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そしてみんな40になった②:平成を担った四十路達

前回に引き続き、ミュージシャンが40歳に到達するときにどんな作品が発表されてきたかを40名分追っていく記事となります。

▼前回はこちら

そしてみんな40になった

作成条件

  • 曲の著作者(歌手、バンマス、作曲家)いずれかが40歳の誕生日を迎えた前後に発表した曲

  • 作品の構想時期などは不問とし、あくまでリリース日を軸に、最長でも誕生日情報から前後1年以内で、最も誕生日に近い楽曲を選出

  • 誕生日は、Webでヒットする情報を参照

  • 1アーティスト1曲のみとすること

  • 40名分までの選出とすること

  • 曲順は若い方が先に

  • 2025年3月末時点で完成


連載の章立て

計40名のアーティストを紹介していくにあたり、普段の文章量ではファットな記事になりそうなので分割しています。
プレイリスト作成中はあまり意識しなかった和暦を意識した章立てをしています。

①「平成を超えた人達」:〜1980年生まれ
②「平成を担った人達」:〜1970年生まれ
③「平成を作った人達」:〜1960年生まれ
④「伝説を作った人達」:1959年生まれ〜

プレイリストガイド「そしてみんな40になった」②

今回は、1970年代生まれの人々を「平成を担った人達」として追ってみたいと思います。

藤原基央(BUMP OF CHICKEN):1979年4月12日

↓2019年
「流れ星の正体」

10年区切りで捉えると、RADWIMPSの上世代にバンプが並べられる(10歳離れてるという意味ではないですよ、ご注意)のは非常に分かりやすいですよね。
音楽の道みたいなものって、こうやって継承されていくんだな、みたいな。

サカナクションほどではないものの)寡作で知られるバンドですが、フロントマンの藤くんが40歳を迎える頃にはアルバムも9枚目となっていました。
「天体観測」ブレイクの頃なんかは、もっとこう、ささくれだったイメージが強かったんですが、最近の曲やライブの姿にその印象はありません。
本人達と、周囲と、ファンが、そのささくれ、あるいはかさぶた、ですかね?を年月を掛けて取り除いていったのが現在の形なのかなと感じます。

この曲は、音源リリース前に彼が40歳の誕生日を迎えたタイミングで、サプライズのように弾き語りバージョンが公開されたそうです。


上原ひろみ:1979年3月26日生

↓2019年
アルバム「Spectrum」

1979生でもう1人。
ピアノひとつで世界中を魅了する彼女が10年ぶりに2作目のソロピアノアルバムを発表したのが40歳の時です。

その10年間には名だたるジャズの巨匠らとの共演やロックフェスへの出演、グラミー受賞、レキシネーム「おしゃレキシ」襲名など笑、数々の功績を重ねながらバンド形式でのスタジオアルバムを連作していました。

同じ1979年生まれですと、ミュージシャンではDragon Ash降谷建志も同級生。
シンガーソングライター七尾旅人も。
筆者の青年期はこの世代に支配されていたといって過言ではなさそうです。

椎名林檎:1978年11月25日生

↓2018年
獣ゆく細道 (×宮本浩次)」

椎名林檎の同学年として必ず挙げるべきなのは浜崎あゆみですね。
宇多田ヒカルと3人で、99年ブレイクの三大女性ボーカリストとして並べられる機会もよくあったかと思います。

林檎氏は40歳を迎えたこの年、東京五輪2020のクリエイティブチームに選抜される(後に解散しますが)など、邦楽界日本代表の一角を背負う立場にまで至っていました。
もはや紅白という場所すら次の遊び相手を探す縄張りのように扱えるほどに笑
そしてそのお仕事相手の一人となったミヤジのこの時の年齢は49歳!
いや動きのキレよ…

安藤裕子:1977年5月9日生

↓2017年
これでいいんだよ(feat.TOKU)」

同学年の女性歌手といえばCocco、そして安室奈美恵です。
さあ、このあたりから筆者の個人的な趣味も選出されていきます。
勝手にやらせてくださいね。

こちらは、彼女の音楽活動15周年記念に配信された一曲のひとつ。
歌い出しの歌詞がそのまま曲名になっていますが、こう並べることで四十路到達をそっと肯定してくれるような気がします。

振り返ると、この年の彼女には大きなトピックがありました。
それまでのレコード会社からの退所です。
当時の本人の心境を、今でも読むことが可能になっています。

芸能人が事務所を移籍したとかいうニュースって、他所から聞くとどうでもいい記事だなぁって思いがちですが、こと自分の好きなアーティストが、自分の年齢のときに起こしていたアクションとして捉えてみると、だいぶ身近な話題にも感じてきます。
ことクリエイティブの世界では、作品を作る感覚にも左右する大きな出来事だったのではないでしょうか。

安藤裕子さんはこの出来事を「夜明け前」と捉え、そして実際、以降の活動と作風はそれ以前と全く異なる方へ舵を切っていったのでした。

岸田繁(くるり):1976年4月27日生

↓2016年
琥珀色の街、上海蟹の朝」

くるりがヒップホップを"取り入れた"のは決してこの曲が初ではないんですが、「モノにした」という点でぶっちぎってる名曲ですね。

既に音楽の引き出しを次々と開けてきたキャリアの持ち主なのに、何度でも輝けるものですね。

同学年のミュージシャンは山口隆(サンボマスター)、KREVA、竹原ピストルほか多数。
あと論破王ひろゆきなんかも同学年。
曲者揃い。

岡野昭仁(ポルノグラフィティ):1974年10月15日生

↓2014年
「俺たちのセレブレーション」

ポルノの二人が40歳&デビュー15周年にリリースしたこの曲は、曲名もズバリといった形で、バンドの歴史を振り返る歌詞を載せながら、しかし曲調には、誤解を恐れずにいえば露骨なダサさを感じます。

平成後期のCD不況とデビューが重なった世代って、その前後のミュージシャン達と異なる苦悩を抱えていると思うんですよね。

初期ポルノが「アポロ」のメジャーデビューからロケットスタートして「サウダージ」「アゲハ蝶」といったヒットを重ねるまでの動きをテレビ越しに眺めてきた人って多いと思うんですが、あの頃にスマッシュヒットを送っていた数多のアーティストの中で、どの存在が令和になってもドームツアーが出来るほど巨大な規模を維持できるか想像できる人なんていなかったんじゃないでしょうか。

筆者も特に追っていたバンドではなかったのですが、2019年に東京ドーム公演を観る機会があり、大きく印象が変わったのでした。
ポルノって、もしかして誰かがやり続けなければいけなかった「Jポップ職人芸」のようなことをデキてしまう&やるしかない立場だったんじゃないかと。
そう思うと、この曲の痛さにも美学を感じます。

なお、1974年生には、レキシのおじちゃん(池田貴史)、Nujabes、映画「国宝」監督の李相日などが存在します。

五十嵐隆(Syrup16g):1973年6月1日生

↓2013年
「Hurt」(2014年8月リリース)

あああ、これも正確な条件(誕生日から前後1年以内の発表)から外れてしまっている。。。
許してくださいよ、彼をこのプレイリストに入れないわけにはいかんですのよ

Syrup16gというバンドは、2008年に解散しました。
はい、したんですよ、1回、きっちり。

武道館での解散ライブは、個人的には筆者の大学卒業とも重なるタイミングでした。
在学中に曲を知り、歌詞にぶっ刺さり、音楽にどっぷり沼ってたら、あっという間にロクでもないキャンパスライフを終えてしまった自分自身も、バンドから卒業して社会と戦っていかなければならないという覚悟を感じる夜でもあったんですね。

その後、五十嵐隆はソロプロジェクト「犬が吠える」に失敗し、世界のどこからも生存確認ができない年月を過ごしました。
彼の歌に支えられながら生き続けたファンは「生きてさえいてくれれば」と無責任な心配だけしながら、社会と奮闘を続けていました。

そんな彼が40歳を迎える2013年、自身のフルネーム名義で「生還」という名を冠したコンサート開催を発表。
当日、暗闇から鳴り響く大名曲のイントロと、彼の生存確認を実感する歌声に感涙する間もなく、暗幕の向こうから彼と共にステージに現れたのはSyrup16gの二人だった。
・・・なんて出来過ぎた感動だったのでしょう。

しかし、これでSyrup16g復活か!と簡単に陽気になれるほど古参のファンはちょろくありません。
まずは生きていたことが確認できた、そして一夜のためにしっかりギターを練習して(笑う)、ステージに立つ彼を確認できた、それだけで先ずは安心できました。
何より、武道館で彼らの卒業を見送った自分たちもまた「生還」していたことを実感できた。

バンドの再開を実感したのは、やっぱり翌年のアルバム発表と新譜MVだったと思います。

ラスサビで2人に合流するところが、いま見てもアツい。
以降このバンドは、解散前の全員黒髪で仏像のようだった古参も、解散後に加わった若くて元気な新参も、ともに巻き込みながら、健康的な音楽活動を続けています。

なお、1973年生には向井秀徳大泉洋新海誠堺雅人、片桐仁(ラーメンズ)などがいます。
濃い!

rei harakami:1970年12月10日生

↓2010年
「僕は君に恋をする rei harakami remix」(平井堅)

電子音楽の世界で唯一無二と言って良いのではないでしょうか、その音を聴くだけで誰の作ったものかが分かる、シグネチャーを持った人物というのは。
彼のディスコグラフィーに個人の名で最後に残ったのは2005年の名盤「lust」というのは実に意外で、リリースは寡作でも同業者に知らない人はいなかったであろう人気ぶりがあり、様々なアーティストのリミックスで彼の作品に触れることが可能となっています。
筆者も確か、存在を知ったのはくるり「ばらの花」リミックスだった記憶。


40歳のタイミングでの仕事のひとつとして残っているのが、この平井堅のリミックスです。
良トラックなのは間違いなく、しかし特段の記念的な作品でもなく、まるで石野卓球みたいに沢山の仕事からこれからもこの音が聴けるんだろうとみんなが思っていたんじゃないでしょうか。

41歳を待たずに急逝したという出来事は、筆者にとっては初めての「好きなアーティストも、いずれ亡くなる」という至極当たり前の絶望的な現実でした。

…というか同年にインディーズでリリースされた「川越ランデヴー」という大名曲があるんですよ!
U-zhaanとの共作の。
そろそろサブスク解禁とか、していただけないでしょうか🦱🪘


桜井和寿(Mr.Children):1970年3月8日生

↓2010年
「SENSE」

さあ、1970年生からもう1名。
ついに桜井さんのところまで到達しました~、この企画。

実のところ、この年齢縛りでプレイリストを作りたくなった発端は、彼が30歳を迎える2000年にアルバム「Q」を発表したという事実からなんですよね!
中学3年生という、エンタメが人生で最も影響を及ぼすといえるタイミングで、ミスチルのこのアルバムをリアタイで受け取ることが出来たのは、自分を形作るピースのひとつだったものと断言できます。
「DISCOVERY」でも「It's a Wonderful World」でもなく「Q」なのがね。

どこまでも話を逸らせそうなので「SENSE」に話を戻すと、センセーショナルだったのがアルバム発表まで詳細情報が秘匿されたままプロモーションがなされたことでした。
30歳がミスチル史上最も奇天烈なアルバムを残したタイミングのところ、40歳では最も奇天烈な発表方法を採用したという。

まあそのマーケティングが珍しかったというよりは、ミスチルがこのやり方でリリースするとこんなに期待が高まるものなのかというところで、本当にワクワクしていた思い出が蘇ります。

蓋を開けられたこのアルバムは、1曲目「I」の暗く冷たい音像から「深海」期を彷彿とさせる乾いたロック色を纏いながらも、「365日」「fanfare」などの30代にバンドが根付かせてきた心温まるポップも織り交ぜた、彼らにしか出来ないバランスで築かれた1枚となっていました。
「Prelude」という曲では、バンド史を歌詞に織り込むという技も使われているのが、先述のポルノグラフィティと重なって面白いところです。

ちなみに1970年同級生としては、西川貴教(T.M.Revolution)、河村隆一(LUNASEA)、同じ桜井姓ではカービィやスマブラでお馴染みのゲームクリエイター桜井政博、筆者の趣味から挙げると映画監督のクリストファー・ノーラン、宮藤官九郎などが存在します。
錚々たるメンツ。。。


一気に9名分進めました。
やはり40歳という節目には何かしらの因果がありそうです。
あと27名!

引き続き、ご愛好のほど。

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大豆柴 まさかとは思いますが、もし戴けたのであれば、謹んで愛犬のおやつ代とします。笑