[小説] リサコのために|047|十、良介 (4)
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「おいおい、そんな怖い顔するなよ」
リサコの体を乗っ取った彼女の父親・幡多蔵は不敵な笑みを浮かべながら言った。
死してもなお、リサコの心と体を蝕んでいる幡多蔵に良介は底無しの嫌悪感を抱いた。
目の前に出現したのが、リサコの中の人格の一つであり、本物の幡多蔵ではない。
そのことは理解していたが、彼女の中に幡多蔵がいることがどうしても良介には許せなかった。
許容の範囲を超えている。
「出て行けよ、今すぐリサコの中から出て行け」
良介はできるだけ低い声で言った。
病室の外にこの会話が漏れてはいけないと思った。
「俺を憎むのは解るけどな小僧、俺は俺であって俺ではない。俺は存在する必要があって存在している。他の連中は俺の存在を知らない。それはリサコの護身のためだ。俺が言っている意味がわかるか?」
「わからない」
「そうか、お前は昔からものわかりの悪いガキだったからな。俺は汚れ役を全て引き受けるために出現した。
リサコと他の奴らが受け入れられないことを、俺は全て引き受けてきた。悪いことは全て俺に押し付けて、リサコは清いままだ。それでリサコは保たれている」
良介は少しこの人格の話を聞こうという気持ちになってベッドの横の椅子へ腰かけた。
心臓はまだ早鐘のようになっているが、彼は必死で自分の感情を押さえつけた。
今は冷静に、こいつの話を聞いてみよう…。
「あんたは…いつからいるんだ? 昔から? ずっと小さいころから?」
「いいや、リサコがガキのころは別の奴…確か ディスポーザー とか言ったかな。そいつが痛みを全て受けていた」
ディスポーザー…。初耳だった。そんな名を良介は今の一度も聞いたことがなかった。
それに痛み? 痛みとは何だ?
そんな良介の心情を察してか、リサコの体を乗っ取っている幡多蔵はまるで憐れんでいるような表情をした。
「おい、小僧。お前が知っていることなんて、この世界のほんの一握りなんだよ」
それを聞いて良介は抑えきれないほどの怒りを感じた。
かつて子供のころにリサコの口から始めて父親に暴力を振るわれていると聞いた時に感じたものと同じ怒りだった。
良介は、思わず、目の前の幡多蔵を名乗る者の襟首をつかんで揺さぶっていた。
「痛みとは何だ? …リサコの親父がやってたことか?」
幡多蔵は良介の腕を振りほどくと、とてもリサコの腕とは思えない腕力で良介の体を押し戻した。
「小僧、落ち着けよ。俺…幡多蔵がリサコを痛めつけ始めたのは中学の終わりからだ。親父の暴力を請け負っていたのはアイスリーだ。それはお前も知っているだろう。
ディスポーザー が出現したのはもっと前だよ」
「もっと前って、どういうことだ?」
良介は寒気がしてきた。この先のことを果たして自分が知りたがっているのかどうかまるで自信がなかった。
リサコの身に起こっていることを知りながら、自分ではどうすることもできなかった、この絶望的な無力感。
少年時代に感じていたそれを、良介は再び味わっていた。
「なあ、良介、ディスポーザーって意味知ってるか? 生ごみを粉砕する機械のことだよ。ディスポーザーには五感も感情も何にもねぇ。ただ、ゴミみたいな経験を粉砕して記憶から抹消するためだけに存在していたんだ。
だから、俺もそれが何を体験していたのかは具体的には知らねぇ。…だが、だいたいは察しがついている。
聞きたいか、良介。お前に受け止める準備はできているのか良介」
良介はめまいがしてきたので、リサコのベッドの上にそっと頭を乗せた。
その状態でしばらく考えた。
幡多蔵だと名乗るこの人格は、誰も知らないリサコの根源に関わる出来事のことをこれから語ろうとしている。
それを自分が知る必要があるのだろうか?
それでもリサコのことを愛せよ、ということなのか。
それならば、そんなことは知ろうが知らまいが、どんなことがあろうとも、良介の愛が揺らぐことは決してあり得なかった。
なぜ今、急に出て来て語ろうとする?
「あんたは…なぜ、俺に話す気になったんだ?」
顔を挙げずに良介は訊ねた。とてもリサコの顔を見る気にはなれなかった。
「そんなの決まっているじゃないか。…お前が良介だからだよ」
答えになっていない…。前にもこんなようなことを言われたような気もする。
何かわからないが理由があって良介に語ろうとしている。
そう解釈するしかなかった。
これまで、誰にも知られずに来たことを、良介と共有することで、何かが変わると思っているのか。
お構いなしに幡多蔵は続ける。
「良介、俺がこれからお前に話そうとしていることは、これまで誰も知らなかったことだ。だがな、このままあのムネー何とかという記憶をいじりまわす機械を使い続けたら、どんなことが起こるかわからない」
幡多蔵がグイっと良介の首根っこを掴んで顔をあげさせた。
「このままだとだな、均衡が崩れて全てが明るみに出てしまう危険もある。ディスポーザーは記憶を消去してきたが、脳内の記憶は完全に消されることはない。アクセスできないところに追いやっただけだ。この肉体が滅びるまで、その記憶は脳の中に残っている。あの八木澤の野郎はそれを取り出してしまうかもしれないんだ。」
幡多蔵はしばらく黙って良介を見ていた。
そして言った。
「俺はあの事件の真相を知っている」
沈黙。
彷徨ってしまった良介の思考が幡多蔵の言っていることに追いつく。
「あの事件て? 幡多蔵の傷害事件か?」
「そうだ。」
「リサコの親父をやった奴を知っているのか?」
幡多蔵はニヤリと笑った。良介が食いついて来たので面白がっているように見えた。
「お前はもう、答えを知っているはずだぞ、良介」
「……北山か? 北山安吾郎なのか?」
リサコの体を乗っ取っている幡多蔵はゆっくりと頷いた。
「……しかし、当時、山本幡多蔵は北山の良い金づるだったはずだ。動機がない」
「それが大いにあるんだよ。それを説明するため、ディスポーザーの消滅と、俺が誕生した経緯を語らなければならない。」
良介は何となく理解してきた。
この幡多蔵の人格は、良介に事件の真相を語るために表に出てきたのだ。
「いいよ。聞くよ。話して」
良介は椅子にしっかり座りなおし、幡多蔵が支配しているリサコと向き合った。
幡多蔵はゆっくりと、リサコに何が起きていたのかを語り始めた。
「俺が出現したのは、リサコの親父・山本幡多蔵が頭をカチ割られて床に転がった瞬間だった。
幽体離脱みてぇによ、自分が転がっているのが見えた。
あ、本当の幽霊とは違うぜ。あくまでもリサコの中での話だ。
同時にディスポーザーが突如としてそれまでの役割を放棄し消滅してしまった。
その時にはまだ俺にはリサコの体を支配する権限がなかったもんで何もできなかったが、ディスポーザーが消滅する瞬間を感知し、そいつの役割もなぜか理解できた。
リサコの中で起こっていることを俯瞰で見てるって感じかな」
幡多蔵はリサコの手を使って幽霊のような仕草をしてみせた。
そして話を続ける。
「ディスポーザーが消滅した瞬間、一瞬だが主人格のリサコの意識が浮上してしまった。そんでリサコは見た。父親が頭から血を流して倒れているのを。そして北山が逃げていくところを見た。」
「……そのシーンをリサコ本人は覚えているのか?」
「いや…わからねぇな。その直後に主人格のリサコは深層心理の奥へと逃げてしまった。そこは俺にも追跡できない世界だ。
リサコとディスポーザーに放棄されたこの肉体はその瞬間に空っぽになってしまった。その隙に入ってみたら、俺が体を支配できたって成り行きさ」
「なるほど…あんたが人格として誕生した経緯はわかった。とんでもない話だが、俺は信じるよ、直観だが。
…それで、北山が山本幡多蔵を襲った理由は…?」
「そこなんだよ。いいかここからが辛い話だ。覚悟して聞けよ」
良介は生唾をごくりと飲み込んだ。ここまで来たら聞くしかあるまい。
「俺も断片しか感知できていないから定かではないが…リサコは北山安吾郎に性的な暴力を受けていたんじゃねぇかなと思う。一回や二回じゃね、常習的にだ」
それを聞くと、良介は無言で立ち上がった。
怒りで体が震えていた。ある程度予想はしていたのだが、実際に言葉となって耳に入ってくるそれは、おぞましく耐え難いものだった。
良介は必死で怒りを抑え込み、再び椅子に座った。
「まあ小僧、落ち着け。俺も消滅したディスポーザーの残像から断片的に受け取った情報だ。確信はねぇ。だが、可能性としては充分にありうる。
北山安吾郎は死んだんだろう?」
「ああ。もしもあんたの話が本当だったら罪を償うことなくあっさり死んでしまったよ」
良介は歯ぎしりしをしながら言った。
「あんな奴の人生はろくなもんじゃねぇ。ろくでもない人生で、ろくでもないことをして、最後は路地裏で惨めに死んだんだろう? ざまあねぇよ」
幡多蔵はくっくっくと笑った。それを見て良介はぞっとした。
これもリサコの一部…ということを忘れそうになるほどに不気味な笑いだった。
「まさかとは思うけど、あんた、北山安吾郎の死に何か関わってたりする?」
良介はだいぶ嫌な妄想に駆り立てられて思わずそう質問した。
それに対し、幡多蔵は驚いた顔をして、ゲラゲラ笑い出した。
「まさか、俺はずっとここに監禁されてるんだぞ。まあ、居場所がわかってたら殺ったかもしれないがな」
「絶対にそれ、他人の前で言うなよ。」
「言うかよ、俺はお前以外の前には出ないし。
それでだ、話を戻すが、恐らくだが、あの事件の時、北山の野郎が悪さをしているところを、親父に見つかって乱闘…とかいう筋書きじゃねぇの?」
ありうる話だ。辻褄があう。
十年も前のことで山本幡多蔵も北山安吾郎もこの世にいない今、立証するのはむずかしいかもしれないが、この証言をすることで記憶抽出装置ムネーモシュネーからリサコが解放される可能性はある。
「いまのことを警察に話してくれないか。匿名の人格としてでもいい」
良介は幡多蔵を名乗る人格に向かって言った。
それに対して幡多蔵は首を横に振った。
「無駄だよ。俺たちみたいな奴の証言は意味をなさない。話の裏を取るために記憶抽出装置が使われるだろう。
そうなったらディスポーザーと俺が隠して来たことが明るみに出て、リサコの精神は崩壊する。
黙っていても話をしても待っているのは地獄だ。
俺は途方に暮れていた。八方ふさがりだった。そこに現われたんだよ、お前が。良介がさ。あのクソガキがよ。救世主みたいに輝いて見えたぜ。
俺の知っていることは全部話したぞ。お前のそのたぐい稀なる頭脳で考えてくれよ。リサコをここから連れ出す方法をさ。」
幡多蔵は馴れ馴れしく良介の肩に手を置いた。
その手がとても重たく感じられた。
「わかった…ない知恵を絞って見るよ…」
良介は幡多蔵に別れを告げると病院を後にした。幡多蔵の存在を他の人格に知られるわけにはいかないので、その日は他の人格には会わずに帰った。
仕組みはよくわからないが、彼らは自分の意思で記憶を共有したり、他の存在をシャットアウトしたりできるらしい。
急に病室に良介がいて記憶が共有されていないとなると、いままで誰と話してた? と問い詰められるのが目に見えている。
とにかく、幡多蔵の存在は誰にも悟られないのがよさそうだ。
≪体系≫ は全てを把握しているものと思っていたが、ディスポーザーと幡多蔵のことは知らないのだろうか?
それとも隠しいてるだけなのだろうか?
もう一度状況を整理する必要がありそうだった。
良介は余力があれば職場へ戻るつもりもあったのだが、そのまま自宅へと直帰した。
幡多蔵を名乗る人格から受け取ったのは、良介が処理するのには重すぎる内容だった。
冷蔵庫からビールを出しては飲み、何本も飲んで、良介はずっと泣き続けた。
このまま北山安吾郎がしたと思われることを明るみに出さずに終わらせることは良介の心情としては、とてもじゃないができなかった。
たとえ北山が死人だろうが関係がなかった。
だが、それによってリサコが生きていかれなくなってしまうのであれば本末転倒だ。
(どうしたらいい…俺はどうしたらいいんだ…じいちゃん…)
良介は途方に暮れて酒に酔い、泣きながら眠りの世界へと落ちていった。
(つづく)
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