捨て活航海日誌|「使っていない」は「役立たず」じゃない。私を癒やすモノたちの、静かな仕事。
「使っていないモノは、そこに置いてあるだけで家賃を浪費している」
ミニマリズムに触れたことがある人なら、一度は耳にしたことがある言葉ではないでしょうか。効率と合理性を突き詰めれば、確かにその通りかもしれません。使わないモノを手放し、余白を作る。それは暮らしを軽やかにする鉄則です。
でも、ふと立ち止まって考えてしまうことがあります。「使う」って、一体どういう状態を指すのだろう、と。
例えば、デスクのペン立てに刺さった3本のボールペン。 結局いつも手に取るのは、指に馴染むグリップで、インクが滑らかに滑るお気に入りの1本だけ。残りの2本は、数ヶ月も出番を待ったままです。この場合、2本のペンは「使っていないモノ」として、手放しの対象になる。これは、機能としての正論です。
けれど、窓辺にちょこんと座っているサボテンはどうでしょう。 彼はペンと違って、何かを書き留めてくれるわけではありません。手に取って動かすことも、何かの役に立つこともない。ただそこに居て、じっとしているだけです。
それでも、ふと仕事の手を止めて目をやったとき、その瑞々しい緑や愛らしいフォルムが視界に入ると、ささくれ立った心がふっと凪ぐのを感じます。
この「心が凪ぐ」という現象は、立派な機能ではないでしょうか。 手に持って操作することだけが活用ではありません。「そこにあることで、私の機嫌を整えてくれる」こと。それは、モノに任せられるもっとも贅沢で、大切な仕事だと思うのです。
かつての私は、いわゆる「所有すること」が目的のコレクターでした。 好きなアーティストのCDやDVD、話題のゲームソフト。シリーズを棚にズラリと並べ、その背表紙を眺めることに満足感を覚えていました。しかし、時代の流れとともに、私の棚からは少しずつモノが消えていきました。
音楽はサブスクリプションで事足りるし、ゲームもNintendo Switchでダウンロードすれば場所を取りません。 「効率」という物差しで測れば、プラスチックのケースも、紙の歌詞カードも、もはや不要な「重荷」でしかありません。
けれど、どうしても手放せなかった数枚のCDがあります。 それは、音楽という「データ」が欲しいから持っているわけではありません。お気に入りのジャケットの質感、丁寧に綴られた歌詞カードのインクの匂い。それらを手に取ったときに蘇る記憶や、胸が高鳴る感覚。
それこそが、私にとっての「癒やし」という活用法でした。 MP3のファイルは耳を潤してくれますが、物理的なパッケージは、私の「好き」という感情の拠り所になってくれる。機能を超えた、情緒的なパートナーなのです。
もちろん、「いつか時間ができたら」という言い訳で溜め込んでしまった、かつての趣味の道具たちは別です。 数年前から触れていない楽器や、埃を被ったスポーツ用品。それらを眺めて「いつかやらなきゃ」と焦燥感を抱くのなら、それは癒やしではなく、自分を責める「宿題」になってしまっています。
残念ながら、その「いつか」は、ほとんどの場合やってきません。 自分を追い詰めるモノには「今までありがとう」と告げ、今の自分を身軽にしてあげる勇気も必要です。
大切なのは、「ときめき」という感度を鈍らせないこと。 そのモノがそこにあることで、私のエネルギーが少しだけ充電されるのか。それとも、視界に入るたびにエネルギーが吸い取られてしまうのか。
「癒やし」は、立派なモノの活用法です。 世の中の「捨て基準」に惑わされる必要はありません。たとえ誰かにとっては無価値な置物であっても、あなたの心をふわりと軽くしてくれるのなら、それはこの家で一番「働いている」一軍のアイテムなのです。
「推し」のグッズも、お気に入りの雑貨も、胸を張ってそばに置いておきましょう。 ときめきという名の魔法が解けるその日まで、彼らはあなたの暮らしを支える、静かな守り神なのですから。
あなたの部屋に、あなたを「癒やす」ための余白と、大好きなモノたちが共存していますように。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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