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捨て活航海日誌|ミニマリストと推し活は両立できる?モノを増やさない「癒やしの線引き」

私のデスクの上には、ひとつのお気に入りのマグカップがあります。大好きな「推し」のロゴがあしらわれた、いわゆる推し活グッズです。

けれど、このマグカップに温かいコーヒーが注がれたことは、ただの一度もありません。冷たい麦茶を入れることもなければ、キッチンに並ぶことすらありません。私のデスクの手元で、ただじっと、こちらを向いて置いてあるだけです。

モノの役割を「使うか、使わないか」の機能性だけで測るなら、このマグカップは完全に「使っていないモノ」に分類されるでしょう。しかし、私にとってこのマグカップは、毎日ものすごく大きな仕事をこなしてくれています。それは、目が合うたびに私の心をふっと緩めてくれる、特別な「癒やし」という仕事です。

「すっきりシンプルな暮らしを送りたい。でも、大好きな推しのグッズも大切にしたい」

そんな葛藤を抱えたことはありませんか? シンプルライフを目指そうとすると、真っ先に手放す候補に挙げられがちな「趣味のモノ」。しかし、それらを一律に「使っていないから」と排除してしまうのは、どこか寂しい気がするのです。

今回は、一見「使っていない」ように見える推しグッズが持つ本当の機能と、モノを増やしすぎずに推し活とシンプルライフを両立するための、私なりの「癒やしの線引き」についてお話ししたいと思います。


デスクの上の、使わないマグカップ

あらためて私のデスクの上を見渡してみると、パソコンや外部モニタといった作業道具のすぐ脇、マウスの動き回る辺りに、そのマグカップは鎮座しています。



手元の一等地に配置しています。
※権利関係もあるかと思い、角度を少し変えて撮影しています。


世の中の片付けの本やミニマリズムのコツを開けば、よくこんな言葉を目にします。 「いつか使う、の『いつか』は来ない」「1年以上使っていないモノは手放そう」 確かにその通りだと思います。日用品や服であれば、使わずにしまい込んでいるものは、暮らしの代謝を悪くする原因になってしまうでしょう。

ですが、このマグカップに関して言えば、私は確信犯的に「使わない」ことを選んでいます。理由はとてもシンプルで、使うのが「もったいない」からです。

お気に入りのデザインが汚れてしまったら悲しいし、もし万が一、手が滑って欠けたり割れたりでもしたら立ち直れない。そんな心配をするくらいなら、いっそ最初から「飲み物を入れるための容器」としては使わない方がいい。そう決めているのです。

「それじゃあ、ただの飾りじゃないか」と言われてしまえば、まさにその通りかもしれません。けれど、デスクに向かって少し疲れてふと目を上げたとき、そこにお気に入りのマグカップがちょこんと佇んでいるのを見るだけで、心のトゲトゲしたものがすーっと溶けていくのを感じます。

ただ手元にあること。こちらを向いてくれていること。それだけで、このマグカップは所有している意味を100%全うしてくれているのです。


「そこにあること」という、モノの立派な仕事

実は以前、私は『「使っていない」は「役立たず」じゃない。私を癒やすモノたちの、静かな仕事。』という記事を書いたことがあります。


この中で私は、「実用的に使っていなくても、心を癒やしてくれるなら、それはモノの立派な使い道である」というお話をしました。

一般的にモノを減らそうとすると、どうしても効率や機能性のモノサシだけで判断してしまいがちです。その結果、部屋はすっきりしたけれど、どこか無機質で、心の潤いまで削ぎ落とされてしまった……という経験を持つ方も少なくありません。

しかし、モノにはもうひとつ、大切な役割があります。それが「感情的な機能」です。

私にとって、デスクの上の使わないマグカップは、まさにこの考え方を体現してくれている存在です。お茶を淹れることはできなくても、目に入るだけで、私の心に「余白」や「癒やし」をくれる。それなら、このマグカップは私の部屋で、誰よりも立派に自分の仕事を全うしていると言えます。

「手元にあること」そのものが、所有する意味であり、価値。 モノを手放す基準は、決して「物理的に使っているかどうか」だけではありません。たとえじっと置いてあるだけでも、あなたの心を間違いなく支えてくれているのであれば、それはまぎれもなく「必要なモノ」なのです。


シンプリストが考える、推し活と「物量」の心地いい関係

「そこにあるだけで癒やされるなら、好きなだけグッズを集めてもいいんだ!」 ……と、全力でアクセルを踏み込んでしまいたくなるところですが、ここで少しだけブレーキを踏むのが、シンプリストとしての私の視点です。モノがくれる「癒やしの機能」は本物ですが、それも「適量」であってこそです。

推し活をしていると、次から次へと魅力的な新作グッズが登場します。大好きなタレントさんを応援したい、少しでも売り上げに貢献したいというファン心理から、ついつい購入したくなる気持ちは私も痛いほどよく分かります。

しかし、感情の赴くままに「集めること」そのものが目的になってしまうと、あっという間に自宅の保管スペースは圧迫され、飾りきれないグッズが押し入れの奥に眠ることになります。せっかくの「癒やしのモノ」たちも、部屋を狭くし、いつしか「片付けなきゃ……」という心理的なノイズに変わってしまうかもしれないのです。

暮らしをすっきり整えて心地いい「余白」を保ちたい。同時に、大好きな推しを応援する熱量も大切にしたい。この2つを両立させるためには、やはり「程度をわきまえる」という、自分なりの線引きがどうしても必要になってきます。

もちろん、どのくらいの量が心地いいと感じるかは人それぞれ。だからこそ、他人の基準ではなく、自分だけの「心地いい物量のバランス」と向き合うことが大切になってくるのです。


「応援」と「暮らし」のバランスを見つけるヒント

では、具体的にどのようにして自分なりの「線引き」を見つければいいのでしょうか。参考までに、最近の私自身の試行錯誤を少しご紹介させてください。

以前の私は、新しいグッズが出るたびに心が揺れ動いていましたが、最近は購入するアイテムの「種類」を意識的に絞るようになりました。たとえば、日常のちょっとした買い物やお出かけのときに、実際に持って歩けるような「トートバッグ」を選ぶ、といった具合です。これなら普段使いの中で推しを身近に感じつつ、実用性も兼ね備えているため、暮らしに自然に溶け込んでくれます。

さらに、先日行ったコンサートでは、私にとってひとつの大きな挑戦をしました。とうとう、物販でグッズをひとつも買わずに帰ってきたのです。


会場に向かうまでは迷いもありました。しかし、ふと立ち止まって「本当にそのグッズが欲しいのか、それともお祭りの勢いで買おうとしているのか」と自分に問いかけてみたのです。

結果、その場での購入は見送りました。その代わり、コンサートの素晴らしい演出や会場の一体感といった「体験」そのものを全力で楽しみ、最高の思い出として心に持ち帰ることにしたのです。

グッズを買わなくても、私の推しへの愛や応援したい気持ちが減るわけではありません。何より、自室に帰れば、これまでに少しずつ集めて大切にしてきた推し活グッズたちが、今もちゃんと特等席に飾ってあります。それらを眺めるだけで、私の心は十分に満たされていることに改めて気づくことができました。

すべてのグッズを追いかけるのをやめ、「本当に心を満たしてくれるモノ」だけを厳選して手元に残す。この引き算の意識こそが、シンプルライフと推し活を両立させるための、ひとつの大きな鍵だと感じています。


あなたにとっての「癒やしの余白」はどこですか?

モノを持たないシンプルな暮らしと、大好きなモノに囲まれる推し活ライフ。一見すると対極にあるように思えるこの2つですが、決して「どちらかしか選べない」というものではありません。

大切なのは、部屋の中にも、そして自分の心の中にも、心地いい「余白」を保てているかどうかです。

たくさん集めることで心が満たされる時期があってもいいし、私のように「厳選した数点と、コンサートの記憶」で十分満足できるようになるステップがあってもいい。そのバランスは、ライフステージや心の状態によっても変わっていくはずです。

もし今、「部屋をすっきりさせたいけれど、推しグッズは手放せない」と悩んでいるなら、まずはそのグッズたちがくれる「癒やしの機能」を、素真面目に認めてあげてください。そして、「今の自分にとって、本当に心の支えになってくれているモノはどれだろう?」と、優しく問いかけてみてほしいのです。

無理をしてすべてを捨てる必要はありません。自分だけの「心地いい線引き」が見つかったとき、暮らしはもっと軽やかになり、同時に推しを想う時間もより純度の高い、愛おしいものに変わっていきます。

シンプルライフと推し活生活の両立。 あなただけの心地いいバランスを、ぜひ楽しみながら見つけてみませんか?

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました


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