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ぼくの未来はもう少ないが、託すことはできる



ぼくは今年で68になった。
自分の未来というものは、正直あまり残っていない。
だがそれは、誰かに手渡せないという意味ではないのであった。
俳優や声優をやった。カメラマンとして霧島酒造の広告を撮ったりした、東京でタクシーも運転した。夏いちごの農場長、日本女子大の管理人、万引きGメン、認知症のグループホームで働いたこともある。
去年、敗血症で死にかけた男が、いま福岡で小学生にAIを教えている。
世の中というのは、まったくよくわからないものである。
小学四年生の男の子が、頭の中にずっと住んでいた怪獣をAIで描かせて、こっちを見て笑った。
「うさじい、これオレが考えたんよ(生徒はうさじいと呼ぶのだ)」
オレが考えた、というところが大事なのであった。
道具が絵を描いたのではない。あの子の中にいた怪獣が、はじめて外に出てきたのである。
福岡の複数のB型就労支援施設でも教えている。
そこに、家族ともほとんど口をきかないという女の子がいた。
最初は、うつむいたまま一言も出てこなかった。
それが、AIへの話しかけ方のコツをひとつ教えただけで、画面に向かって喋りはじめたのである。
まさに、砂が水を吸い込むようであった。
ぼくと相談しながらストーリーを打ち込み、1週間で絵本を1冊仕上げて、Kindleで出した。
出版された日、彼女は自分の本が並んだアマゾンの画面を、何度もスクロールしていた。
何度も、何度も。
AIの成長はすさまじいのであった。
たとえばの話だが、IQ100のAIがIQ110のAIをつくり、そのIQ110のAIがIQ120のAIをつくる。
こちらが吉野家で牛丼を食っているあいだに、そういうことをやっている。
5年でほとんどの仕事がAIに奪われるという話も、もう酒の席の冗談にはならない。
津波は超音速でやってくる。
逃げろとは言えない。
逃げ場がないからである。
ならば、波乗りを教えるしかないのであった。
正直、僕にとって、採算はまったく合っていない。
それでもあの子たちが、10年後、20年後、AIを従えるなり友だちにするなりして、どこかで飯を食えているのなら、それでいい。
未来のためにできること。
68のじいさんにできるのは、櫂を1本渡すことくらいなのであった。
その日の帰り、吉野家で牛丼を食った。うまかった。
あとは、あいつらが漕ぐ。

#未来のためにできること



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