成人した子どもへの影響②親が未成熟だった時、子どもはどう傷つくのか。
母としてできたこと
■ 息子に「本当のこと」を伝えた日
夫婦相談から2週間後、私は自宅で息子と向き合うことになりました。
そのとき初めて、息子が突然私の母と弟の家へ向かった理由が分かりました。
息子は、父親から言われたことを私に一切話さず、ただ自分の気持ちを整理するために、安心できる場所へ行ったのだと思います。
父親の言動が、息子にどれほどの心理的負担を与えていたのか——
その重さを思うと、胸が締めつけられるようでした。
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■ 私が息子に打ち明けられなかった「26年間の本当のこと」
私はこれまで、息子には 夫婦間で起きていたことの“核心部分” をあえて話していませんでした。
理由はただひとつ。
子どもの心に、父親との関係に、深い傷を残したくなかったから。
けれど、息子の状況が変わり、父親と密に関わらざるを得なくなった今、
もう隠し続けることで息子を守れる状態ではない——
そう感じるようになりました。
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■ 息子が抱えていた「言えなかった気持ち」
息子は、父親に言われた言葉を私に伝えず、ひとりで抱え込んでいました。
幼いころから優しく、周りを傷つけないように生きてきた息子。
自分が“言えば壊れてしまう何か”を、 intuitively(直感的に)感じていたのかもしれません。
息子の沈黙の裏にあった葛藤を思うと、私はようやく決意しました。
「隠していたことを、全部話そう」
■ 息子に聞かされた「夫の言葉」
夫婦相談を終えて、ようやく気持ちを落ち着かせようとしていた頃のことです。
息子から思いがけない話を聞きました。
夫が息子に、
「これから離婚すると思う」「いずれ家を売るつもりだ」
と突然伝えていたというのです。
息子はまだ23歳。ブラック企業を退職し、資格取得を目指して生活を立て直している最中でした。私が引っ越して家を出たタイミングと入れ替わるようにして、現在は夫と二人暮らしです。
不安定な状況で、こうした言葉だけが投げかけられたことに、私は大きな不安を覚えました。
■ 息子のこれまで
息子は家庭内の緊張を感じながらも勉学に励み、大学へ進学しました。
卒業後は地元企業に就職しましたが、過重労働や閉鎖的な職場環境に悩み、次第に限界が見え始めていました。
退職の意思を伝えても引き止められ続け、心身の負担は重くなっていくようでした。
そしてある日、再度退職の話をするため向かう途中で、会社の車をぶつけてしまいました。
私は「心が決まっているなら、辞める日をはっきり決めてきなさい」と伝えました。
夫は「乗り越えるべきだった」という考えでしたが、私は無理をする時期ではないと判断しました。
■ 不安だけを残した「家を売る」という宣言
夫婦相談の2週間後、息子はこう話しました。
「離婚すると思うから、この家はいずれ売るって言われた」
まだ何も決まっていない段階での発言です。
息子の状況を考えると、必要なのは不安ではなく、生活基盤を整えるための支えの言葉だったのではないかと思います。
私は息子に、私が考えていた選択肢を丁寧に説明しました。
家を売るつもりはない(財産分与は現金でやり取り)
仮に売却してもマイナスか利益は大きくなく、賃貸など別の居住先を確保する方針
息子が生活に困ったときの避難先はいくつもあること
就職直後は賃貸審査が通りにくいため、私と一緒に公営住宅に住めるように申し込むなどサポートする
息子はそれを聞いて安心した様子でした。
■ 夫が語った「離婚理由」を聞いて思ったこと
息子から、夫が話したという離婚理由をいくつか聞きました。
私の手術後、夫が濃厚接触者だったことを私に知らせなかった件
他人事の軽い反省
(夫は自分がコロナの濃厚接触者だと知っていても気にせず、夕食をともにし、その後に発熱しても私が「コロナでは?」と心配しても、同じ部屋に居座り、喧嘩になった)私が夫からコロナ感染し体調不良で、回復した夫に食料の買い物を頼んだ際の行き違い
(菓子パンのお使いができない)LINEで写真を送る際の写真の撮り方について注意した件
(頼んだものも買って来れないから、写真を撮って確認したいと依頼。しかし確認できないため、取り直しを求めた)
いずれも、生活の中で生じた認識のずれや価値観の相違に関するものでした。
それ自体よりも、家庭内の複雑な状況を息子が単純化された形で受け取ってしまうことが気がかりでした。
■ 息子に伝えた「私の選択」と「真実」
私はこれ以上息子を不安にさせないため、必要な範囲で説明することにしました。
私は命を守るため安全のため別居を選んだこと
夫婦相談で指摘された点を踏まえ、今後の方針を考えていること
息子が生活に困った場合、居場所を確保してあること
本当は、父親の未熟さを息子に見せたくありませんでした。
しかし、息子の生活に影響が出ている以上、隠す段階ではなくなったと判断しました。
■ 妹にも26年間の経緯を初めて話した
息子の大学進学時、都心のマンションを無償で貸してくれた妹にも状況を報告しました。
これまで話せなかった26年間の出来事を、順を追って淡々と伝えました。
妹は静かに聞きながら、「早く言ってくれればよかったのに」と言ってくれました。
そして、「お母さんは、なんで離婚しなさいと言わなかったんだろ!こんなに酷い扱いされてたのに!」と母の価値観にも怒っていた程です。
私が負の連鎖から脱した今は分かります。
母は自己犠牲と、誰かに依存して生きていたから。私の助け方も"耐える"しか方法が見つからなかったのです…
話す内容は相手に応じて変えています。
息子には結婚してから味方がいなかった家庭生活の問題を中心に。
妹には生活上の具体的な出来事と、第三者からの指摘も含めて説明しました。
■ 息子の言葉と、私の気づき
息子に黙ってきたのは、父親を嫌いになってほしくなかったからです。
流産の一件は、離婚案件です。
そもそも温泉は妊娠初期はタブーです。
しかも風邪で熱もあり点滴もしてるのに、夫は姑にキャンセルをさせるように言わなかった。それは自分が怒られないための保身にしかみえない。
結婚してから私の味方は居ない。声が届かない。
長距離と体調不良でも、私がキャンセルすると幼児の息子も一緒にキャンセルすることになる、そうすると姑は悲しむ。
きっと夫はそう考えて自分の母を優先したのでしょう。
そして、旅館で破水したかもしれないのに、病院に行かせてくれず黙っているように言われました。
姑に知られると、心配させるから黙っててと言われました。
流産後、2人からは謝罪や反省の言葉はなく、逆に責任転嫁されて、わたしは責められ、おなかの子の痛みのほかに追い討ちをかけて、深い悲しみを味わいました。
流産した事を隠していたのは、この2人の行動を隠すためだったと、子供に初めて話をしました。
私も小さな命も大切にしてもらえず、責任転嫁され、父の死の事まで責める材料にされ、どんなに傷ついたか。
それでも、再構築しようと20年頑張りました。
夫は、その後もあの子に一度も手を合わせることも話題にすることもない。一度も非を認める事もありませんでした。
その解決できてない深い悲しみがあるなか、
さまざまな出来事が積み重なって今日まで来た。
夫が息子に話をした内容、おつかいの買い物が上手くできなくて注意されて嫌だったから離婚する。
そんな小さな話ではないと、伝えました。
1年に2度も手術したのに、私の命を大切にできないからだと。
何度も私の命を粗末に扱われたから。
元々、夫がずっと前から離婚したいと言っていて、
それでも父として夫としての責任から逃げないようにして欲しくて変えようとしたけれど、それは叶わなかったと伝えました。
そして息子はこう言いました。
「ずっと感じてた。この夫婦には何か大きな問題があるって」
そして、
「もっと早く言ってくれればよかったのに」
「もっと早く離婚すればよかったのに」
私は、何度も離婚を考えたけれど、お父さんは誠実な人ではないから。
約束を守れない人だから、養育費が途切れることが怖くて我慢し続けていたと伝えました。
おばあちゃんにも、『子供のために離婚は避けないといけない』と説得されたんだ。私も約束の養育費が滞るのは大変だと思って踏ん張ってた。と伝えました。
※公正証書での支払いが滞ったら給料差し押さえできる仕組みを知ったのは最近のことです。
今振り返れば、それも自己犠牲の一部だったのだと思います。
■ 母として、果たせたと思う責任
夫と暮らした26年の間に体調を崩し、何度も手術を受けました。
それでも胸を張れることがひとつだけあります。
息子を奨学金なしで大学へ通わせることができたこと。
◎給付型奨学金は「高校生の進路選択時点ではまだ制度が整っていなかった」
息子が高校生の時、給付型奨学金の制度はまだ確立する前でした。
制度が本格的に始まったのは、ちょうど息子の大学進学年度。
そのため 進路を決める段階では十分な情報がなく、制度利用を前提に進学計画を立てることはできませんでした。
当時の私は「奨学金=返済が必要な貸与型」という認識が強く、
息子の将来の負担を増やしたくないという思いがありました。
返済型奨学金は、言い換えれば「借金」です。
結婚、住居取得、ローン審査などにも影響する可能性があります。
だから私は、できる限り親の責任として負担を引き受けたいと思ったのです。
■ 今後のこと — 離婚調停へ
相手は情緒的に未熟な人、夫婦間で冷静な話し合いを続けることが難しい状況のため、
弁護士に依頼し、調停を進める予定です。
焦って結論を出すのではなく、息子の生活が落ち着く時期を見ながら進めようと考えています。
息子と妹は、話した内容だけで「これは離婚すべき状況だ」と判断していました。
私自身も、ようやく同じ結論に辿りつくことができました。
■ ChatGPTで得た気づき
最近、長年抱えていた身体の違和感を相談したところ、
“普通”だと信じ込んでいたことが、実はそうではなかったと知りました。
ずっと自分の感覚より相手を優先していたのだと思います。
気づかないまま、自分をすり減らしていた——その事実にようやく向き合えました。
■ 息子は私よりずっと早く“自分を守る術”を身につけていた
息子は幼い頃から、家庭内の空気を読み、自分の身を守る方法を自然と身につけていました。
私は52年かけ、ようやくその重要性に気づきました。
祖母も母も、自己犠牲を手放すことができませんでした。
ようやく私の代で、その連鎖を断ち切れた気がしています。
これからは——
「耐える生き方」ではなく、「自分と息子を守る生き方」へ。
静かに、しかし確かに、人生が動き始めています。
〜その後〜
私は母へ電話をして、母と弟へのお礼と息子の様子を聞きました。
どうして突然息子がお婆ちゃんの家(私の母と弟)に会いに行ったのか分かったと話をしました。
息子は夫に離婚と家が無くなる話を伝えられて、1人で処理しきれない感情を何も伝えずにいた事。
これから息子が辛くなって訪問した際は他愛もない話で励ましてもらえるようにお願いしました。
私の母も弟も妹夫婦も皆んな息子を大事に思ってくれて本当に幸せです。
■ 今、ようやくスタートラインに立てた気がする
誰かのために黙って耐えることは、時に美徳に見えるかもしれません。
でも、家族や子どもの幸せを守るためには、「真実を共有すること」が必要な場面があります。
息子と話をしたあの日、私はようやく “本当のスタートライン” に立てた気がしました。
これは私自身の人生を取り戻していくための、ひとつの節目でもありました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
同じように「誰にも言えない苦しさ」を抱えている方が、
この文章のどこかに小さな灯りを見つけてもらえたら嬉しいです。
匿名でも受け付けてくれる女性相談支援センターや精神保健福祉支援センターが各都道府県にあります。
もし、この記事が何かの気づきや勇気につながったなら、
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これからも、
“耐える生き方から、自分を守る生き方へ”
その過程を丁寧に記していこうと思います。
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