そうだ!わたしも「オシャカになろう」!【手神さまへの手紙⑦】
近所の禅寺で、蓮の植え付けのお手伝いをしてまいりました。
蓮を育てるために使うのは、子どものお風呂になりそうな、大きな大きな専用鉢。
そこに、用意された「田んぼの土」を半分ほどの深さまで入れ、水とよく練りあわせて、なめらかな泥をつくります。
固い土塊ができるだけ残らないよう、両手でしっかりこねるので、一鉢につき数十分かかる結構な重労働。
泥がなめらかになってきたら、ずぶずぶっと「種レンコン」を埋め込みます。その上に、たっぷりの水を注ぎこんだら作業は完了。
わたしのようなお手伝いの人たちが数十人、その手順を繰り返しながら、100を超える専用鉢に種レンコンを植え付けていきました。
夏の開花が、いまからとても楽しみです。
この行事に、わたしは今年で3回目の参加。
お寺の方々とも親しくなり、だんだん「勝手知ったる」感じになってきたこともあって……解散のあと、もう少しだけ残って別の作業のお手伝いをしてきました。
お手伝いしたのは、植え付けを終えて泥だらけになった、鉢の表面の水拭きです。
去年の帰り際、ご住職や職員のみなさんが、泥のついた鉢を丁寧に拭いていらしたのを覚えていたので、家から雑巾を持参しました。
乾いた泥が、あちらにもこちらにもこびりついた大きな鉢。ひと拭きしただけでも、雑巾はあっというまに黄土色に染まります。
そばにバケツを置き、それで雑巾をゆすぎながら鉢を拭いていきますが、バケツの水もすぐに泥水になりますから、作業は一向にはかどりません。
鉢をひとつ拭きあげるたびに、「ふ────っ」と大きく息をつきながら。十数個の鉢を拭き終えたあたりで、持参した雑巾は、「もう働けない」くらい、くたくたのぼろぼろになりました。
繊維にまで泥が沁み込み、見事に黄土色に染めあがった「ぼろ雑巾」。
それを、なんとなく空にかざすようにして見あげたとき、ふと声がきこえた氣がしたのです。
(オシャカにしてくれて、ありがとう)
えっ?
どきっとしました。
そして、その声のあまりの清廉さに──ふっと涙がにじみそうになりました。
きこえたのは、働き切った雑巾の声なのだと感じました。
ああ、そうかあ。雑巾は、「オシャカになった」のだな……。
空にかざした黄土色のぼろ布が、一瞬、黄金色に光ったようにみえて。
うっかり、泥だらけの手で目をこすってしまうところでした。
オシャカになる。
何かが駄目になったり、使い物にならなくなったりしたときのいいまわし。
それをあえてお釈迦さまに例えるのは、きっと、「働き切って、満足して、光るように、物がその命をまっとうする」様子を表すからに違いない……と感じました。
ところが、あらためて調べてみたら、「オシャカになる」の言葉の由来は、こんなふうに書かれていました。
江戸時代、職人が金属を溶接するときに火が強すぎて失敗し、「火が強かった」というところを「シガツヨカッタ(4月8日だ)」としゃれたもので、この日がお釈迦さまの誕生日であるところから、オシャカになったと言い換えたという。
えええ?
語源として最有力らしいこの説を、もちろん否定はしませんが……個人的には、ピンとこなくて。
それよりも、雑巾がわたしに伝えてくれた、「働き切って、満足して、光るようにその命をまっとうする」イメージのほうが、「オシャカになる」という言葉にふさわしいと思いました。
うん。だから、それをそのまま大事にしよう。
そうして。わたしもいつかそんなふうに、「オシャカになろう」と心ひそかに決めました。
黄土色に染まりながら、空で笑った雑巾みたいに、この人生の最期となる日、働き切って、満足して、光りながら笑いながら空に還る──そんな生き方ができたらいいなと思いました。
働き切って、満足する。
それはもちろん、無理を重ねたり、体をこわすまで働いたり、ということではありません。
そんな働き方では、むしろ悔いが残りそうですよね。
では、ちゃんと「オシャカになる」ためには、どう働き切ったらよいかしら?
お釈迦さまに尋ねる氣持ちでそっと両手をあわせたら、ふと心に浮かんだことがありました。
お釈迦さまが悟りを開くきっかけになった、歌の話です。
村娘スジャーターとの逸話として知られていますので、ご興味のある方はお調べくださればと思いますが、その村娘が歌っていた歌の歌詞は、こんな意味のものでした。
琴の弦は、強くしめれば切れてしまうし、弱すぎるとよい音が鳴らない。
程よく弦を締めたとき、琴は初めてよい音色を響かせる。
この歌との出会いのあと、お釈迦さまは、苦行三昧であったそれまでの修行をきっぱりとあらため、その後、菩提樹の下で真の悟りを開いたといいます。
菩提樹の下で、お釈迦さまが何を思われたのか──を、わたしに推しはかることはできません。
けれど、「修行」を「働く」ことに置き換えれて考えれば、「働き切る」ことは、苦行で「琴の弦」を切ることではないと、はっきりとわかります。
そうではなくて、琴の弦を程よく緩め、程よく締めて、「自分の音色」をつくること。その音色を世界に響かせ続けること……ではないかと、そんなふうに思えてきます。
不思議ですね。
程よく弦を張って琴を弾くことさえできれば、苦しみも、喜びも、同じ「音」としてこの世界に響きます。
世界はそれを、ただ「音」として受けとります。
人という「琴」を通せば、どんな感情も分け隔てなく、音という波になる。波動になる。
ああ、もしかしたら。
わたしたち人間は、感情の浄化装置であるのかもしれません。
わたしたちを経由することで、苦しみさえも「音」になる。
だとしたら、わたしたちのお役目って、想像以上にとても尊い。
どなたでも、人生で一度や二度……あるいは数えきれないほど、「どうしようもない氣持ち」を味わったご経験があるのではないでしょうか。
でも、実際には、そのどうしようもないはずの氣持ちを、わたしたちは、ちゃんと「なんとかしながら」生きています。
ぼろぼろ涙をこぼしながら。
七転八倒しながら。
「どうしようもない氣持ち」を、自分で氣がつかないうちに、濾過している。消化している。
すごい!
人間て、すごいなあ!
そうか。
わたしたちはただ、弦を締めすぎないように、緩めすぎないように、氣をつけるだけでいいのかもしれません。
弦を締めすぎて、自分という楽器をこわさないように。
緩めすぎて、楽器じゃなくならないように。
あとは、感じたことを、そのまま音にすればいい。
世界にそっと響かせればいい。
浄化装置である自分の価値を、ただ信じて働き切れば……その先に、道が続いている氣がします。
「オシャカになる」道が。
清廉な、光の道が。

さて、マガジン「手神さまへの手紙」から、今回は、おふたりの「働き者」のご紹介です。
まるさんの、「あなたが歩んできた道を誇りに思えるように」。
おひとりめの働き者は、まるさんのおかあさん。
そのおかあさんの手には、指の変形や痛みがあって、日常的に不便や苦痛を強いられています。
あるとき、まるさんご自身の主治医に、おかあさんの手を診てもらったそうです。
以下は、そのときの描写です。
主治医は(中略)そっと手を包み込み
優しく微笑みながら言いました。
「よう(よく)働いてきた人の手ですなぁ。」
私はそばで聞いていて、
泣きそうでした。
この一言で十分だったからです。
(中略)
この日以降、母は自分の手を
『黄金の手』と誇らしげに呼ぶようになりました。
かけられた言葉が、おかあさんとまるさんをどんなに励ましたか……が伝わってきて、こちらまで嬉しくなります。
自分の手を「黄金の手」と誇らしく呼ぶことができるのは、その手が「働き切って」きたことの証。
そのおかあさんへの思いを、まるさんはこんな素敵な言葉で結ばれています。
その手が、誰かを支えたり、
励ましたりしてきたことを
思い出してください。
(中略)
その力を、今度は自分自身に向けて、
そっと心を癒してあげてくださいね。
もうおひとかた、「働き者」をご紹介しますね。
メイP子さんの、「おばあちゃんの手」。
タイトルにもあるように、メイP子さんが書かれているのは、ご自身のおばあちゃんの手。
メイP子さんが、おばあちゃんを大好きだったことが伝わってくるご投稿だと感じました。
おばあちゃんは、とても苦労を重ねた人、お見合いで祖父と結婚、祖父の家は魚屋という商いをしていて、慣れない商いの仕事は大変だったと言う。
(中略)
そんな祖母の手は、しわしわでカサカサしていたが、その手は今まで頑張って来た証で誇れるものだと言っていた。
「しわしわでカサカサ」になったご自分の手を、「いままで頑張ってきた証」と誇れるおばあちゃんが素敵です。
そして、なんだか不思議な氣持ちになったのは、結びの部分でした。
おばあちゃんは、歳をとってもやめなかったことがある、ずっと何かを縫い続けていた。
一番最後の作品は蛙
「無事に自分のいるべき場所に帰るように」
おばあちゃんは、ちゃんと帰ったのだな。
きっと、光の道を帰ったのだな。
おばあちゃんの最後の作品、可愛らしい「蛙」のお写真は、どうぞメイP子さんの記事のほうで!

企画に賛同してくださったみなさまに、心からお礼を申し上げます。
みなさんがお寄せくださった記事を、引き続き、毎回できるだけひとつのテーマに沿いながら、順次ご紹介していく予定です。
すべての記事のご紹介には少しお時間をいただくことになりますが、ゆっくりと楽しみに、お待ちくだされば幸甚です。
また、企画に参加したつもりなのにマガジンに収録されていない、という方がいらっしゃいましたら、ご面倒でもくりすたるるまでお知らせください。どの記事のコメント欄からでも結構です。
みなさんの「#手」の記事を収録したマガジンです。↓↓↓
「てがみさま」について、最初に書いた記事はこちらです。↓↓↓
「#手」の募集記事はこちらです。↓↓↓
「手神さまへの手紙」紹介記事のシリーズはこちらです。↓↓↓
