光を意図したら、あれっ?心がガタついた|朝の意図実践日記⑰
こんにちは。ARYAアーヤです。
これは「朝の意図実践日記」。
創造者として生きる感覚を育てるために始めた記録。
「目標」じゃなくて「意図」にこだわる。
意図を立てていると、何気ない日常の会話の中にも小さなサインを見つけられる。
あの一言、この出来事が、何につながっているのだろう?
そう考えるだけで、世界の見え方が少し変わる。
以前より毎日が、ちょっと面白い。
いや、だいぶ面白い。
今回はシリーズ17回目 Day 28
Day 28「光を照らす」
「光を照らす」
抽象度の高いことばだなと思う。
私の毎日は、生徒の頑張りを認めたり、不安気な子に「大丈夫だよ」と声をかけたり、心配事が多い親御さんに「大丈夫ですよ」とお伝えしたり。そんな小さな関わりで満ちている。
どれも特別なことではないのに、「安心しました」「心が軽くなりました」と言っていただくことがある。
光を照らそうと努力したわけじゃない。ただ自然に、そうしている。
心がガタついた
ところが、「光を照らす」と意図を立てると、心が少しガタついた。
生徒に声をかけながら、
「いまの言葉、光になったかな?」
「ちゃんと届いたかな?」
普段なら感じない自己チェックが入るようになった。
自然体で言えていたひと言が、急にもっと特別じゃないとダメな気がしてしまう。
こんなにも心が揺れるとは驚きだった。
特別なことは起きない。
変わらない日常が続いていた。
でもこれまで意図実践を重ねる中で、
すぐに変化が見えなくても、水面下で何かが動きはじめる
という感覚を知っていた。
だから、焦らず、「光を照らす」意図をそのままにしておいた、

思いがけない光
そんなある日、月1回の感謝の気持ちを伝える小さな行動をした。
「光を照らす」という意図のことは頭になかった。
私の行動に対し、思いもよらないほどに心を打つメッセージが届いた。
私が渡したものは、ほんの小さなものだったのに、その人の中では何倍にも膨らんだようだ。
そして、ああ、これが「光を照らす」だったんだ、と気づいた。
意図していなかったのに、無意識にやっていたことが、誰かの中で大きな光になっていた。
光は "つくるもの" ではない
この出来事を通して、大切なことを思い出した。
光は、つくるものじゃない。
光は、あり方から自然にあふれ出すもの。
日々の小さな関わり、相手への配慮、そして自然な感謝の念。
そういう、特別じゃないいつもの私の中に、すでに光はある。
意図を立てた途端にガタついたのは、
「光をつくらなきゃ」と思ってしまったから。
でも、光はもともとある。
光の不思議
同じ言葉を渡しても、同じ行動をしても、受け取る側によって、その響き方はまったく違う。
軽やかに受け取る人。
驚きをもって受け取る人。
深く胸に染み込ませる人。
ある人にとっては小さな光でも、
別の人にとっては人生を照らすほどの光になることもある。
光とは、本当にそれぞれ。
そして、必要な人に、必要なタイミングで、必要な形で届いていく。
自然に放たれた光は、ちゃんと行くべき場所へ向かっていくのだと思う

光という言葉
「優しさ」や「愛」と呼ぶこともできる。
どちらも本来は、内側からそっとあふれ出すもの。
でも「光」という言葉には、
その優しさや愛さえも包み込みながら、
存在そのものがにじむように周囲を照らし
広がっていく。
生徒の成長を願う気持ち。
親御さんへそっと届ける安心のひと言。
相手を急かさず見守る姿勢。
誰かに感謝を伝えたいと思う自然な気持ち。
そんな、特別じゃないいつもの私の中に、
すでに光はあった。
光とは?
定義されないからこそ広がり、
形がないからこそ届き、
言葉を超えて静かにひろがっていくもの。
~ARYA~
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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