[小説] リサコのために|044|十、良介 (1)
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リサコが瀕死の父親を目の前に、精神世界の奥の奥へと潜ってしまってから、およそ十年後の東京。
良介は脳科学研究センターの犯罪調査科に向かっていた。
そこは、人の大脳皮質から直接記憶を取り出し、容疑者の記憶や犯罪の目撃情報などを調査しているセクションである。
かねてより、脳の海馬に蓄積された記憶は、一定期間が過ぎると、最終的に大脳皮質に転送され、その人が見聞きした全てがそこに蓄積されていることは知られていた。
ただし、その過程で記憶のデータに誇張、改ざん、ぼかし、圧縮などの処理が加わり、例え直接取り出せたとしても、それが真実なのか否かは神のみぞ知る…という代物だった。
それが、およそ3年ほど前に、この分野の最高権威である八木澤博士によって、全てのフィルターを解除した、完璧な記憶データを、生きている人の大脳皮質から取り出せることが証明されたのだ。
この研究に、セキュリティ機器メーカーの最大大手、ヨクトヨタグループが興味を示し、多額の研究資金を八木澤博士の研究室に注ぎ込んだ。
その成果あり、八木澤博士とヨクトヨタは、共同で記憶抽出装置ムネーモシュネーを開発した。
今のところ命に関わる事件の捜査でのみ、この装置の使用が許可されている。
当然ながら、例え殺人事件の調査であったとしても、記憶を丸裸にするのは倫理的に問題があるのではないかと、世間では激しい論争が巻き起こっていた。
しかし、ますます凶悪化し増加の一途を辿る犯罪抑止のために、仕方ない…というのが大半の意見だった。
そのムネーモシュネーを複数台所有し八木澤博士がリーダーを務めているのが、これから良介が訪れる脳科学研究センターの犯罪調査科なのだ。
良介は、八木澤博士に用があってここにやってきた。
ガラス張りの会議室で、良介はいてもたってもいられない気持ちで八木澤博士を待っていた。
五分ほど待たされて、八木澤博士とその助手らしき男がやって来た。
良介は立ち上がって彼らと握手をした。
「元村刑事。事前に送ってもらった資料を拝見しました。こんな奇遇もあるもんですな。」
八木澤博士が話を切り出した。
白髪を長く伸ばし顎髭を蓄えた、まるで童話に出てくる魔法使いのような風貌の老人だった。
そう、良介は、刑事としてここに来ていた。
先日、彼の所属するチームがとある殺人事件の担当となり、被害者情報を確認していたところで、懐かしい名前へと辿りついてしまったのだった。
良介の担当する殺人事件の被害者の名は北山安吾郎。森斬グループという表向きは建設会社となっている組織のチンピラだ。
先月、路地裏で胸を刺されて死亡しているのが見つかった。
北山安吾郎の生前の顔を見て、どこかで見た顔だな…と思った。
絶対に見たことがある顔だった。特徴的な長い顔。
どこでこいつに会ったのか、何が何でも思い出さなければならない…となぜか強く思った。
そして、思い出したのだ。
北山安吾郎は子どものころに見た顔だった。
遠目にしか見たことはなかったが、特徴的な長い顔。間違いない。
リサコの父親・幡多蔵と一緒にいるところを度々見かけた男ではないか?
良介は、何か胸騒ぎがして、犯罪データベースでリサコの父親・幡多蔵の情報を検索した。
すると、1件の事件がヒットした。
それは十年前に起こった未解決の傷害事件だった。
被害者の名は、山本幡多蔵。
画面を見ながら良介は凍り付いた。
傷害事件…?
事件の詳細を確認する。
被害者・山本幡多蔵は後頭部を鈍器で殴られ意識不明の状態で発見され、病院に搬送されたが、脳死状態に陥り、意識が回復しないまま昨年死亡。
現場には幡多蔵の娘・山本理沙子がいたが、記憶に障害があり、事情聴取は不可能な状態。
理沙子が犯人である可能性は極めて低く、当日誰か別の人物が家にいたような形跡があったらしい。
警察は真犯人を追っている。
被害者である幡多蔵の死亡をうけて、ムネーモシュネーでの記憶捜査が可能となり、数ヶ月前から唯一の目撃者とされるリサコの記憶捜査が行われている、と資料には書いてあった。
リサコ…!!!!
リサコが記憶捜査を受けてるだと?!
いったい、どんなところで、どんな調査を受けているのだろうか。
良介は記憶の奥底に仕舞い込んでいた感情が一気に溢れ出すのを感じていた。
良介がリサコに初めて会ったのは、確か3歳かそのくらいだったと思う。良介の父親とその再婚相手の義理の母は共に出張が多く、良介はじいちゃん・茂雄の家に度々預けられていた。
厳密に言うと、茂雄は良介の祖父の弟で大叔父にあたる。
茂雄は当時、駅前で喫茶店を営んでおり、良介とリサコはよくそこで遊んでいた。
リサコは茂雄によく懐いていた。リサコの母親が病気がちだったために、彼女が幼いころから茂雄が親代わりに面倒を見ていたのではないかと、大人になった良介は回想する。
良介が中学生になったころ、良介の両親はイギリスでテロに巻き込まれて亡くなってしまった。
それから良介は茂雄の家で暮らすようになった。
そのころにはリサコの母親は亡くなっていて、彼女は父親・幡多蔵と二人で暮らしていたが、あのクソ親父に暴力を振るわれて、リサコも茂雄の家で暮らすようになった。
その後…じいちゃんが死んで…。
良介の記憶はこのあたりが少々曖昧だった。
茂雄が亡くなってから、わりとすぐに従兄のタケルに面倒をみてもらうことになり、それきり良介はリサコとは会っておらず、連絡もとっていなかった。
タケルが良介の両親の事業を引き継いでイギリスに渡ったために、良介もついていったのだった。
幡多蔵の傷害事件が起こったのは、その翌年のことらしかった。
良介はと言えば、そんなことが起きているとは露知らず、中学生の間だけイギリスに滞在し、卒業後は帰国し日本の高校に通っていた。
そこでどういうわけだか刑事になろうと思い、今に至る。
日本に帰って来てからリサコを探そうとは一度もしなかった。
いや、探そうと思ったことは何度もあったが、良介にはリサコを置き去りにして行ったという罪悪感が強く、恨まれているのではないとの恐怖心があった。
それに、リサコにはもう恋人もいるかもしれない。
リサコには、恋人がいるかもしれない。
それを知る勇気が良介にはどうしてもなかった。
リサコは良介の初恋の人だった。
とても変わっている女の子だったけど、幼いころの良介に唯一優しくしてくれる女の子だった。
一緒に暮らすようになってから、リサコは常に一番近くにいたけれど、一番遠い存在だった。
良介はリサコの秘密を知っていて、その全てを愛していた。
リサコは本当に不思議な子だった。
彼女の中には……複数の人格がいたのだ。
良介は物心つくころから、リサコの中には名前も性格も異なる人が、少なくとも8人は存在してることを知っていた。
良介にとってはそれがあまりに当たり前だったために、リサコとはそういう子なのだと受け入れていた。
リサコ本人は他に人格がいることを知らず、良介は他の人格たちから、このことをリサコ本人には絶対に言ってはいけないと強く要求されていた。
じいちゃん・茂雄もこのことを知っていて、何とかしようとしていたが、他の人格たちによって妨害されていた。
茂雄が亡くなって、リサコと離れ離れになる際に、彼女に自分の気持ちを伝えようとも思ったがしなかった。
それから十年もたって、こんな形でリサコの名を再び目にするとは…。
これは運命としか言いようがない。
職権乱用で、良介はひたすらリサコに会いたいがためにここにやって来たのだった。
彼女がどんな状況であっても全てを受け入れるつもりだった。
良介もそれなりの経験をして大人になったのだ。
八木澤博士はリサコと面会する前に…と、ガラス張りの会議室で彼女の現状をいろいろ説明していた。
良介は上の空でそれを聞いていた。
リサコに関する資料は事前に隅から隅まで確認済だった。
資料には彼女の特徴が明確に記されていたので、彼らは彼女の中に複数の人間が混在することを知りながらこの調査を行なっていることになる。
数年前から彼女はずっと入院中だと資料にはあった。
記憶をほじくり返すようなことをして、彼女は無事なのだろうか。
彼は学生時代に犯罪心理学を学んできたので、精神医学の知識も多少なりと持っていた。
状況によってはすぐさま調査をやめさせるつもりだった。
「元村刑事は山本理沙子さんと古いご友人だとのことですが、山本幡多蔵氏の事件はご存じなかったのですか?」
八木澤博士が少々意地悪な感じで言った。
「はい…残念ながら…。お送りした資料にも書きましたが、事件の起きたころに私は日本に居りませんでした。私はその…中二のクソガキだったもので、手紙など書く器量がなく、山本家とはそれきり連絡が途絶えていました。」
八木澤博士が頷くと、こんどは博士に代わって隣に座っている助手が話し始めた。
「元村刑事。実は理沙子さんの記憶の調査で我々は少々手こずっておりまして。」
でしょうね…と良介は心の中で思った。
「理沙子さんの中には複数の人格が存在しています。それは、ご存知ですよね。」
「はい。何人かと面識があります。」
「理沙子さん本人には会ったことはありますか?」
「ありますよ。」
八木澤博士と助手は顔を見合わせた。
助手が続ける。
「実は、我々は一度も理沙子さん本人に会ったことがありません。交代人格が言うには、もう長い間眠ったままだとか。
事件当時の記憶には、非常に強い圧縮がかかっていて、我々のムネーモシュネーを持ってしても、正確な記憶を取り出せる状態にはありません。
事件の調査を進めるためには、記憶のガードを緩めてもらう必要があるのですが、交代人格との交渉は難航しています。」
交渉に応じているのが誰なのかわからないが、この人たちのことを全く信用していないのだろう。
良介も警戒レベルを少し上げた。
「どんなやり方で交渉してますか?」
「主に対話と催眠療法です。ムネーモシュネーも使っています。だいたい3人の交代人格が入れ替わりでこちらの交渉に応じてます。いずれも名前から察するに、即席で作られた人格なのかもしれないと我々は踏んでいるのですが…」
「名前…。アルファベットと数字の組み合わせの名前のことでしょうか? それならば、私が知っている名前も全てそれです。表に出てこない人格の名前までは把握してませんが。」
それを聞いて助手は、ふむ…と言いながらタブレットに何か書き込んだ。
彼らは良介がリサコのことをどの程度知っているのかさぐりをいれている。
交代人格の名前の特徴をあえてぼかして言ってきたので、良介は明確に示してみせた。
まずは彼らに信用してもらわないと、リサコに会うことは叶わないだろう。
誰が表に出ているのかはわからないので、具体的な名前を言うのはやめておいた。
もしかしたら、彼らに存在を隠している人格もいるかもしれない。
「実は、あなたから連絡をもらってから、理沙子さんに…、交代人格にですが、あなたのことを聞いてみました。」
良介の心臓がドクンとなった。
「あなたの名前を聞いたとたんに、彼女は非常に取り乱しました。それまでは、何を言っても動じなかったのに、我々も驚きました。」
良介は、その時表に出ていた人格が誰だったのか知りたいと思ったが、聞くのはやめておいた。
彼女と言ったので女性の人格だったのだろう。
「彼女は、あなたに会うことを望んでいます。彼女の希望としては、二人きりで会いたいそうですが、医師の判断で、まずは我々と医師の立ち合いの元、面会をしてくれませんか?」
「わかりました。」
「あなたは理沙子さんのご友人であると同時に刑事さんだ。さらに、認定心理士の資格もお持ちでしたよね? その点で我々は信頼していますし、非常に期待もしています。あなたは彼女の心を開いてくれるかもしれない…。そうしたらこの事件の調査は一気に前進することができます。」
「私は刑事ですが、山本幡多蔵事件の担当ではありません。今日は、まあ、友人として面会に来ている…ということですよ。」
八木澤博士はにっこりと微笑んで頷いた。
「承知しております。では善は急げです。彼女は隣接する病院に入院していますから、すぐに会えますよ。行きますよね?」
良介は、もちろんです、と言って席をたった。
この時ほど自分が刑事をやっていてよかったと思ったことはなかった。もしも良介が一般人であったなら、こんなにすんなりリサコに会うことはできなかっただろう。
もしかしたら、自分はこの日のために刑事になったのかもしれない…とまで彼は思った。
リサコの入院している病院は高級なホテルの様な造りになっていた。患者に余計な圧迫感を与えないためだな、と良介はすぐに理解した。
その豪華な造りに反して、警備は厳重のようだった。患者のプライベートは確保しつつ、収容されているフロアから脱出するのは難しく設計されている。
途中でリサコの担当医が合流し、軽くリサコの様子を説明してくれた。
普段は非常に安定していて、人格間の関係も良好、捜査にのみ非協力的、ということだった。
山本理沙子の部屋は、831号室だった。
部屋に入ると、彼女はラフな格好をして、ベッドの上に胡坐で座っていた。
事前に話を聞いていたらしく、良介たちが入って来ても、驚いている様子はなかった。
リサコは、良介が最後に見た時とさほど変わらない、少女のままの姿に見えた。
「山本さん。元村刑事ですよ。」
八木澤博士が話しかけると、彼女はベッドから飛び降りて、良介の胸へと飛び込んで来た。
良介は抱きとめようと腕を伸ばしたが、彼女はするりと身をかわし彼の背後にまわると、ギリギリと腕で首を締めあげてきた。
「良介…連絡するって言ってたじゃないか。何年待たせるんだ。」
怒りが籠った声が耳元にかかった。
(アイスリー…)
良介はすぐに相手が誰なのか分かったが、あえて声には出さなかった。
「ごめん…んぐぐぐ…!」
同行した医師は、リサコ、もといアイスリーが本気で良介の首を締めているのかと勘違いをし、あわてて彼女を良介から引き離した。
良介は首をさすりながら、医師に大丈夫だと伝えた。
アイスリーは何事もなかったかのようにベッドに座りなおした。
「それで、えーと君は誰かな?」
八木澤博士が言った。
「アイスリーだよ。」
彼女のが答えると、助手がタブレットにメモをした。
「で、元村刑事さまは何しにここに来たんだ?」
アイスリーがからかうような目つきで良介を見ながら言った。
良介はなるべくポーカーフェイスを貫き彼女を見返した。
「元村刑事が担当されている事件の捜査中に、偶然あなたのお父様の事件のことを知ったそうで、情報共有に来てくださったんですよ。」
八木澤博士が取り繕ったような優しい声で言った。
「あいつはあたしの父親じゃないよ。」
アイスリーはうつむいてしまった。
「ねえ、良介にだけ話したいことがあるんだけど。」
さきほどの威勢の良さは消え失せ、しょんぼりした感じでアイスリーは言った。
ダメだと解って言っているのだ。
案の定、彼らが二人きりになる許可は出なかった。
気を落とすな。初日だ。ゆっくりやるぞ…と良介は心の中でアイスリーに話しかけた。
患者の心情を思った以上にかき乱してしまったので、良介の面会はこれにて終了となった。
良介が部屋を出て行こうとすると、アイスリーがベッドから飛び降りて彼にしがみついて来た。
良介は彼女をしっかり抱き留めた。
「タスケテ。ここから出して。」
アイスリーは小さな声でそう言った。
その声は八木澤博士たちにも聞こえていただろう。
良介は他の人たちに自分の意向を知られたくなったので、軽く彼女の背中をポンポンと叩いた。
それは、幼いころ、リサコがよく良介にしてくれた安心するおまじないの動作だった。
アイスリーもこれを知っているはずだ。
アイスリーは医師に引き離されて、再びベッドに座らされた。
まるで母親に置いていかれる子供ような眼で良介を見上げていた。
「また来るから。」
良介はそう言うと、彼女の病室を後にした。
これで決定だった。
八木澤博士たちはリサコによくないことをしている。
何としてもここから連れ出さねばならない。
良介は刑事だ。
誰にも邪魔できない正当な理由で連れ出してみせる、と彼は誓うのだった。
良介はその足で警察署へ戻った。
自分のオフィスに戻ると、後輩の先崎サナが待ってましたとばかりに駆け寄って来た。
「せんぱーい!! いったいどこへ行っていたんですか? 単独行動はダメだって言われてるのにぃ。」
良介は先崎サナが苦手だった。
警察で働くにしては単純で純粋で正直すぎる。
「ああ、北山安吾郎関連でちょっと。」
「外出するときは私も連れていってください。安藤警部にも言われているんですよ。」
「はいはい。次からそうするよ。」
プンプン怒っている先崎サナを適当にあしらいながら、良介はパソコンに向かうと、幡多蔵事件の担当部署を検索した。
あまり面識のないチームが捜査担当になっていた。
好都合だ。北山安吾郎との繋がりは知られない方が動きやすい。
良介は、ごく自然にリサコをあそこから連れ出せるような計画を考え始めた。
(つづく)
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