アラフィフ会社員|40代中頃で《管理職を卒業する》という生き方
こんにちは、dai-fukuです。
都内の広告会社に勤めて27年。現在49歳。
いわゆる“アラフィフ”の会社員です。
副業ライフも3年目に突入しました。
今回は、サラリーマン副業の最大の壁──時間。
その時間を取り戻すために、
私が選んだ「管理職を降りる」という決断について書きます。
40代、《他人の管理》に時間を費すばかりでいいのか?
管理職の仕事は、領域が広い。しかも、効率化しづらい。
勤怠や数字のチェック、トラブル対応、部下育成、評価面談、突発の不祥事対応、
上位方針の翻訳と実装、巻き戻し、やり直し──。
解は一つではなく、人ごとに違い、ケースごとに揺れる。
正解が更新され続ける世界。
出口が見えない。無限回廊。
責任はおもく、
気づけば、帰宅後も頭の中で案件が回り続ける。
…それでも「ある一定の年齢がきたら管理職」という固定観念に、
私も長く縛られていました。

肩書を捨て、社会に出よ
2年前、私は自ら管理職を外してほしいと申し出ました。
「本当にいいのか?」と何度も確認されましたが、
答えはYES。
結果、会議は1/3に減少。
日々の労務・評価・横断調整といった
“終わらない管理の仕事”から解放され、思考の可動域が戻ってきた。
驚いたのは、
肩書を外しても自分は消えないという事実。
むしろ会社の中での役割が明確になり、
必要なスキルとネットワークに一直線で投資できるようになりました。
社内の見られ方はどう変わったか?
最初は、社内からどう見られるのか気になりました。
しかし、その不安はすぐに払拭されます。
他の社員にとって、
一人の管理職が降りたことなど、いちいち気にされないのです。
みんな自分のことで精一杯。
まあ、そんなもんです。
もう一つの気づき
「この人は管理職を降りてまで、やりたいことがあるんだ」──
そう解釈される場面が増えました。
実際は“会社との距離感を整えた”側面もありますが、
意志のある選択として受け止められ、むしろ話が通りやすくなった。
今の時流にも合っていたのだと思います。
手当を捨て、自己投資を増やせ
経済合理性の話も正直に話します。
管理職を降りたことで、これまで自動的に振り込まれていた
《管理職手当》は無くなりました。
しかし、あくまでも私見ですが
あの管理職手当、
精神的・時間的コストで換算しても
正直、割に合わない!
逆に言えば、管理職手当が支給されている、
という既成事実一つで
40代以降、人生の大切な時間と多くのチャンスを
会社に奪われている気すらします。
わたしは、管理職を辞めたことで時間と気持ちの余裕が生まれ
複業による自己成長に本格的に取り組んでいます。
おかげさまで、
年収ベースでいうと複業収益が管理職手当をカバーしています。
同じ収入でも、
自動的に振り込まれる管理職手当と、自分で掴み取った副業収益では
全く価値が違います。
残りの時間、他人の管理に使うか、自分の未来に使うか
定年まで残り10年。
その10年を「他人の管理」に費やすのか、それとも「自分の未来」に使うのか。
会社員の常識では
管理職になることはサラリーマンとして集大成
誰もが目指して当然のステータス
管理職になれないことは、サラリーマンとしての欠陥を意味する
言葉に出して言いませんが、
なんとなく、そんな暗黙知が横たわっている気がします。
でも、本当にそうでしょうか?
もちろん、管理職を目指して、
そこにやりがいや喜びをお持ちの人も多いと思います。
でも、全員がそうでなくてもいいはず。
家族の人生も含めて、自分の未来をどう生きるかは、自分で決めていい。
何かを得たいなら、それ相応の何かを捨てる勇気が必要。
アラフィフのキャパシティは、
自分が過信しているほど広くないのだから。

提案:40代半ばになったら、管理職を卒業しよう
管理職は会社にとって必要です。
ただし、自分の人生に必須かどうかは別問題。
わたしの実感として、
管理職は人生経験として2〜3年やれば十分じゃないでしょうか?
定年までの10年。
他人の管理に費やすのか、自分の未来に投資するのか。
肩書を捨てよ、社会へ出よう
その一歩が、自分のための時間と、新しいキャリアを生み出すのだと思います。
では、また次回
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