口にすることで、私は彼との間にある太い鎖を確認しようとしたから。
彼は短く息を吐いて、私の背後の壁にあるシフト表へ視線を逸らした。
「お前、誰だっけ」
心臓が一度、脈打つのを忘れる。
「階段。十年前の、雨の日」
「落ちたことはあるけど、それが?」
「僕がその、押してしまって」
彼は興味なさそうに記憶のひきだしを開けて、すぐに閉じた。
「自分で勝手に滑って、落ちただけだよ。お前は関係ないだろ」
彼は「バカバカしい」と呟くと、私を避けるように脇を通り抜けていった。
その瞬間、背中でパキッと乾いた音がした。
十年かけて培養してきた湿地帯が、急速に水分を失って、粘着質だった罪の意識が、事実という乾燥した風に晒されて、ひび割れていく。
パラパラパラ。
ザラザラザラ。
背中から何かが剥がれ落ち、床に降り積もる音がした。
足元を見ると、そこには大量の灰色の砂が散らばっている。
これが私の背負っていたものの正体。
私を特別たらしめていた、重厚な物語の残骸。
身体が急激に軽くなって、頼りない風船のように床から浮き上がりそうになる。
私は何者でもない。
誰の運命も変えていない、ただの背景。
私は床に這いつくばって、散らばった砂を必死にかき集めようとするが、サラサラと指の隙間からこぼれ落ちる砂は、二度と固まることはない。
軽くなった身体は、どこへでも行ける自由を得た。
だが、その自由があまりにも寒々しくて、私は空っぽになった背中を丸めて、震え続けていた。

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