【clum! '95 #19】夏合宿スタート

1995年8月初旬。
バスケ部員たちを乗せた貸切バスは、唐津の海岸沿いの道路をひた走っていた。
窓の外には、ギラギラと輝く太陽と、どこまでも広がるキラキラした青い海。
「うわああぁ!! 海だー!! 最高ー!!」
車内で一番騒いでいるのは、後部座席の佐野先輩だ。
テストの赤点危機を乗り越えた開放感で、テンションは成層圏まで達している。

「佐野先輩、座ってください! 危ないですよ」
「だって早坂くん、見てよこの海! 練習とかどうでもよくなるね!」
それ、顧問の先生の前で言っちゃダメなやつ……。
僕、早坂一頼は、最後部座席に座った顧問教員・牟田一成先生の方をちらりと盗み見る。
メガネの奥の表情は窺い知れず、目を逸らそうと思ったら、ニコリと笑って手をひらひらと振られた。いろんな意味で、まずい。

僕は、はしゃぐ佐野先輩に目線を戻し、微笑ましく(そして少しハラハラしながら)見守っていた。

俺、折館迅は、バスの後ろの立夏のうるさい声にうんざりしながら、同じ列の席に目をやった。
岡本玲が、小さくなって座っていた。
彼女は今回、急病で来られなくなったマネージャーの代打として、「食事係兼サポート」で特別に参加しているのだが……。
「……なんでお前がいるんだ?」
俺が、ヘッドホンをずらして低い声で尋ねた。
俺の視線の先には、隣に堂々と鎮座する、岡本樹の姿があった。

「やあ折館くん。奇遇だね」
「奇遇じゃない。なんで科学部のお前がバスケ部のバスに乗ってるんだ」
「フッ、良い質問だ」
樹はバスの中だというのに白衣を羽織り、眼鏡をクイッと押し上げた。
「僕は今回、顧問の牟田先生から『スポーツ科学特別顧問』として招聘されている。君たちの身体データと、現地の水質および湿度がパフォーマンスに与える影響を分析するためにね」
「……要するに、無理やり頼み込んだんだろ」
「人聞きの悪い。……まあ、玲が男もいるような合宿に参加すると聞いて、兄として居ても立っても居られず、牟田先生に『夏休み中に作る二学期の理科の宿題を全部手伝う』という取引を持ちかけたのは事実だが」
「全部言ってるぞ」
俺は呆れてため息をつき、深くシートに沈み込んだ。
岡本玲は真っ赤になって、消え入りそうな声で俺に謝る。

「ご、ごめんね折館くん……お兄ちゃんが迷惑かけて……」
「……別に。お前が謝ることじゃない」
俺はそっけなく答えたが、その手にはついさっき樹から渡された「UKロックの新作CD」が握られている。
……まあ、暇つぶしの話し相手にはなるか。
俺は再びヘッドホンを装着し、樹のマシンガントーク(「紫外線対策の重要性について」)をシャットアウトした。

「とーちゃーく!!」
バスが古い民宿の前に止まると、部員たちが次々と降り立った。
潮の香りと、まとわりつくような熱気。
「よし、荷物運ぶぞー! 1年はボールとドリンク! 2年は個人の荷物!」
キャプテンの古賀くんの指示が飛ぶ。
わたしは、食材や調理器具が入った大きなダンボール箱を持ち上げようとした。
「よいしょ……っ、う、重い……」
わたしの腕では、持ち上げるだけで精一杯だ。
すると、横からスッと白い手が伸びてきた。
「玲、無理をするな。僕が持とう」
「あ、お兄ちゃ……樹くん。でもこれ重いよ? 樹、腰悪いのに……」
「ふん、妹のために発揮する火事場の馬鹿力を甘く見ないでくれたまえ。ふんぬっ……!」
樹は気合を入れてダンボールを持ち上げようとしてくれたけど、
「……ぐ、ぬぬぬ……(プルプル)」
箱は数センチ浮いただけで、樹の顔色がみるみる青白くなっていく。
「……邪魔」
そこへ、無言の影が覆いかぶさる。
折館くんだ。彼は樹の横からヒョイっと片手でダンボールを奪い取ると、軽々と肩に担いだ。
「えっ、あ、折館くん!?」
「どこ運べばいい」
「あ、厨房の裏口……だけど、重くない?」
「別に」
折館くんは涼しい顔でスタスタと歩き出す。その背中の筋肉が、ワイシャツ越しに躍動しているのをわたしは見逃さなかった。

……かっこいい。
「玲!? 何か言ったかい!? ……くそっ、やはり筋肉か! 筋肉が正義なのか!」
樹が悔しがる横で、わたしはうれしい気持ちをたくさん抱えたまま、折館くんの後ろ姿を追いかけた。

バスのトランク前では、僕が佐野先輩の前でかっこいいところを見せようとがんばっていた。
「佐野先輩! 先輩のボストンバッグ、僕が持ちます!」
「え? いいよ早坂くん、自分の分あるでしょ?」
「いえ! 後輩として当然です! ……ふんっ!」
僕は自分の荷物と、佐野先輩の大きなバッグを両肩に担いだ。
よろめきつつも、憧れの先輩の前でカッコいいところを見せたい一心だ。
「だ、大丈夫です! 任せてください!」
「……無理してない?」
佐野先輩は心配そうに見ていたが、「あ、あたしドリンクのケース運ぶね!」と言うと、2リットルのペットボトルが6本入ったケースを両手に一つずつ持ち上げ、
「よし! 行くよ、早坂くん!」
「は、速い……!」

ダッシュで民宿へ向かう佐野先輩。
僕はその後ろ姿を見ながら、
やっぱり先輩、たくましいなあ……好きだ。
と改めて惚れ直しつつ、汗だくになりながら、佐野先輩の後ろを追いかける。
海の匂い。
蝉の声。
遠くから聞こえる樹さんの悲鳴。
「玲ぃぃ! 危険だから迅くんから三メートル離れたまえぇぇ!」
「うるさいぞ、樹」
「お兄ちゃん! 走らないで!」
……うん。
きっと、この合宿は退屈しない。
僕はそう確信しながら、真夏の太陽の下を走った。


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