見出し画像

授業の向こう側【7月10日】

今週、今年度最初の校内研究授業が行われました。

授業後の全体会では、
授業者である二人の初任者から、
今回の授業に込めた思いや、
授業づくりの中で悩み、
考え続けてきたことが語られました。


授業にかける信念

印象的だったのは、
二人の語りが“何を教えたか”だけではなく、
『生徒に何を感じ取ってほしかったのか』
『その学びをどこにつなげたかったのか』
に向かっていたことです。

音楽科の授業には、
創作を通して、
  音楽の構造そのものに触れてほしい
という願いがありました。

楽譜を書いて終わるのではなく、
         音にして確かめる。
音を並べるだけでなく、
 なぜそれが音楽らしく聞こえるのかを考える。

生徒が「曲っぽくならない」と漏らした声は、
まさにその見えにくい構造に、
      “自分の感覚で気づき始めた瞬間”
だったように思います。

家庭科の授業で大切にされていたのは、
生徒たちが“楽しみながら学ぶ”ことでした。

生徒同士がICT機器を使って
競い合えるゲームを事前に作成し、
生徒同士が自然に声を交わし、
学びに向かえる入口をつくっていました。

目に見える一つの活動の向こう側に、
生徒の姿を思い描きながら時間をかけて授業をつくる
授業者の信念がありました。

どちらの授業にも共通していたのは、
教科の内容を
“その時間だけの学習”で終わらせない
という視点でした。

音楽の学びを、
  音楽らしさに気づく感性へ。
家庭科の学びを、
  楽しさの中から自ら考えようとする姿へ。

授業者は
目の前の活動の向こう側にある、
生徒の成長の姿を見つめていました。


授業の生い立ち

授業は、突然できあがるものではありません。

一つの題材を選ぶまでに、
 先生の願いがあります。
一つの活動を残すまでに、
 捨てた選択肢があります。
一つの発問の裏には、
 生徒の表情を思い浮かべ続けた時間があります。

何を教えるのか。
どこで生徒が迷うのか。
何を削ぎ落とすのか。
どの瞬間に、生徒自身の気づきが生まれるのか。

先生たちは、
その答えのない問いを抱えながら、
一コマ一コマの授業をつくっています。


授業の向こう側

今回は、
事前の模擬授業に
生徒役として有志の生徒が参加するという
新しい試みも行われました。

先生が授業をつくる。
生徒の姿から、先生がまた学ぶ。
そして、その学びが次の授業へとつながっていく。

その静かな往還の中に、
授業研究の本当の意味があるように感じます。

生徒が主体的に学ぶ姿を求めて、
先生たちもまた学び続けています。
授業を見つめる。
生徒を見つめる。
自分の授業を問い直す。

一時間の授業の向こう側には、
先生たちの見えない時間があります。
迷いながらも、考え続ける姿があります。
生徒の成長を信じて、
 授業を少しでもよくしようとする願いがあります。

その積み重ねが、二中の学びを支えています。
そして、
生徒の学びを本気で考える先生たちの姿が、
二中の授業を少しずつ、
でも確かに前へ進めています。

いいなと思ったら応援しよう!