恋する表参道 第3部
・第2部は下記です
恋する表参道 第3部
by Ryoji M.
第3部 真夜中の秘密
第1章 彼女の部屋
渋谷の喧騒と追撃者の影を振り切り、僕たちはメアさんに促されるままタクシーへと駆け込んだ。
車内を包む沈黙の中、流れる街灯の光が彼女の顔を交互に照らし出す。手首に残る熱い余韻が、いまだに消えない。
「…着いたわ」
タクシーが停車したのは、閑静な住宅街に佇むハイグレードなマンションの前だった。
オートロックを解除し、エレベーターで上がった先の角部屋。
ドアが開くと、ほのかにラベンダーの香りが鼻腔をくすぐった。
「入って。…足元、気をつけてね」
「…お邪魔します」
促されるまま足を踏み入れたメアさんの部屋は、僕の予想を大きく裏切る空間だった。
モデルのバイトをしているという言葉から想像していたような、華やかで派手な部屋ではない。
整然と並べられた書棚。
深みのあるウッド調の家具。
そして、どこか静謐な空気感。
『…ヴァンパイアの館、というよりは…』
部屋の奥にある大きなデスクに目が留まる。
そこには、分厚い専門書がうずたかく積まれていた。背表紙に躍る難解な漢字と英字の羅列…『解剖学テキスト』『臨床病態生理学』『末梢血管系図説』。
「…メアさん、これって…」
「あ…!」
僕の視線に気づいたメアさんが、慌ててデスクの上の本をバタバタと閉じ、上着で覆い隠した。
今までの余裕たっぷりで妖艶なお姉さんの顔は消え去り、そこには秘密を見破られて狼狽える一人の女の子が立っていた。
「見ないでよ! …まったく、勝手に物色しないの!」
「いえ、物色なんて…ただ、すごく専門的な本ばかりだなと…」
メアさんは頬を少し赤くしながら、そっぽを向いて小さく溜息をついた。
「…喉、乾いたでしょ。お茶でも淹れるわ。そこに座ってて」
そう言ってキッチンへ向かう彼女の背中を見送りながら、僕はソファに腰を下ろした。
静寂が支配する室内。
表参道で出会い、渋谷で追われ、たどり着いた彼女の真夜中の部屋。
僕の目の前で、彼女が隠し持っていた「秘密」の扉が、ゆっくりと開き始めようとしていた。
第2章 冷たい絆創膏
「はい、ハーブティー。少しは落ち着くでしょ」
メアさんが、湯気の立つカップをテーブルに置いた。
「あっ、ありがとうございます…」
僕がカップに手を伸ばそうとした、その時。
「…ちょっと、ショウスケくん。それ、どうしたの?」
メアさんが僕の左手に鋭い視線を向けた。
見ると、逃走中にどこかの壁に擦ったのだろう、左手の甲の皮が剥け、じわじわと赤い血が滲み出ていた。
「うわっ…!」
視界に飛び込んできた「赤」を認識した瞬間、脳の奥がズキンと痺れた。一気に視界がグラリと揺れ、血の気が引いていく。
「…っ、あ…ダメだ…」
「ちょっと、大丈夫!?」
倒れそうになった僕の肩を、メアさんが素早く支えた。彼女の温かい手が背中に触れる。
僕は、慌てて目を固く閉じ、視界を遮断した。
「すみません…僕、血を見ると、本当にダメで…頭が真っ白に…」
情けなさと恐怖で声が震える。理論派を気取っていた自分が、たった数滴の血でこの有様だ。
「…バカね。血を見るのが苦手なら、最初から言いなさいよ」
メアさんの声から、いつもの意地悪なトーンが消えていた。
「目、閉じたままでいいから。じっとしてて」
彼女はそう言うと、パタパタと部屋の奥へ走り、すぐに救急箱を持って戻ってきた。
冷たい消毒液が傷口に染み、思わず体が跳ねる。
「動かないの。…ごめんね、痛かった?」
手際よく、けれど信じられないほど優しく傷口を拭い、ペタリと絆創膏を貼ってくれた。
「…もう大丈夫よ。血、隠したから。目を開けていいわ」
恐る恐る目を開けると、僕の左手には可愛らしい絆創膏がしっかりと貼られていた。
「…ありがとうございます、メアさん」
「お礼なんていいわよ。…それより」
メアさんは絆創膏の上から、僕の手をそっと包み込んだ。
「血を見るのがそんなに怖いのに…さっきのバーで、私を庇って男の前に立ってくれたの?」
真剣な眼差しで見つめられ、僕は、気恥ずかしくなって視線を泳がせた。
「…理屈じゃないですよ。あの時は、メアさんを守らなきゃって…それだけでしたから」
メアさんは、目を見開き、それから愛おしそうに目を細めると、僕の手をキュッと握りしめた。そして、その温かい体温が、冷え切っていた僕の指先に染み渡っていくのだった。
第3章 仮面の裏側
部屋を包む静寂の中。
ハーブティーの柔らかな湯気が二人の間に立ち上っている。
手首に貼られた絆創膏の冷たさと、それを包むメアさんの手の温もりが、僕の麻痺していた感覚を少しずつ現実へと引き戻していく。
「…ショウスケくん。さっき見ちゃったでしょ、あの本」
メアさんが、意を決したように静かに口を開いた。
「…あ、解剖学とかの本ですか」
「そう。…私ね、実は、モデルなんかじゃないの」
彼女は、自嘲気味に微笑むと、デスクの上に積まれた分厚い医学書に視線を落とした。
「私、医科大学の医学部生。もうすぐ病院実習が始まるの」
「え…? い、医学部…!?」
思わず声を裏返した僕に、メアさんは
「年下にいろいろと知られるの、本当は嫌だったんだけどね」
と、苦笑した。
「じゃあ…モデルっていうのは…」
「嘘。インスタの写真も、医学生のパーティでドレスを着た時のもの。…学費と一人暮らしの生活費を稼ぐために、採血のアルバイトを探してて…そこで知り合ったのが、さっきの悪質なスカウト・グループだったの。高額報酬につられて登録しそうになったけど、ヤバい組織だって気づいて逃げて…それ以来、しつこく追われてる」
「そうだったんですか…」
すべての点と線が、僕の頭の中で理論的に繋がり始めた。
「…じゃあ、あの『血管フェチ』っていうのも…?」
僕が尋ねると、メアさんは、急に気まずそうな顔をしてそっぽを向いた。
「…それに関しては、嘘じゃないわ」
「えっ」
「医学生になってからというもの、授業や実習で四六時中、人体や血管のことばかり考えてるでしょ? …その反動っていうか職業病っていうか…いつの間にか、綺麗なラインの血管を見ると、どうしても採血したくなっちゃう…じゃなくて! 惹かれちゃうようになっちゃったのよ!」
真っ赤になって早口で弁明する彼女の姿に、僕は呆然とした。
ヴァンパイアでも、怪しいお姉さんでもない。
そこにいたのは、将来のために必死に勉強し、自分の「フェチ」に本気で照れている、等身大の女子学生だった。
「…ショウスケくんの腕、針がすごく刺しやすそうな、理想的な血管だったから…つい嬉しくなっちゃって。からかって、ごめんなさい…」
しょんぼりと肩を落とすメアさんを見て、僕の胸の奥が、トクンと温かくなった。
『…なんだ、そういうことか』
謎が解けた安心感と同時に、目の前で素顔を見せてくれた彼女への愛おしさが、僕の心を満たしていく。
「…いいですよ」
「え?」
「僕の血管でよかったら、いくらでも見てください。…メアさんなら、大歓迎です」
僕がまっすぐ見つめて言うと、メアさんは一瞬呆気にとられたように目を見開き、それから顔を真っ赤にして口元を両手で覆ったのだった。
第4章 影の追跡者
顔を赤くして沈黙するメアさんの姿に、ほんの少し前までの張り詰めた空気は和らいでいた。
しかし、その静寂を切り裂くように、テーブルの上で彼女のスマートフォンがブブブと鈍い振動音を立てた。画面に表示されたのは、通知センターを覆い尽くす件数不明のメッセージ。
メアさんの表情が、一瞬で凍りつく。
「…メアさん?」
「…あいつらよ」
震える指先で彼女が画面をタップすると、そこには渋谷の路地裏で僕たちを追い詰めた柄シャツの男からのメッセージが送られていた。
『逃げ切れたと思ってんのか?』
『連れのガキの顔、バッチリ映ってるぞ』
添付されていた画像を開いた瞬間、息が止まった。
そこには、ハチ公前で僕とメアさんが合流した瞬間の写真が、はっきりと捉えられていた。僕の顔も、大学の指定バッグも克明に映り込んでいる。
『明日までに話に応じなきゃ、このガキの大学に突撃する。どうなるか分かってんだろうな』
凶悪な脅迫文が、液晶の光の中で異様に浮き立っていた。
「…ごめんなさい、ショウスケくん。私に関わったせいで、あなたまで巻添えに…」
メアさんの声が震え、その瞳にポロポロと涙が溢れ出した。
医学部での厳しい勉強。
一人で抱え込んできた悪質スカウトからの恐怖。
そして、大切な人を巻き込んでしまった罪悪感。
強がっていた彼女の決壊した感情が、涙となって溢れ出していた。
僕の手首を掴む彼女の指先は、今にも折れそうなほど弱々しく震えている。
それを見て、僕の中で静かな火が灯った。
『…相手は、理屈の通らない連中だ』
血を見るだけで倒れそうになる僕。格闘技の心得もない、ただの18歳の大学1年生。
普通に考えれば、勝ち目なんて万に一つもない。
だけど、手首から伝わるメアさんの痛々しいほどの脈動が、僕の思考をクリアに研ぎ澄ましていく。
「メアさん、泣かないでください」
僕は、自分の上着の袖で、彼女の目元の涙を優しく拭った。
「…でも、あなたの大学にまで迷惑が…!」
「大丈夫です。相手が『写真』と『脅迫』を使ってきたということは、逆に言えば、それしか手段がないということです」
僕は、ポケットから自分のスマートフォンを取り出し、画面を操作し始めた。
「彼らは、大きな勘違いをしています。僕をただの世間知らずのガキだと思っていることが、彼らの最大の計算違いです」
冷たく、けれど確かな意志を込めて、僕は、メアさんに向かって静かに微笑んだ。
第5章 理屈屋の覚悟
「…計算違い、って…ショウスケくん、一体何を…?」
涙を浮かべたまま、メアさんが呆然と僕を見つめる。
僕は、自分のスマートフォンの画面を彼女に見せた。
「さっきのバーで男が僕たちに近づいてきた時、僕は、胸ポケットのペン型カメラとスマホの録音アプリを起動させていました。相手の脅迫発言、手首を掴もうとした暴行未遂の音声、そして今送られてきた脅迫メッセージ…すべて証拠としてクラウドに自動保存されています」
地方の進学校時代、あらゆるリスクを想定して防犯ガジェットを持ち歩く癖をつけていた僕の「理屈っぽさ」が、ここに来て完璧な武器となっていた。
「さらに、彼らが『モデル事務所』を名乗ってスカウトを行っているなら、無許可の職業紹介や労働基準法違反、暴力的要求行為の線でも完全にアウトです」
僕は、画面をタップし、連絡先の画面を開いた。
「僕の伯父は、都内の警察署で生活安全課の刑事をしています。今夜のうちにすべての音声と画像データ、そしてメアさんが持っているこれまでの経緯の記録を提出します」
「警察に…? でも、あいつら、明日、大学に来るって…」
「来させましょう。指定された場所で待ち伏せさせます。相手が直接コンタクトを取ってきた瞬間が現行犯、あるいは身柄確保の最大のチャンスになります」
一息にまくし立てた僕を見て、メアさんは、ポカンと口を開けていた。
さっきまで血の気を取り戻せずに絆創膏を貼られていた気弱な年下男子が、今は冷静沈着に敵を追い詰める盤面を組み立てている。
「…ショウスケくん。あなた、本当に18歳…? 恐ろしい子ね…」
「言ったでしょう、理屈っぽいんです、僕」
僕は、ふっと微笑むと、メアさんの小さく震える手をしっかりと握り返した。
「血を見るのは、相変わらず死ぬほど怖いです。明日、もし殴られて血が出たら、僕はその場で気絶するかもしれません」
「ショウスケくん…」
「でも、メアさんを恐怖から解放するためなら、僕の論理と覚悟のすべてを賭けます。…だから、僕を信じてください」
僕の手に重なるメアさんの手から、じんわりと温かい熱が伝わってくる。
その脈拍は、先ほどまでの激しい動悸から、静かで力強いリズムへと変わり始めていた。
「…うん。信じるわ、私のカッコいい理屈屋くん」
メアさんは、涙を拭い、いつものように、けれどどこか愛おしそうに僕へ微笑みかけたのだった。
To be continued.
※良いね!をいただけた作品のみ連載を続けます…莫大な時間をかけて作った作品です。良いね!をいただけるとありがたいです。
よろしくお願い申し上げます🙇♂️。
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