[小説] リサコのために|043|九、理沙子 (5)
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茂雄の通夜は粛々と進められ、近所の人たちが次々と顔出して焼香をして行った。
リサコは、両脇の良介と伊菅タケルにしっかり掴まり、お坊さんのお経を聞きながら、人々が通り過ぎるたびに、軽くお辞儀をして時間をやり過ごした。
まるで自分の身体が自分のものではないようだった。
力を抜くとすぐに魂が抜け出て、自分自身を俯瞰で眺めているような、そんな状態に何度もなった。
その度に、自分を繋ぎとめている二人の手の感触を思い出して自分へ戻るのだった。
坊さんの声が頭の中をぐるぐると回った。
世界がグニャグニャに見えて気分が悪くなってきた。
世界がぐるぐる回っている。
リサコは唐突に吐き気をもよおし床に吐いてしまった。
葬儀屋の職員がすぐに駆け寄って来た。
良介がその人に「お願いします」と言っているが聞こえた。
彼はリサコを支えて立ち上がると、ゆっくり彼女を廊下の方へと歩かせた。
立ち上がる時に伊菅タケルに背中を二回、ポンポンと優しく叩かれた。
廊下に出ると、先ほどとは別の職員がおしぼりを持ってきてくれて、リサコの顔や服についた汚れを拭いてくれた。
「お着換え、お持ちですか?」
職員に聞かれてリサコは頷いた。
「重田さんが借りてくれた喪服…汚しちゃった…」
リサコがぼそりと言うと、良介が「いいから、着替えよう」と言って、リサコを控室へと連れて戻った。
着替え終わると、先ほどリサコを拭いてくれた職員が毛布を持ってきてくれた。
控室の隣に畳の部屋があり、そこで休んでいてもよい、とのことだった。
毛布にくるまって横になると、世界がぐるぐる回っていた。
吐き気は収まったが、とても座ってはいられなさそうだった。
良介が会場に戻ろうと立ち上がったので、リサコは小さな声で、「行かないで…」と言った。
良介は無言でリサコの隣に座りなおした。
リサコは安心して目を閉じた。
・・・
リサコは胡坐をかいて座っている良介の膝に頭を乗せた状態で目を覚ました。
はっとなって起き上がる際に、テーブルに頭をぶつけてしまった。
ガチャンと食器がなった。
頭を押さえて起き上がると、良介と伊菅タケルが食事をしているところだった。
他の人もここで食事をしていた形跡が残っていたが、この部屋にはリサコと良介と伊菅タケルの三人しかいなかった。
通夜は終わってみんな帰ってしまったのだろう。
良介の手元を見ると、ビールの入ったコップを持っていた。
「あ…!?」
リサコから思わず変な声が出た。
良介は無言でビールをごくりと飲んだ。
思わずリサコは良介からコップを取り上げて、遠くに置いた。
「少しくらい、いいんじゃね?」
伊菅タケルが言った。良介に酒を飲ましたのはこの人だ。
「ダメだよ。」
言いながら、様子を確認しようとリサコが良介の顔を覗き込むと、彼の顔がぐっと近づいてきた。
そのまま良介はリサコの肩に顔をうずめると、身体を震わせて泣き始めた。
酒臭かった。
いったいどれほど飲ませたのだろう…。リサコはあきれて、良介の背中をトントンしてやった。
幼いころに、近所の悪ガキにいじめられて泣いていた良介にこうしてやっていた記憶が蘇った。
良介はずるずる横になると、今度は彼がリサコの膝の上で眠ってしまった。
「具合はもう大丈夫なのか?」
伊菅タケルが言った。
それに対してリサコは頷いた。
「まだ何か残っていると思うけど、食えるか?」
リサコは首を振った。
のどが渇いていた。
良介が飲みかけていたビールを見て、これは飲めない…と思った。
そして、その隣にお茶があるのを見つけ、そちらを飲んだ。
「君のお父さんらしき人が来て、娘を出せとわめいていたけど、具合が悪くて寝てるからって追い返したぞ。それでよかったのか?」
「うん。ありがとう…。」
リサコはその場面を想像して身震いすると同時に、少しおかしく思った。
「それからな。良介を、俺が引き取ろうと思っているんだ。奴もそれがいいと言ってくれている。」
伊菅タケルが言った。
リサコは黙って伊菅タケルを見返した。
そういえば、これから良介がどうなるのかよくわかっていなかった。
「ただ、俺は来月からイギリスに移住する予定で、そうなると、リサコとはしばらく会えなくなってしまうんだが…。」
リサコは無言でそのことを考えた。
茂雄がいなくなったら、良介はあの家にはもう暮らせないのだろう。
身寄りのない彼は、どっちにしろ親戚の家に預けられるか、施設に預けられることになる。
だったら、本人が行きたいところに行くのが一番いいに決まっている。
…でもイギリスって…。
その響きはリサコにとってはあまりに現実離れしていて、遠かった。
「良介がそれでいいなら…いいんじゃない…。」
リサコはうつむいてそう答えた。
無意識に膝の上で眠っている良介の髪を撫で、そっと前髪をかき分けた。
幼いころとまるで同じ顔をして眠っている良介の顔がそこにあった。
リサコが生きる人生は、地獄だ。この地獄に良介を引きとどめることはリサコにはできなった。
「できればお前たち二人とも連れて行きたいところだが、俺にはティーンズを二人養っていく経済力はない。それに、君はまだ未成年だから俺と一緒に来るには親父さんの協力も必要になってくるだろう。」
リサコは自分もイギリスに行くことを想像してみた。
…いや無理だろう…。
父さんを独りで置いて行けない…。
あんな父親なのに、これからは自分が面倒を見なければ、と思っている自分にリサコ本人もいささか驚いていた。
「大丈夫。良介を連れて行って。この子には居場所が必要。」
リサコはものすごく努力をして伊菅タケルに笑顔を向けた。
伊菅タケルも微笑み返してくれた。
伊菅タケルはポケットからカードのようなものを取り出してリサコに渡した。
名刺だった。
そこにはこう書かれていた。
ガイス
@gais_1892zz
リサコが顔を上げて伊菅タケルを見た。
「それは、SNSの俺のアカウントだ。」
「SNS?」
「そうだ。聞いたことない? これからの時代は、インターネット上のやりとりは全てSNSに移行する。俺はそう見ている。何かあったらそこに連絡をくれよ。世界中のどこにいても俺と繋がる。」
リサコはふーん…と言って伊菅タケルの名刺をポケットにしまった。
その後、彼女がその名刺のことを思い出すのは十年後になるとはこの時は思いもしなかった。
その晩、リサコと良介と伊菅タケルは葬儀場に泊まった。
線香番というのだそうだ。
伊菅タケルは何度か茂雄の棺桶が置いてある部屋に行って遺体となった彼に何か話しかけている様子だった。
リサコも一度、茂雄の棺桶の前に行ってみたが、足がすくんでそれ以上は近づくことができなかった。
良介は昏々と眠り続け、朝までは起きそうもなかった。
リサコたち三人は、葬儀場内にある家族が宿泊するための部屋で眠った。
翌日の葬式も葬儀屋の段取りで、滞りなく進行した。
リサコたちは言われたままに座っているだけだった。
リサコは終始頭がぼーっとしてフワフワした世界にいた。
まるで現実味がなかった。
最後のお別れの際に、みんなが茂雄の棺桶の周りに集まっていたが、リサコは近づくことができなかった。
開けられた棺桶から茂雄の顔が見えないくらいに離れて独り立ち、その光景を見ていた。
良介は棺桶を覗き込んで泣いていた。
あの子は強い。
私はあんな風に茂雄を見る事はできない。
ふと隣に気配を感じて見上げると、父親 幡多蔵がリサコの横に立っていた。
彼は無表情で静かに立っていた。
「これが終わったら帰って来るんだろう?」
恐ろしいほどに落ち着いた声で幡多蔵が言った。
リサコはうん、と小さな声で返事をした。
彼女は覚悟を決めた。この猛獣の元に戻ることを。
棺桶の方に視線を戻すと、良介がこちらに視線を向けているのが見えた。
リサコは大丈夫と視線で伝えた。
茂雄はあっとゆうまに骨になり小さな壺に納められた。
骨になってもリサコは茂雄に近寄ることができずにいた。
良介たちと数名の親戚、それから近所の親しくしていた人たちが交代で骨を拾うの見ていた。
父親はいつのまにか帰ってしまったようだった。
やがて葬儀は終わり、小さくなった茂雄を連れて、リサコたちは家に帰って来た。
茂雄のいなくなった家はガランとして見えた。
伊菅タケルは翌日仕事があるとのことで一度、都内の自宅へと帰って行った。
リサコと良介は二人、茂雄の家に残された。
この家は借家だったので、良介が伊菅タケルの元に行くタイミングで引き払われることになっていた。
良介はカウンターに行くと、コーヒーを入れ始めた。
いつも茂雄がしていたことを良介がやっているのだった。
そして、良介は自然な動作で引き出しから煙草を取り出すと吸い始めた。
「ちょっと!!」
リサコが慌てて立ち上がると、良介は「何?」と言う感じで見返して来た。
「これ、じいちゃんのなんだ。俺たちに黙ってこっそり吸ってたんだ。」
「それをあんたもこっそり吸ってたのね。」
呆れてリサコが言うと、良介は肩をすくめて見せた。
不思議な香りの煙草だった。
この家の不思議な香りの原因はこれだったんだ…とリサコは初めて知ることになった。
良介はふーーっと息を吐くと慣れた手つきで煙草をもみ消した。
それから手際よくコーヒーを淹れ、ソファーに座っているリサコのところへ持ってきて自分も彼女の隣に腰を下ろした。
コーヒーをすすると、茂雄が淹れたものとほぼ同じ味がした。
「昨日の…夕べのことあんまり覚えてないんだけど…俺、なんか変な事言ってなかった?」
良介がうつむいたまま言った。
酔っ払っていた時のことを言っているのだ。
「何も。でもメソメソ泣いてたよ。」
リサコがそう答えると良介は余計にうつむいてしまった。
しばらく沈黙が続く。
「リサコも…」
良介がボソリと言った。
「リサコも、来なよ…」
リサコは良介の顔を覗き込んだ。
泣くのを我慢しているような顔をしていた。
「イギリスに?」
「うん。」
「私は行けないよ。」
「どうして?」
顔を上げた良介は怯えた顔をしていた。
「私は…私は父さんの面倒を見ないといけないから。」
リサコはそう言い放ち、良介を真っすぐ見返した。
良介はショックを受けた表情をしていた。
「良介。あなたはタケルさんと一緒に行った方がいい。そうしたいんでしょう? ここに残っちゃだめだよ。」
「でも…」
「でも、じゃない。私は大丈夫。もうすぐ大人だし。自分の身は自分で守れる。」
そう言うと、リサコの言葉とは裏腹に彼女は泣き始めた。
良介は一瞬驚いたようだったが、すぐにリサコの身体を引き寄せると、その腕の中にしっかりと彼女を抱きしめた。
リサコは良介の胸に顔をうずめてしばらく泣いた。
良介の腕により力が込められるのを感じた。
この腕をずっと放さないでほしいと思った。
だけど彼女は言った。
「良介。連絡ちょうだいね。タケルさんが、どこにいても連絡取れるって言ってた。」
良介が「うん」と返事をしたのを聞き届けて、リサコは気を失った。
ハッと目を開けると、目の前で父親 幡多蔵が頭から血を流して倒れていた。
大きなイビキをかいている。
リサコは状況を飲み込めずに、自分を見下ろした。
血まみれだった。
「俺じゃねえ、俺じゃねえよ」
声がしたので見上げると、見知らぬ男がゴルフのパターを持って怯えた様子で立っていた。
見知らぬ男ではない…。父親の仕事関係で、何度か家に出入りしていた男だ。
その男はひぃぃ~と声を上げると、パターを投げ捨てドタバタと足をもつれさせながら、出て行ってしまった。
残されたリサコは倒れている幡多蔵を見下ろした。
そこら中、血の海だった。
どうしてこうなった!?
何が起きた!?
リサコはパニックに陥り、脳みそがさぁーーと冷たくなるような感覚を味わった。
意識が遠のく。
どんどん自分が自分から離れていくのがわかった。
意識を繋ぎ留めておくのはとても無理そうだった。
そうしてリサコは再び気を失った。
今度は深く。深く深く。深層心理の奥の奥まで。彼女は潜って行ってしまった。
(つづく)
[小説] リサコのために|044|十、良介 (1) →
