[小説] リサコのために|048|十、良介 (5)
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翌日、良介は泣きはらした目で出勤した。
前に冗談で購入してほとんど使ったことがなかった伊達眼鏡がこんな形で役に立つとは…と思いながら、良介は眼鏡の奥の腫れぼったい目をフレームで隠した。
同僚たちへの挨拶もそこそこに、給湯室に逃げ込み、コーヒーを淹れる。
何か聞かれたら花粉症とでも言っておこうか…そう考えながら、ぼんやりとコーヒーをすすっていると、三上佐代子が給湯室に入って来た。
良介は咄嗟に彼女から顔を背けた。
三上佐代子はちらっと廊下の方を確認すると、小声で話し始めた。
「リサコさんの記憶抽出、明後日やるらしいわよ。聞いてる?」
良介は驚いて三上佐代子の方に向き直った。
「いや、聞いていない。確かなのか?」
「ええ。さっきうちの部署の担当が話してるのを聞いて念のためにスケジュール確認した。朝の8時からって書いてあったけど?」
「ずいぶん早い時間からだな。面会時間の前に始めようって魂胆なのかな?」
「そうかもね。…それより、何なのその顔。まさか、もうリサコさんに捨てられた?!」
良介はしまったと思い、眼鏡をなおすフリをして右手で目を隠した。
「…全然違いますよ、三上先輩」
わざと愛想よく答えながら、良介は頭の中で三上佐代子にどこまで話そうかと考えていた。
そこへ、先崎サナもやってきた。
「やっぱり、ここにいたんですね、せんぱい。…どうしたんですか? 泣きはらした顔して」
「泣きはらしてなんかいない」
良介は真顔で答えたが、この二人にはもう嘘は通用しないということを彼は悟った。
「わかったよ、話すよ。ここじゃまずい。食堂に来てくれる?」
三人は場所を食堂に移した。
幸い、食堂にはほとんど人がいなかった。
良介は昨日、リサコの父親である幡多蔵を名乗る人格が突然登場し話したことを、かいつまんで説明した。
リサコが北山安吾郎にされていたと推測される性暴力についても。
現状でその記憶を保持している人格はいないらしいが、そういうことがあったらしい…と説明した。
それを二人の女性警察官は冷静に聞いていたが、だんだんとその表情は怒りの形相となっていった。
話を終えると、三上佐代子と先崎サナは、テーブルの上で握りしめられた良介の拳を優しく握ってくれた。
「せんぱい、北山安吾郎のやったことを暴きましょう。たとえ死人でも罪は暴かれるべきです」
「私も同じ意見。でもどうするの? リサコさんの精神状態を考えると、幡多蔵が言う通り証言させるのは危険すぎる」
三上佐代子と先崎サナが言った。
良介もそれを一晩中考えていた。
「なあ、先崎、北山安吾郎の身辺調査をもう一度やってくれないか。対象は、北山と関わったころに未成年だった者、それと、未成年の家族がいる者だ。男女問わず」
「わかりました」
「これまで調べてこの類の話が浮上してこなかったのには何か理由があるかもしれない。北山安吾郎はずるがしこい。俺はリサコの他に被害者がいると踏んでいるが、なかなか喋ってはくれないだろう」
先崎サナは頷くと調査に出て行った。
残された良介と三上佐代子はしばらく黙って座っていた。
やがて三上佐代子が口を開いた。
「あんた、大丈夫?」
「まあ、あんまり大丈夫ではない」
「でしょうね。でも、今、リサコさんを救い出せるのは、恐らくあなただけだよ。踏ん張りなさい。それから、明後日の記憶抽出、忘れないで。八木澤博士はあなたを警戒している。先に出し抜かないとリサコさんを本当に奪われてしまうよ」
そう言い残して三上佐代子も席を立ち食堂から出て行った。
良介はしばらく考えてから、リサコのいる病院へと向かった。
病室に入ると、彼女は上半身を起こしてベッドに座っていた。
その姿勢は幡多蔵が現れた時と同じであったが、全く雰囲気が異なり、良介はほっとした。
表に出ていた人格はオーフォだった。
「やあ、どうしたの? 昨日来なかったから心配してたんだ。忙しいの?」
オーフォは呑気に言った。
昨日の幡多蔵の登場には気が付いていないようだ。
「明後日、ムネーモシュネーやるって聞いたんだけど」
「え? そうなの? 初耳。アイスリーの担当だから代わるね」
そう言うとすぐにオーフォが引っ込み、アイスリーが出てきた。
「なんだよ、寝てたのに…」
アイスリーは眠そうな声で言った。
人格たちが表に出ていないときにどんなふうになっているのか良介は知らなかったが、奥の部屋で食べたり寝たりしている…と聞いたことがあった。
「ごめん、明後日、記憶抽出をやるって聞いたんだけど、知らない?」
「明後日? いや、聞いてないな…いつも三日前くらいには知らせが来るんだけど…」
「朝8時からって普通?」
「いいや、だいたいいつも昼過ぎからやるけど」
「なるほど、これはダマでやるつもりだな。八木澤の野郎…」
「なんでだよ? 立ち合いの申請出したんだろ?」
「うん、でもヤギさんは俺を遠ざけたいみたいだな…。念のためにいつも調査をやっている場所を教えて」
アイスリーは良介が取り出したタブレットに、雑な病院の図を描いた。
だがそれで充分だった。
「ここに入るのにどうやってる?」
「私はいつも変な薬を注射されて歩けなくなるから、ベッドのまま連れていかれる。先生たちは扉を開けるのにカードみたいのをかざしてたと思うけど」
「カードをかざすのはここの一ヶ所だけ?」
「うーん? そうかな、たぶんここだけ」
良介はアイスりーから聞きたい情報を入手すると署に戻り、先崎サナの調査の状況を確認しに行った。
先崎サナは調査をだいぶ進めてくれていた。
北山安吾郎が直接関わった未成年者の数十人が上がっていた。
良介は洗い出し終わった人物の情報を送ってもらい、さらに細かい調査を試みた。
北山安吾郎が関わった未成年の多くは家出をしてきた少年少女であり、北山はバイトをあっせんする役割を担っていたようだ。
表向きには法的にも問題ないバイトを紹介していたようだが、そこから先を辿ると、別の如何わしい仕事に流れて行った者たちも少なくないようだった。
…これは一人ひとり当たるのは時間がかかりそうだな…。
それでもやるしかなかった。
この中にもしかしたら被害者がいるかもしれない。
北山安吾郎の殺害に関係している者もいるかもしれない。
良介は情報とにらめっこをしながら、事情聴取へ赴く優先順位を決めて行った。
これまでに既に話を聞きに行った者も含まれていたが、もう一度、別の角度から話してみる必要がある。
夢中で情報整理をして、ふと顔を上げると、目の前に先崎サナが立っていた。
「どうした?」
「北山安吾郎が接触した人物の家族構成を調べ終わりました。未成年の家族がいる者はまあまあな数になりますが、どうします?」
良介は少し考えて、彼女にこう指示を出した。
「君の感でいんだけど、何か引っかかる子がいたらピックアップしてくれないか。参考にする程度だから、深く考えないでやってほしいんだけど」
「え…感ですか!?」
先崎サナは嫌そうな顔をしたが、ひとまず「わかりました」と言って戻って行った。
その日は一日かけて情報を整理し、翌日から実際に赴いて事情聴取を始めた。
未成年たちはあまり積極的に話には応じてくれなかったが、誰もが北山安吾郎にはいい印象を持っていなかったようだった。
性的な被害にあった者がいないか、噂でもいいから教えてくれと聞き込みをしてみたところ、一人だけ、話してくれた女の子がいた。
家出をしてきた彼女は北山安吾郎の紹介で喫茶店でのバイトを始めたが、そこの社員のひとりにもっと儲かるバイトがあるとそそのかされてついていったら、客に性的なサービスをする店だったので逃げてきたのだそうだ。
どうやら北山安吾郎はその店とも何かしらの関わりがある様子だったとのことだった。
それで、彼女から教えてもらったその如何わしい店へと行ってみたが、使われていたアパートの一室は既にもぬけの空だった。
少女にここのバイトを進めたという喫茶店の社員を探したが、三ヶ月前に退社しており登録していた住所も出鱈目で偽名だったために、追うのには時間がかかりそうだった。
署に戻ってコーヒーを淹れていると、三上佐代子がやってきた。
「明日、どうするの? さっきも予定表を確認したけど、記憶抽出は実行されるみたいよ」
「もちろん行くつもりだけど」
「ひとりで? 大丈夫なの? 私も行こうか?」
「あ、それは大丈夫。俺ひとりの方が動きやすい。警察ではなくて夫として行くから」
それを聞くと、三上佐代子はじとっとした恨めしそうな眼で良介を見、ふん、と鼻を鳴らして給湯室を出て行ってしまった。
また怒らせてしまった…。と良介は思った。
これまでの人生でいったい何回彼女を怒らせて来たのだろうか。
良介はどうしても誰かを怒らせ続けてしまうのだった。
これが全部終わったら、三上佐代子と先崎サナにお礼をしないとな…と思った。
実のところ、そんな日はこの先絶対に訪れないのだが、この時の良介は知る由もなかった。
・・・
さて、いよいよ、記憶抽出装置ムネーモシュネーによるリサコの調査が行われる日がやってきた。
良介は朝の8時半に病院を訪れた。
確実に調査が始まってからの到着にしたかったのだ。
受付を通ると八木澤博士に連絡が行ってしまう可能性があった。
良介は外来の人たちに紛れて院内を歩いて回り、ひとり黙々と掃除をしているスタッフを見つけた。
動きはゆっくりだが、真面目そうな中年女性である。
良介は彼女に近づくと、人生最高の努力で爽やかな笑みを顔に浮かべ、警察手帳を取り出し「ちょっといいですか?」と話しかけた。
急に警察に声をかけられて、女性はびっくりしていたが、良介が院内で迷ってしまって調査立ち合いに遅れてしまった、と説明すると、それを信じて案内してくれることになった。
彼女のIDでムネーモシュネーが鎮座する調査室に入る扉も開けることができた。
調査室の扉が開くと、しばらく廊下が続いているようだった。
良介は、ここで清掃員にお礼を言い、自分の持ち場へ帰ってもらった。
廊下はコの字型に曲がっており、扉を開けた際に直接調査室が見えないようにするためのものらしかった。
角を曲がると、調査室が正面に見えた。
薄暗い部屋の中央に、リサコが宙吊りになっていた。
良介は目を疑ったが、リサコは部屋の真ん中で、映画の撮影で使うようなハーネスを付けて天井から吊るされていたのだ。
頭にはヘルメットのようなものをかぶり、そこからいくつものコードが伸びて右側にある巨大な機械に接続されている。
八木澤博士が手前のパネル板の前で何やら操作しているのが見えた。
誰もまだ良介の侵入には気が付いていなかった。
なぜならば、部屋の中には爆音で音楽が流れていたからだ。
激しい疾走感のある音楽。
良介はこの異様な雰囲気にたじろぎながらも、見つかる前にしっかり状況を把握しようと、廊下の壁に身を隠してさらに中の様子を観察した。
リサコの背後の壁にはプロジェクターか何かで巨大な映像が映し出されていた。
それは、複数の人間が武器を持って戦っているようなシーンだった。
映像の中の小柄な女性が動き、画面に向かって攻撃をしてきた。
すると、目にも止まらぬ速さで何かが画面側から飛んで来て、反対側にいる別の女性の方へと飛んで行った。
その女性は寸でのところでそれを避けた。
「パターンが変わった! 56か?」
映像から男性の声がした。
画面手前から棒のようなものが伸びて、ガツンガツンと目の前に映っている人物たちを攻撃しているようだった。
なんなんだ…これは…??
良介は身の毛もよだつ気持ちがして、部屋の中央に吊るされているリサコの方をもう一度確認した。
リサコ…おそらくあれはアイスリーだろう…は、目を見開き、恐怖に怯えた表情で正面を見ていた。
アイスリーの視線の先に何かあるようだった。
良介のいる位置からよく見えなかったので、できるだけ首を伸ばして覗いてみた。
すると、そこには、小さな人形? 日本人形のようなものが空中に浮かび、アイスリーと向き合っているのだった。
その人形は、手足をバタつかせて勝手に動いており、そして吊るされているのではなく、完全に浮いているようだった。
良介のいるところから、人形の顔は見えなかったが、良介は絶対にそれの顔をは見たくないと猛烈に思った。
アイスリーの恐怖の表情の後ろで、戦いの映像はまだ続いていた。
≪良介!! 一旦退散!!!≫
映像の中に声が響いた。
良介は急に自分の名前を呼ばれて動揺した。
映像の中にちらっと映った後ろ姿が、自分のもののような気がした。
(何を見ているんだ? この映像は何なんだ???)
良介はその場にしゃがみこんで、震えながら映像を見守った。
「リサコ!! ついに見つけたぞ!!!」
八木澤博士が叫んでいるのが聞こえた。
彼はパネル板を目にも止まらぬ手さばきで操作し、興奮しているようだった。
映像の中にピンク色の光が溢れた。
「オーフォ!? エル!? 良介!!!???」
叫ぶ女性の声が聞こえた。
それはリサコの声だった。
聞き間違えるはずがない、それはリサコの声だった。
リサコが呼んでいる、良介を…。
「みんな消したよ~!! 邪魔だったからね。やっと二人になれたねぇ」
八木澤が気色悪い声で叫んでいた。
良介は思わず立ち上がって調査室へと飛び出しそうになったが、すぐに思いとどまった。
映像の正面に日本刀を持った女の子が現れたのだ。
リサコだった。
良介のよく知るリサコの姿だった。
仁王立ちでこちらを睨んでいる。
それと同時に激しくなっていた音楽も止んだ。
「ガーーーーイスッ!!!!!!」
彼女は叫んだ。
「良介ぇぇぇぇえぇぇ!!!」
また…良介の名を呼んだ。
それを聞くと、良介の目に涙があふれ始めた。
今すぐにでも飛び出していきたい気持ちだったが、良介は全身、体の全てで、これを見届けないといけないと悟っていた。
良介はその場に再びしゃがみこんで成り行きを見守ることにした。
あの映像の中の女の子に、自らここを切り開かせないといけない。
そんなことを良介は、なぜだか知っていた。
今!!!!!
良介は念じた。
今だ、斬れ!! ヤギを斬れ、リサコ!!!
映像の中の少女が床を蹴って、こちらに向かって刀を振るった。
ドバーーーっと血が噴き出す様子が映し出された。
「ガイス!!!?? 私斬ったよ!!?? みんな無事なの?」
少女が叫んだが何も起こらない様子だった。
「はっはっはっは!!!」
パネル板に向かっていた八木澤博士がバカみたいな笑い声を発した。
「こんなこともあろうかと、バックアップをしこんでおいた、行け!!!」
言いながら八木澤博士がパネルの中のボタンを押すと、ガガガガガガガガガガと音がし、少女がまばゆい光で照らされた。
少女は目をしかめながら、こちらを確認して、そして、あんぐりと口をあけて驚愕の表情となった。
それは絶望が入り混じった表情だった。
「リサコーーー!!!」
八木澤博士が叫んだ。同時に映像の中のリサコがひっくり返って後ろに吹っ飛んで行った。
「あ、やべ、最大出力だった…」
八木澤博士が言いながらパネル操作をしていると、映像から別の声が聞こえた。
「はい、おしまいでーす!」
なんとも腑抜けた声だった。
八木澤博士もこれは予想外だった様子で、無言で映像に顔を向けた。
すると映像の両側から、ほぼ同じ顔をしたおかっぱの男女が覗き込んでいた。
「ちょと、八木澤さん、やりすぎですよ。ムネーモシュネーを引っ込めてください。」
「聞いてるんですか? やりすぎです。ここは深層心理の最下層ですよ。ここに介入するのは危険すぎます。」
二人のそっくりな男女は交互に言葉を発した。
この声に聞き覚えがあった。
≪体系≫ …。≪体系≫ だ…、こいつら ≪体系≫ だ。
そうして良介は何となくこの映像が何なのかを理解した。
これは…リサコの頭の中の映像なのだ…。
記憶抽出装置ムネーモシュネーは、こんなとんでもない装置なのか。
良介は部屋の中央に吊るされているアイスリーの方を見た。
今、彼女は目を閉じで穏やかな表情をしていた。
なぜ吊るす必要がある??
それからあの人形は何だ?
アイスリーの目の前に浮かんでいた日本人形はスパッと首の部分が切り離されて、頭と体がバラバラになって、それでもまだ浮いていた。
いつ切れたのか気が付かなった。おそらく、映像の中のリサコが何かを切った時なのであろう…。
「ほら、リサコが完全武装しちゃったじゃないですか。逆効果なんですよ。一旦終了してください。」
映像の中の双子が下がるように仕草で示しながら言った。
「くそう…」
八木澤博士はそうつぶやくと、パネル板に向かって何やら高速で入力しはじめた。
それと同時に映像がだんだんと暗くなりやがて何も映し出されなくなった。
≪超低速モードに突入しました≫
機械的な声が部屋に響いた。
「くそう…!!!」
八木澤博士はもう一度言うと、バンとパネル板を叩いた。
薄暗かった部屋に明かりが付き、吊るされていたリサコがゆっくりと降りてきた。
良介は出るなら今だと感じ、ゆっくり立ち上がると、部屋の中へと入って行った。
(つづく)
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