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『ファイト・クラブ』 今更レビュー|デヴィッド・フィンチャーで、震えて眠れ④

サイコ・スリラーで名を馳せた完璧主義者のデヴィッド・フィンチャー。デビュー作の『エイリアン3』は本人が初監督作を否定するほどの黒歴史だった(『エイリアン』シリーズのレビューをご参照)。

だが、次作の『セブン』からは『ゲーム』、『ファイト・クラブ』とコンスタントに傑作を繰り出し、一気に注目を浴びる存在に。最近はNETFLIXとの契約のおかげでWEB配信作ばかりが続いているのがファンとしてはやや寂しいが、一気通貫に再観賞してみると、やっぱり凄い才能だと再認識。

今回はそんなフィンチャー監督作品を今更レビュー(このページはAmazonアソシエイトの広告を含みます)。

『ファイト・クラブ』 
 Fight Club

公開:1999年 監督: デヴィッド・フィンチャー
時間:139分 製作国:アメリカ
勝手に評点:★★★☆☆3.5

デヴィッド・フィンチャー監督が、再びブラッド・ピットとタッグを組んだ本作。そしてダブル主演ともいえる主人公の『僕』には、当時既に演技力に定評のあったエドワード・ノートン。わくわくするキャスティングだ。

平凡を絵に描いたような会社員の主人公が、飛行機で隣に乗り合わせたタイラーという奇妙な人物と知り合いになる。フライトから戻れば、マンションの自室がなぜかガス爆発で入室もできず、多生の縁ですがりついたタイラーと意気投合。

二人は過激な悪戯を繰り返し、ストリートファイトの愛好会ファイト・クラブを創設する。だが、組織は創設者のひとりである『僕』の手を離れて、次第に過激さと勢力を増していく。

何といっても痺れるのは、前半のタイラーと出会うまでの展開だ。

全米各地に出張しては自動車事故を検分してリコール要否を審査する仕事。会社の政治的意向がからむ、ストレスフルな毎日が窺える。そして鬱憤をはらすかのように、衣食住にカネをかける消費生活。

それでも足らずに、各種難病の患者同士が集まるセラピーに毎夜通っては患者になりすまし、自分の話を周囲が聞いてくれることで承認欲求を満たす。

なんとも病んだライフスタイルだが、そこに同じように参加してくる仮病の女マーラ(ヘレナ・ボナム=カーター)が現れ、縄張り争いになる。

睾丸を切除したガン患者の集いをどっちが取るかで、「お前は女だろう!」「あんたはタマがあるでしょ!」と言い合いになるバカらしさ。この辺はチャック・パラニュークの原作に忠実な展開。

だが、そこに映画ならではの遊び心が加わる。サブリミナル効果のように、シーンの途中に脈絡なく一瞬見知らぬ男の姿が入るのだ。これが誰なのかはやがて判明するが、目を凝らしていないと、数カットあるこのシーンは素通りしてしまう。

私はかつて公開時にこれに気づいて、随分と荒っぽい編集ミスだと呆れていたのだが、やがて意図的なものと分かる。この男こそ、タイラーだったからだ。

世間の価値観に踊らされて、なんとなく惰性で生きている若者が、突如現れた本能の赴くままに勝手気ままに生きるタイラーに強い刺激を受ける。

これまで思ってもみなかった、真剣勝負の殴り合い。身体は痣だらけで歯は折れるが、一週間もすると体つきに変化が生じる。自分の中にあった何かが覚醒する。

本当のストレス解消法を求める男たちは街に溢れていたのだろう。みんな、ファイト・クラブの虜になっていく。「ワークアウトなんか、ただの自慰行為だ」と。

さて、犬猿の仲だったマーラは、いつの間にか自殺すると騒いでは「僕」に電話してくるようになっていた。

そして、彼女に近づかないようにしているうちに、まんまとタイラーはマーラと親しくなり、彼女を自分の家に呼んで一緒に過ごすようになる。

こうして三人の生活が始まる。「僕」などお構いなしに、タイラーとマーラはセックス三昧の日々だ。

ここで気がつかなければいけないのは、この三人はけして同時にはシーンに出現しないということだ。マーラが「僕」といるときには、タイラーの姿は見えない。

そして、「僕」のマンションの部屋の爆発には、自家製の爆薬が使われていたことが分かる。石鹸の原料を使った爆薬の精製は、タイラーの得意とするところだった。

やがてタイラーは「僕」に内緒でファイト・クラブから軍隊のような猛者を集めたスペースモンキーたちを結成し、騒乱計画(プロジェクト・メイヘム)と称するテロ行為を起こそうと画策する。

タイラーの行動に怪しさを感じ取った「僕」は、失踪してしまった彼を探しに全米を飛び回る。いまや、各地でファイト・クラブが運営されていた。そして、観ている我々も半ば気付いている事実を、旅先のファイト・クラブでついに「僕」は知らされる。

「タイラーを見なかったかって? 私を試しているんですか。タイラー・ダーデンはあなたです」

何のことはない。タイラーは「僕」にとって憧れの存在に見えたのは当たり前だ。欲求や理想を全て具現化した存在なのだから。タイラーはイマジナリーフレンドであり、「僕」自身。つまり、「僕」は自分で自分のマンションを爆破したのだ。

不眠症で悩んでいたという「僕」だったが、実は眠っている間にタイラーが行動していたということらしい。のちに『インクレディブル・ハルク』となるエドワード・ノートンだが、本作で既に、超人に変わる人物を演じていた。

だが、彼が真相に気づいても、もはや騒乱計画は止まらない。優秀で忠実なメンバーたちが、手製の爆薬を金融街の複数ビルに設置している。

映画の冒頭で「僕」はこのテロ計画の爆心地にいて、タイラーに銃を向けられている。つまり、映画の本編は全て、そこからの回想なのだ。

この時「僕」がマーラを非難するのは、彼女がことの発端だからだ。マーラは「僕」を欲し、「僕」はタイラーに憧れ、タイラーはマーラを求める。彼女の出現で生じた三角関係。

本作のラストは、爆弾の多数設置された金融街の真ん中のビルの高層階での『僕』とタイラーの戦いだ。自分の分身ならば、自らに銃口を向ければ、幕引きができるはず。こうして『僕』は自分を撃ち、タイラーは死ぬ。

映画では『僕』は重傷を負うが、弾丸がそれて死んではいないようにみえた。だがそれでは、頭蓋骨に貫通しタイラーが息絶える理屈がない。やはり『僕』はここで既に死んでいるのだろう。

結局、周囲のビルはみな爆破で崩壊する。その後、『僕』とマーラのいるビルの映像も揺れて消えるところから、このビルも大破したのだろう(サブリミナルで男性のイチモツが一瞬入る)。

どっちにしても生きてはいないのだと思うが、このあたりは原作を読んでも、はっきりとは書かれていない。

この映画は1999年の公開だが、集団行動による過激活動、金融街のビル大破、そしてグラウンドゼロ(爆心地)という言葉から、二年後に起きる9・11のアメリカ同時多発テロを予見させるものといえるかもしれない。

エイリアン3(1992)
セブン(1995)
ゲーム(1997)
ファイト・クラブ (1999)
パニック・ルーム (2002)
ゾディアック (2007)
ベンジャミン・バトン 数奇な人生(2008)
ソーシャル・ネットワーク(2010)
ドラゴン・タトゥーの女(2011)
ゴーン・ガール(2014)
Mank/ マンク (2020)
ザ・キラー(2023)

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