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恋する表参道 第2部

・第1部は下記です

恋する表参道 第2部
by Ryoji M.

第2部 夕暮れの渋谷と影の目撃者
第1章 18時のハチ公前

約束の土曜日。

時刻は17時50分。

昼間の爽やかな日差しが嘘のように、渋谷の街は徐々に薄紫色の夕闇に包まれ始めていた。

ビル群の隙間から差し込む茜色の光が、忠犬ハチ公像の周囲に集まる無数の人達の影を作っている。

『…よし、服装は問題ないはずだ』

僕は、自分の半袖のサマーニットとスラックスを見下ろし、小さな息を吐いた。

表参道のカフェでメアさんに「子供じゃん」と笑われたのが、よほど悔しかったのか、今日の僕は、大学1年生の幼さを少しでも消そうと、慣れないシックな色合いで全身を固めていた。

もちろん、彼女に

「あっ、今日はちょっと大人っぽいね!」

と言わせるための、僕なりの理論に基づいた最強のコーディネートだ。

「ショウスケくん!」

僕がぼんやりとしていると、混雑する人ごみの中から、澄んだ声が響いた。

振り返った僕は、思わず息を呑んだ。

人波を縫うように歩いてくるメアさんは、前回の可愛らしいワンピースとはガラリと印象を変えていた。

肩が少し露出した黒のオフ・ショルダーのトップスに、タイトなデニム。歩くたびに揺れるロングヘアと、夕闇に映える白い肌が、どこか浮世離れした妖艶さを醸し出している。

周りの通行人たちが、思わず振り返って彼女を見ているのが分かる程の美しさ。

「待った?」

「いいえ、僕も…ちょうど今来たところです」

僕は、必死に平静を装いながら答えた。

メアさんは、僕の前に立つと、つま先立ちになって、僕の顔をじっと覗き込んできた。

「ふーん…今日のショウスケくん、なんか気合入ってない?」

「…べ、別に普通ですよ。渋谷ですし…これくらいは」

「ふふっ、可愛いところあるじゃん」

メアさんは、満足そうに微笑むと、すっと視線を下げた。

僕のサマーニットの袖口…つまり、手首から肘にかけてのラインに、彼女の妖しい瞳が固定される。

「…うん。やっぱり素晴らしいわ。今日の夕暮れの光、あなたの腕の血管をすごく綺麗に浮かび上がらせてる!」

「…っ、待ち合わせ早々、またそれですか…」

僕は、思わず腕を後ろに隠そうとしたが、それより速く、メアさんは僕の右手首をキュッと掴んだ。

冷たい、けれどどこか心地よい彼女の指先が、僕の脈拍に触れる。

「逃げないの!さ、行こっか。今日はちょっと雰囲気のある店を予約してあるから」

「雰囲気のある店…ですか?」

「そう。大人の街・渋谷の、秘密の隠れ家」

メアさんは、そう言って悪戯っぽくウインクすると、僕の手首を掴んだまま、夕闇が深まる渋谷の雑踏へと歩き出した。

彼女の引く手に引かれながら、僕は、心の中で冷や汗をかいていた。

『秘密の隠れ家…? ヴァンパイアの巣窟か何かじゃないだろうな…』

理屈ではただのカフェやバーだと分かっていても、彼女の妖しげな魅力と「血管フェチ」という異質な嗜好が、僕の理性を狂わせていく。

しかし、この時の僕はまだ気づいていなかった。ハチ公前の交差点の喧騒の中、少し離れた街灯の陰から、僕たちをじっと見つめる鋭い視線が存在していることに…。

第2章 薄暗いバーで
ハチ公前から道玄坂の雑踏を抜け、怪しげな路地へと足を踏み入れる。

ネオンの光が届かない雑居ビルの地下へ続く階段を降りると、そこには重厚な木製のドアがあった。

カラン、と控えめな鈴の音が響く。

店内に一歩足を踏み入れると、そこは、外の世界とは完全に切り離された薄暗い空間だった。

柔らかく薄暗い照明。

ジャズの低いベースライン。

そして、ほのかに漂うアロマと酒の香り。

「いらっしゃいませ」

バーテンダーに案内されたのは、店の最奥にある落ち着いたテーブル席だった。

「ここ、知り合いに教えてもらった隠れ家なんだ。どう? ショウスケくんには、ちょっと大人すぎたかな?」

メアさんは、ソファーに深く腰掛け、足を組みながら優越感に浸った笑みを浮かべる。

「…いえ、すごく雰囲気が良くて素敵な店だと思います」

僕は背筋を伸ばし、努めて平静を装った。そして、テーブルのメニューを開くと、カクテルの名前がずらりと並んでいた。

「私、ブラッディ・マリーにしようかな」

「…ぶ、ブラッディ・マリーですか?」

『血のブラッディ…やっぱり狙ってるのか…?』

戦慄する僕をよそに、彼女は、指を鳴らしてウエイターを呼び、手短かに注文を済ませると、テーブルの上に肘をついた。

やがて運ばれてきた…真っ赤な色の…カクテル。

薄暗い店内のスポットライトが、グラスの中の赤い液体を妖しく照らし出す。

「ショウスケくんは?」

「あ、僕はライム・ジュースで…」

「ふふっ…お酒はまだダメだもんね。真面目なところ、嫌いじゃないよ」

メアさんは、グラスの縁を指先でなぞりながら、赤い液体を一口含んだ。そして、彼女の潤んだ瞳は…ゆっくりと僕の腕へと落ちていく。

「…ねえ、腕、出してみて?」

「…ここで、ですか?」

「いいから、早く」

拒否権を与えないような強い視線に負け、僕が左腕をテーブルの上に出すと、メアさんは、待っていましたと言わんばかりに自分の手を伸ばしてきた。

ひんやりとした彼女の手指が、僕の前腕をなぞる。

「…やっぱり、このお店の照明、正解だわ」

「え…?」

「暗い照明の下だとね、皮膚の陰影が際立って、青い血管のラインがすごく立体的に浮かび上がるの…もっと見せてごらん」

メアさんは僕の腕をぐっと引き寄せ、自分の顔に近づけた。彼女の温かい息が、僕の腕の皮膚に吹きかかる。

「綺麗…浮き出た脈拍が、トクトクって動いてるのが目で見える…たまらないわ」

「っ…メアさん、近いです…!」

胸の鼓動が高鳴り、それに連動して血管の拍動も早くなっていくのが分かった。

理屈で自分を保とうとしても、目の前の美しい女性に腕を弄ばれる状況に、脳のキャパシティは限界を迎えていた。

その時だった。突然、僕は、自分の背後から、刺すような冷たい視線を感じた…。

第3章 視線の正体
背中に突き刺さるような、あきらかな違和感。それは、ただの客が流す視線じゃなかった。

僕の背筋に、サワサワと不快な冷や汗が伝う。

「…ショウスケくん? どうしたの、急に固くなっちゃって」

僕の腕を指先でなぞっていたメアさんが、不審そうに眉をひそめた。

「…いえ、なんだか…誰かに見られているような気がして…」

「見られている? こんな薄暗い店で?」

メアさんは、クスリと笑い、僕の手首を少し強く握り直した。

「自意識過剰じゃない? 大丈夫よ、みんな自分の酒に夢中だから。…それより、ほら。緊張して脈が速くなってる。可愛い…」

彼女は、面白がりながら、僕の脈拍を指先で確かめている。

だけど、僕の勘は間違っていなかった。

理屈じゃない。これは本能的な危険信号だ。

僕は、メアさんに気づかれないよう、グラスの水滴を拭うフリをしながら、店内を映し出す壁面の大きなミラーをさりげなく仰ぎ見た。

照明が落ちた店内。

カウンターの端、暗がりにぽつんと座る一人の男の姿が鏡に映り込んでいた。

体格の良い男だ。派手な柄のシャツの上にジャケットを羽織っている。

男は、グラスを手に持ちながら、一口も飲もうとせず、鏡越しにじっと僕たちのテーブル…正確には、メアさんの方を睨みつけている。

『…なんだあいつ? メアさんの知り合いか…?』

男の目が、ギラついた怪しい光を放っている。

到底、偶然居合わせただけの客には見えない。

その時、男がポケットからスマートフォンを取り出し、画面を操作しながら不敵な笑みを浮かべた。

「…メアさん」

「んー? なに?」

うっとりと僕の腕の血管を鑑賞していたメアさんに、僕は、声をひそめて囁いた。

「…カウンターの端にいる柄シャツの男の人、知り合いですか?」

メアさんの手が、ぴたりと止まった。

彼女は、一瞬だけ表情を強張らせると、僕の言葉を聞かなかったかのように、ゆっくりと自分のカクテル・グラスを口元へ運んだ。

「…見ちゃダメ」

グラスの陰から聞こえた彼女の声は、先ほどまでの妖艶なトーンとは全く違う、氷のように冷たく低いものだった。

「…メアさん?」

「知らない男よ。…ううん、正確には、つきまとわれてるだけ」

「つきまとわれてる…? ストーカーですか!?」

僕が思わず声を張り上げそうになると、メアさんは、素早く僕の口元に自分の人差し指を押し当てた。

「しーっ! 声が大きい」

指先から伝わる彼女の体温が、かすかに震えているのを僕は見逃さなかった。あの強気で上から目線なメアさんが、怯えている?

「…あいつら、最近ずっとしつこいのよ。モデルのバイトの件でさ…」

メアさんが言いかけたその時、カウンターの男がゆっくりと立ち上がり、僕たちのテーブルに向かって歩き始めた。

第4章 理屈と本能
足音が、一歩ずつ近づいてくる。重く不快な足音が、店内に流れるジャズの旋律をすこしずつ塗りつぶしていく。

「やあ、メアちゃん。こんなところで奇遇だね」

テーブルの脇に立った柄シャツの男は、粘りつくような笑みを浮かべながら見下ろしてきた。大柄な体に染み込んだ…安っぽいコロンの匂いが鼻をつく。

「…何の用かしら?私、今お友達と大事な話をしてるのだけど」

メアさんは、背筋を伸ばし、先ほどまでの怯えを完璧に隠して言い放った。冷徹なまでの凛とした態度。

だけど、テーブルの下で僕の服の裾をぎゅっと掴む彼女の指先は、小さく震えている。

「冷たいこと言うなよ!この前の契約の話、まだ終わっていないだろ? 社長もさ、メアちゃんに戻ってきてほしいって言ってるんだよ」

「断ったはずよ。あれはモデルの仕事じゃないわ!ただの悪質なスカウトじゃない」

「ハッ、今更なに言ってんだか。ウチの事務所が、お前にいくら突っ込んだと思ってんだ?」

男の手が、強引にメアさんの肩へと伸びる。

その瞬間、僕の頭の中で何かが…フッと切れる音がした。

理屈じゃない。

地方から出てきたばかりの、血を見るのも苦手で、彼女に「DT」だとからかわれていた気弱な大学1年生の僕。

そんな論理的なブレーキを一瞬で吹き飛ばすほど、目の前の状況は明確だった。

「…手を離してください」

僕は立ち上がり、男とメアさんの間に割り込んだ。

「…あ?」

男は、心底うっとうしそうに僕を睨みつけた。

「なんだ小僧。引っ込んでろよ、ガキが」

「ガキではありません。…それに、彼女は嫌がっています。刑法208条の暴行罪、ならびに各都道府県の迷惑防止条例違反に該当する可能性があります。これ以上まとわりつくなら、警察に通報します」

早口でまくし立てる僕の言葉に、男は、一瞬呆気にとられたような顔をした後、顔を真っ赤にして苛立ちを剥き出しにした。

「チッ…ガキが理屈こねてんじゃねえよ!」

男が僕の胸ぐらを掴もうと手を伸ばした、その時。

「ショウスケくん、逃げるわよ!」

メアさんは、テーブルの上に一万円札をパン!と置き、お会計を済ませた。そして、メアさんは、僕の手首を強く引っ張った。

「え…!?」

「いいから走って!」

彼女は、テーブルの上のグラスをわざと倒し、ガシャンという派手な音で店内の視線を集めると、僕の手を引いて一気に地下階段へと駆け出した。

「あ、待ちやがれコラ!!」

慌てて尻もちをついた男が起き上がる。背後で男の怒号と、椅子の倒れる音が響く。

僕の腕を握るメアさんの手のひらは驚くほど熱く、そして、彼女の皮膚の下で…ドクドクと激しく脈打つ彼女の血潮が、僕の皮膚へと直接伝わっていた。

第5章 裏道の疾走
地下の重い空間を抜け出し、僕たちは渋谷の冷たい夜気の中へと飛び出した。

「待て! 逃がすかよ!」

背後から階段を駆け上がってくる男の荒い足音と怒号が響く。

「ショウスケくん、こっち!」

メアさんは、ヒールを脱いで、迷いのない足取りで…ネオンの光すら届かない…裏路地へと僕を引っ張っていく。

雑居ビルが密集する渋谷の暗がり。複雑に乱立する路地は、まるで巨大な迷路のようだ。

「はぁ…っ、はぁ…っ!」

僕の胸は、破裂しそうなほどに激しく高鳴っていた。

『僕が…夜の渋谷を逃走するなんて…どんな確率の事件だ…!?』

理屈で現実を処理しようとする僕の脳は、完全にオーバー・ヒートしていた。だけど、僕の右手を握るメアさんの手のひらから伝わる強烈な「生の脈動」が、僕の脚を前へと動かし続ける。

ドクッ、ドクッ、ドクッ…。

彼女の血管を流れる血液の振動が、皮膚を通じてダイレクトに僕の脳へと伝わってくる。血を見るのはあんなに苦手なのに、彼女の脈拍の力強さは、不思議と僕に恐怖以上の鼓動を与えていた。

「こっちの角を曲がって…!」

メアさんは、角を曲がると、雑居ビルの隙間にある搬入口の暗がりに僕を押し込み、自らもそこに身を滑り込ませた。

二人の体が、息が触れ合うほどの距離で密着する。

「…しっ、しーっ…!」

メアさんが僕の口元に手のひらを当て、息を潜める。

直後、荒い足音が路地を通り過ぎていった。

「チッ…どこへ消えやがった…!」

男の声が遠ざかり、再び周囲に静寂が戻ってくる。

暗がりの中、街灯の微かな光がメアさんの顔を照らしている。

肩で息をする彼女の胸元が激しく上下している。妖艶に装っていた先ほどまでのメアさんはどこにもおらず、そこには、ただ、必死に恐怖と戦う一人の少女がいた。

「…行った、みたい…」

安堵の溜息をついたメアさんは、そのまま力尽きたように僕の胸元に寄りかかってきた。

「…メアさん、大丈夫ですか?」

「…ふぅ。生意気言った割に、情けないところ見せちゃったわね…」

自嘲気味に笑う彼女の体は、微かに震えていた。

僕の右手は、まだ彼女の手首を握ったままだ。
トクトクと、早鐘のように打つ彼女の綺麗な脈拍。

「…メアさん」

「…なに?」

「僕、血を見るのは本当に苦手なんです。気絶しそうになるくらい…」

僕は、乱れた息を整えながら、まっすぐに彼女を見つめた。

「でも…メアさんの血管を流れる血の音は、すごく…温かいんですね」

メアさんは、目を見開き、一瞬呆気にとられたような顔をした。そして、夜の暗闇の中でもはっきりと分かるほど、彼女の頬が赤く染まっていく。

「…なによそれ。生意気なガキのくせに…」

照れ隠しのように顔を背けたメアさんだったが、僕の手首を握り返す力は、先ほどよりもどこか強くなっていた。

夜の渋谷の片隅で、二人の高鳴る脈拍だけが、静かに重なり合っていた。

To be continued.

※良いね!をいただけた作品のみ連載を続けます…莫大な時間をかけて作った作品です。良いね!をいただけるとありがたいです。
よろしくお願い申し上げます🙇‍♂️。

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