【clum! '96 #22】届かない理屈
← 前の話へ
夕暮れが校舎をオレンジ色に染める頃。
保健室の前の廊下で、一頼は戻ってきた立夏と向き合っていた。

一頼は、彼女を刺激しないよう、いつも以上に慎重に、そして静かに距離を保って立った。
「立夏先輩……本当に、すみませんでした。僕の配慮が足りなくて……」
一頼が深く頭を下げると、立夏は小さく首を振った。彼女の顔色はまだ少し青白いものの、呼吸は落ち着いている。
「……ううん。謝らないで、一頼。あたしを助けようとしてくれただけだって……頭では、ちゃんとわかってるの」
立夏は自分の両手をぎゅっと握りしめた。
「でも、体が……勝手に、昔の記憶を思い出して、動かなくなっちゃって。……せっかく一頼が守ってくれたのに、あんな反応してごめんなさい。一頼のことは、本当に、怖くないのに……」
申し訳なさに声を震わせる立夏を見て、一頼は胸が締め付けられるような思いだった。
理屈では「大丈夫」だとわかっていても、魂に刻まれた傷が拒絶反応を起こしてしまう。
その残酷な乖離を、彼は初めて目の当たりにしたのだ。
「……先輩。謝らないでください。僕が、先輩の『心の歩幅』を無視して、勝手に踏み込んでしまっただけですから」
一頼は、優しく、けれど凛とした声で続けた。
「僕、もっと勉強します。先輩が心も体も、本当の意味で『安心』できる距離を。……今日は帰ります。また明日、おはようって言わせてください」

一頼は無理に笑おうとせず、ただ誠実に一礼して、その場を去った。
一頼の姿が見えなくなった後、廊下には玲と立夏の二人だけが残された。
立夏は壁に背を預け、ずるずるとその場に座り込んだ。玲は黙って目の前に座り、立夏の冷え切った手を、自分の両手で包み込んだ。

「……玲ちゃん。ごめんね、びっくりさせちゃって」
「ううん。……立夏ちゃん。無理して話さなくていいんだよ?」
玲の優しい言葉に、立夏の瞳から、堪えていた涙が一粒こぼれ落ちた。
「……私ね、『大人の男の人』が怖いの」
立夏は、自分の膝を抱え込むようにして、絞り出すような声で話し始めた。

「大きな体とか、低い声とか……。逃げられない場所で、上から抑えつけられるの。……それを思い出すと、頭が真っ白になって、息ができなくなる。一頼は全然そんな人じゃないのに。……私の中に、どうしても追い出せない『嫌な記憶』がまだあるんだよ」
玲は、立夏の言葉を一つも漏らさぬように、静かに受け止めた。
「大人の男の人」という言葉の裏にある、あまりにも重く、おぞましい経験。
玲はすべてを知っているわけではないが、親友の震える肩が、その傷の深さを物語っていた。
「……そっか。立夏ちゃんは、ずっと一人でその『記憶』と戦ってたんだね」
「ううん。迅がいてくれたから、ひとりぼっちじゃなかったの」
「迅くんが?」
「うん。巻き込んじゃったんだ。でも、おかげで、男の子全部を嫌いにならないで済んだんだ」
「そっか……そういうことだったんだね」
玲は立夏を優しく抱き寄せ、その背中をゆっくりと撫でました。

「大丈夫だよ。立夏ちゃんの中にその記憶がいても、迅くんはここにいるし、わたしも、……きっと早坂くんも、ずっとそばにいるから。……ゆっくりでいいんだよ。少しずつ、上書きしていこう?」
「……うん。……ありがとう、玲ちゃん」
立夏の抱える「恐怖の理由」の断片を知った玲。
それは、少女たちがただの「仲良し」から、互いの魂の傷を知り、支え合う「戦友」へと変わっていく、静かな、けれど確かな一歩だった。
校門の方では、迅が一人、二人が出てくるのをじっと待ち続けていた。

【今回のおまけ】
野瀬「ちょっと、ひと段落したようなので、おまけコーナーやってもいい、かな?」
稲城「ちょっとまだやりづらいね」

野瀬「唐突な場所に階段……というかいちゃつき過ぎ、とか」

野瀬「お前どこから走ってきた、とか」

野瀬「一頼、それじゃ身長173cmくらいだよ。伸び過ぎだよ、とか」
稲城「あ、NGは結構あったんだ」
野瀬「あった。でもさすがに前回前々回では載せられんかった」
稲城「まぁ、まだ解決したわけじゃなくて、今からなんだろうけどね」
野瀬「ついに来た感、あるよな」
次の話へ →
↓ マガジンはこちら ↓
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップは製作費に使わせていただきます。