「夫。八十八体に試された日」 #68 特別編=LO…VE…
こちらに迷いこんだ方へ
本noteは
「夫。八十八体に試された日」 #68
の LONG Ver.=ロングバージョンです。
通常バージョンは こちら でお楽しみいただけます。
ロングバージョンは、まったり、
この雰囲気をお楽しみいただけるよう、通常verの約5倍の文章量となっています。
第1章 夫。お遍路へ向かう
第2章 八十八体との心理戦
第3章 山へ戻る人
第4章 ご利益の正体
では、お楽しみください。
「ちょっとお遍路してくる」
と高尾山へ向かった夫。
近場の巡礼だから気軽なものかと思っていたら、待っていたのは二度の登り降りと、番号まで人を惑わせる八十八体のお大師さまだった。
第1章 夫。お遍路へ向かう
6月13日、梅雨の合間の晴天。
昨日まで空を覆っていた灰色の雲が、今日はどこかへ出張しているらしい。朝から青空が広がり、雨をたっぷり吸った木々の緑が、いつもより濃く見えた。
洗濯物を外に干せる。梅雨の時期は、それだけで少し得をした気分になる。
そんな朝、夫はいつもより早い時間から出かける準備をしていた。
帽子にタオル、飲み物、歩きやすそうな靴。見るからに、少し本気の装備である。
「今日は高尾山?」
私が聞くと、夫は何でもないことのように答えた。
「うん。お遍路さんしてくる」
お遍路さん。
その言葉から私が思い浮かべたのは、白装束に菅笠をかぶり、金剛杖を持って四国の道を歩く人の姿だった。
少なくとも、朝に家を出て、夕方には飲み会へ向かう人の予定表に入る言葉ではない。
夫はその日、「二毛作未来少女桃江さん」の壮行会に参加することになっていた。
二毛作未来少女。名前だけを聞くと、未来から来た農業系の変身ヒロインのようだが、もちろん違う。
桃江さんは、夏は山小屋で働き、冬は下界で生活する人だ。
季節によって生活の場所を変えるその暮らし方を、夫たちは「二毛作」と呼んでいる。
夏は山。
冬は下界。
同じ一年の中に、二つの生活がある。
なかなか言い得て妙である。
桃江さんは、以前にも同じ山小屋で働いていた。そして今年、再びその山小屋へ戻ることを決めたらしい。
一度山の厳しさを経験したうえで、もう一度同じ場所へ向かう。その出発を見送るための壮行会が、夕方から開かれることになっていた。
ただ飲んで、食べて、「頑張ってね」と送り出すだけでも、十分に壮行会として成立すると思う。
ところが、その会の前に「高尾山内八十八大師巡りをする」という課題が出たのだという。
壮行会の前に課題。
学校でも会社でもないのに課題。
しかも、お遍路である。
夫の交友関係では、飲み会にも事前学習が必要らしい。
普通なら、夕方の宴会に備えて昼間は体力を温存する。できれば少し昼寝をして、胃腸の状態を整え、余裕を持って集合場所へ向かう。
それくらいが、一般的な飲み会前の過ごし方ではないだろうか。
夫たちは違う。
宴会前に山を歩き、八十八体のお大師さまを探す。
ずいぶん健康的で、ずいぶん過酷な前菜である。
夫によると、「高尾山内八十八大師巡り」は、四国八十八ヶ所巡礼を高尾山の中で体験できるようにつくられたものらしい。
高尾山には、赤い帽子や前掛けをつけた小さな石像が、山道や薬王院の周辺に点々と置かれている。
私も以前、高尾山でそれらしい石像を見かけたことがある。
けれど、それが八十八体のお大師さまで、一体一体に意味があるとは知らなかった。
風景の一部として、なんとなく目に入れていただけだった。
夫も同じだったらしい。
「赤い帽子の石像があるな、とは思ってたんだよ」
そう言いながら、今回初めて知った由来を、少し興奮気味に話してくれた。
明治時代、高尾山薬王院の偉い方が四国八十八ヶ所を実際に巡礼した。その際、各地の土を持ち帰り、高尾山の中に納め、その上にお大師さまの石像を置いた。
そうして、高尾山でお大師さまを巡ることで、本場の四国を旅したのと同じご利益が得られる場所をつくったのだという。
八十八ヶ所分の土を持って帰る。
まず、その時点で相当な熱意である。
今なら写真を撮り、位置情報を記録し、旅の様子をオンラインで共有して終わりそうなところを、土を持ち帰ったのだ。
しかも、その土を高尾山に納め、石像を置き、巡礼の道として形にした。
移動手段も今ほど便利ではなかった時代に四国を巡り、その土地の土を東京まで運ぶ。
発想もすごいが、実行したことのほうが、さらにすごい。
夫はそこに、かなり感動したらしい。
「よくそんなこと考えるよね。しかも、ちゃんとやるのがすごいよ」
何度もそう言っていた。
確かにそうだと思う。
四国まで行ける人は限られている。
時間も、お金も、体力も必要だ。仕事や家族の事情があれば、長い旅に出られない人もいる。
それなら、そのご利益を別の場所でも受け取れるようにしよう。
遠くまで行けない人にも、祈りの道を開こう。
それは一種の、幸せの分配なのかもしれない。
ただし、完全に楽をさせてはくれない。
高尾山へ行けば、自動的にご利益が手に入るわけではない。八十八体のお大師さまを、自分の足で巡らなければならない。
しかも夫の話では、全部を巡るには、高尾山を二度も登り降りする必要があるという。
近くで巡礼できるようにはしてくれた。
しかし、簡単にはしていない。
幸せは分配する。
ただし、受け取る側にも相応の脚力を求める。
ずいぶん手堅い仕組みである。
現代のサービスなら、「最短一日で巡礼完了」「今なら待ち時間なし」「初回限定、ご利益増量中」くらいは言い出しそうなものだ。
こちらは明治時代から続く本格派である。
足が痛くなろうが、汗だくになろうが、山道は短縮してくれない。
ご利益の前には、きちんと坂道が置かれている。
夫はもともと、この巡礼に少し興味があったらしい。
課題が出たときも、迷わず参加を決めた。
「面白そうじゃない?」
出かける前の夫は、確かにそう言っていた。
私は心の中で思った。
あなたは、たいてい始める前には「面白そう」と言う。
その言葉には、「どのくらい大変なのかは、まだ具体的に想像していません」という意味が、かなりの確率で含まれている。
旅行でも、イベントでも、新しい趣味でもそうだ。
面白そう。楽しそう。やってみよう。
入口では、いつも軽やかである。
そして途中で、「思っていたより大変だ」と気づく。
それでもなぜか最後まで進み、帰宅後には「すごくよかった」と言う。
夫の行動には、ひとつの型がある。
今回も、きっとそうなるのだろう。
私は青空の下へ出ていく夫の背中を見送りながら、そんなことを考えていた。
第2章 八十八体との心理戦
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