[小説] リサコのために|046|十、良介 (3)
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「え、婚姻? 俺と?」
「そうだよ、何か不都合ある? リサコと夫婦になれない理由があるの?」
≪体系≫ は表情を変えずに言った。
良介はしばし考え込んだ。
状況は複雑だ。
警察に勤める良介は、勝手に結婚はできない。
相手の身辺調査をし報告する必要がある。
これは交際する段階で行うことなっているので、リサコとは交際ゼロ日でいきなり結婚するというストーリーを作らなけらばいけない。
それから、最大の目的である、記憶抽出装置ムネーモシュネーによる調査を止めさせることが、配偶者になることで本当にできるのかどうか。
警察である前に、彼女の夫であり認定心理士である…という立場から主張すればそれはなんとかなるかもしれない。
だが、職業柄、上からの命令に逆らえないという弱点もある。
≪体系≫ がどこまで解って行っているのか良介には推しはかれなかった。
そんな心情を察したのか、≪体系≫ はこう続けた。
「まあまあ、そう難しく考えるな、良介。昔からの悪い癖だよ、良介。考えているうちに取り返しのつかないことになるぞ。“俺の妻がこれ以上苦しんでいるのを見て居られない” とか主張し続ければいい。警察の中にはムネーモシュネーに懐疑的な派閥とかないのかな?」
「懐疑的な派閥? あまり聞いたことはないけど、探せばいるかもな。」
「じゃあ、そいつらを探しておいてよ。あ、それから、信頼できる弁護士はいないの? 決して買収されない弁護士とかさ」
「いや…弁護士の知り合いはいるが、信頼できるやつはいない…。」
≪体系≫ はあきれた、というように首を振った。
「…まあ、いいや。では、早急に頼んだよ。結婚しよう。」
そう言って ≪体系≫ はにっこり微笑んだ。
その笑顔を見て、良介は大切なことを忘れていたことに気が付いた。
「…あ、俺はいんだけどさ、その、そっちはいいの? リサコ抜きで決めてしまって。」
それを聞いて ≪体系≫ は「あっはっはっ」と笑った。
「それなら大丈夫。何を心配している。だって、おまえは良介だぞ。いいに決まってるじゃないか。」
それは、どういう意味で? と良介は思ったが口には出さなかった。
良介は ≪体系≫ に別れを告げると、病室を後にした。
その足で署に戻ると、先崎サナから山ほどの調査報告が上がって来ていた。
北山安吾郎が生前関わった人物の詳細が種類別にまとめられていた。
一人の人間が人生の中で関わる人間は想像以上に多い。
特に、北山安吾郎のような便利屋は人脈が財産みたいなところがある。
奴に関わった人間の数は膨大だった。
その中の誰かにどこかで恨みを買い、北山安吾郎は刺されたのだろう。
通り魔に刺されたのではないかぎり、犯人には何らかの理由がある。それをあぶり出すのだ。
良介は黙々と北山安吾郎と関わった人間の状況を確認していった。
先崎サナも同様の作業をしている様子で、今日は変に絡んでは来なかった。
一度、区切りのよいところで抜け出して区役所へ向かった。
婚姻届けを出すためには、両者の戸籍謄本が必要だったり、証人が必要だ。
それから、リサコの身辺調査。
実はリサコと再会する前にざっと調べてはいたのだが、彼女の犯罪歴は、未成年の頃に万引きで何度か警察のお世話になった程度だった。
父・幡多蔵の襲撃事件をきっかけに精神が著しく不安定になり、高校は中退。
これまで入退院を繰り返し、定職にはつけず、生活保護受給者だった。
主人格リサコの不在時に、他の人格が犯罪まがいのことをしていた可能性はあるとは思うが、警察のデータベースにこれといった情報はなかった。
ごく普通…とは言えないが、これくらいなら問題ないだろう。
問題は父親の幡多蔵だが、既に故人だ。
故人の調査報告は不要である。
何か物言いが入るかもしれないが、良介はリサコ本人とは関係ないと言い張るつもりだった。
婚姻の際の身辺調査は三親等まで行う必要があるのだが、リサコの場合、生存している親族はいない、ということになる。
良介はそのことを改めて資料として目にし、リサコの孤独を想って震えた。
彼女の本物の家族になろう…良介はそう誓うのであった。
リサコの身辺調査報告書はA4用紙一枚に収まってしまった。
あとは、交際ゼロ日で結婚に至ったエピソードを捏造すればよい。
事件の調査の中でたまたま幼馴染の居場所を知り訊ねたところ、子ども時代の約束をお互い思い出し、結婚を決めた…とでも言うつもりだった。
それは、良介らしからぬ行動になり怪しまれるかもしれない。いや、実際かなり無理がある。
だが、ラブストーリーは突然に、なのだ。
数日のうちには籍を入れてリサコに対する権限を手に入れないと、≪体系≫ の言う通り手遅れになってしまう可能性も無きにしも非ずだった。
良介は開き直って、リサコとは交際ゼロ日で結婚するのだと言い張ることに決めた。
こうして良介は、リサコと北山安吾郎という対照的な二人の人間の身辺を同時に調べることとなり、妙な気持ちになっていた。
こんなににも対極的な二人だが、人生のある時点でふと接点を持った。
人生とはわからないものだ。誰がどこで出会うかなんて、本当に誰にもわからない。
良介とリサコが出会ったのも、運命のほんの小さな揺らぎのせいなのかもしれない。
とりとめもなく、良介はそんなことを考えた。
婚姻届けに必要な書類は数日で用意することができた。
証人は直属の上司とその夫人にお願いした。
上司は突然の良介の結婚に驚いていたが祝福してくれた。
妻となるリサコが入院中なので、他のみんなには結婚の事実を伏せてほしいとお願いすると、快く引き受けてくれた。
こうして、良介とリサコは無事、婚姻関係となることができた。
良介は数日仕事を休み、籍を入れることで必要になったさまざまな手続きやリサコの名義変更などをしてまわった。
幸い、リサコは銀行の講座は一つしか持っていなかったし、その他手続きが必要なことは入院に関することだけだったので、それほど面倒ではなかった。
ムネーモシュネーによる調査の立ち合い申請もすぐさま出した。
良介はその合間にリサコの病室を度々訪れたが、≪体系≫ は奥に引っ込んでしまって表には現れなかった。
オーフォによると、頭脳担当の人格たちを集めて今後の動きを再確認しているのだそうだ。
“シミュレーションしてる” とオーフォは言った。
まるで頭の中にマシーンがあるみたいだな…と良介は思った。
もろもろの手続きを全て終え職場へ戻ると、良介が結婚したという噂が既に広まって一周回った後だった。
出勤したとたんに、どういうことなのかと皆に問い詰められた。
「どうもこうもない。昔、結婚を約束した人と再会したので結婚しただけですよ。」と良介はそっけなく答えた。
この返答が実に普段の良介らしかったので、皆はそれで納得したようだった。
ただ一人、先崎サナだけはいつまでも怒っているようだった。
「その人って、せんぱいがいつもお見舞いに行っていた人ですか?」
「そうだけど?」
「何で私に話してくれなかったんですか?」
「何を?」
「その人が恋人だって。」
「なぜ? 言う必要ある?」
それで良介は余計に先崎サナを怒らせてしまった。
(どうしてこんなことで怒るんだ…)
仕事の関係にもこうして感情を絡めてくる先崎サナがやはりどうしても良介は苦手だった。
面倒な奴だな…と感じていた。
実のところ、リサコの方がよっぽど面倒な奴なのだが、今も昔も良介はリサコのことを面倒だと思ったことは一度もなかった。
やれやれと思って席を立とうとしたところで、廊下の向こう側から、旧友であり職場の先輩でもある三上佐代子がこちらを睨みつけるようにして立っているのが見えた。
その視線に良介は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
あの視線は間違いなく、良介に何か怒るところがあって向けられているものだ…。
彼女も良介婚姻の噂を聞きつけてわざわざ怒りに来たのだろうか…。
三上佐代子は同じ高校の先輩でもあり、かなり親密だった時期もあった。
良介は三上佐代子の視線に気が付かないフリを一度はしたものの、逃れられないと悟り、しぶしぶと彼女の元へと向かった。
すると、三上佐代子は予想外のことを口にした。
「八木澤博士からうちの部署に問い合わせがあったんだけど。」
「八木澤博士が?」
「元村良介と言う刑事が、山本幡多蔵事件の記憶調査に首を突っ込んできてるけど、何か?って。」
それで良介は思い出した。
リサコの父親・幡多蔵の傷害事件の調査をしているのは三上佐代子のいる部署だった。
調査班の中に彼女の名が無かったので調査には関わっていないだろうと安心してすっかり忘れていたのだ。
(八木澤の野郎…)
「三上先輩は山本幡多蔵事件の捜査には関わっていないと思ったけど。」
良介はあえてしれっと言った。
「たまたま調査班が出払ってたから私が連絡を受けたの。よかったわね、電話出たのが私で。」
「それは幸運だったよ。」
「で、何なの?」
三上佐代子の様子から、どうやら彼女はまだ良介の結婚については聞いていないようだった。
そのことを今言うべきかどうか良介は一瞬迷った。
黙っていたらまた怒られるだろうか…。
「その山本幡多蔵の娘と結婚したんだよ。」
良介は思い切って言ってみた。
案の定、三上佐代子は驚いた顔で固まってしまった。
「だから、元カノの佐代子はあんまり関わらない方がいいじゃないの?」
これ以上質問されたくなくて、思わず言ってしまった。
言ってから、しまった…と思った。だがあとの祭りだった。
三上佐代子は今の一言でかなり怒ってしまったようだった。
良介はこうしていつも失言をして、人を怒らせてしまう。
特に目上の人や女性に対して…。
「ええええ~!!! 三上先輩って元村先輩の元カノだったんですかぁ!!!!」
急に横で甲高い声がしたので振り向くと、先崎サナが目を見開いて立っていた。
会話を聞かれてしまったようだ。
三上佐代子が慌てて、しーっと仕草をして先崎サナを黙らせた。
「サナちゃん、それは誤解。元カノじゃない。付き合ってなんかいない。」
三上佐代子は良介に恨めしそうな視線を送りながら言った。
「それより、何なの、いきなり結婚て。」
「三上先輩、聞いてなかったんですか? 何でも、せんぱいが子供のころ結婚の約束をした人らしいですよ。」
先崎サナが口を挟んで三上佐代子に余計な情報を与えた。
「ますます怪しい。こいつがそんな情を持っているはずがない。」
三上佐代子のこの発言には良介も少しは怒ってよかったかもしれないが、そんなことは許されない空気になってしまった。
これは、この人たちに全てを話すしかないのかもしれないと良介は考えた。
これ以上取り繕っても余計に問い詰められるだけか。
いっそのこと味方についてもらえたら…そう良介は考えたのだった。
「わかったよ。全部話すから、場所、移動しない?」
良介は三上佐代子と先崎サナを食堂に誘った。
食事時ではなかったので、人が少なく好都合だった。
良介はこの二人に全てを語ろうと、重たい口を開いた。
「山本幡多蔵の娘、山本理沙子に初めて会ったのは、俺が三歳くらいのころだ。彼女はとても変わった女の子だった。」
こうして良介はできるかぎりのことを話した。
リサコの中に複数の人格がいること。
彼女が父親に虐待されていたこと。しばらく良介とじいちゃんの家で三人で暮していたこと。
じいちゃんが死んで離れ離れになって、それから連絡を取ってなかったこと。
良介がたまたま担当になった事件の被害者・北山安吾郎がリサコの父・幡多蔵と関わりがあったことを思い出し、現在のリサコに繋がったこと。
リサコに幡多蔵襲撃事件当時の記憶がないこと。
八木澤博士の記憶調査でとにかく苦しんでいるから救い出したい、という気持ち。
良介がずっとリサコに恋愛感情を抱き片思いをしてきたことは二人には言わなかった。
それは言う必要はないと思った。
「じゃあ、あなたは、そのリサコさんを連れ出すために彼女と結婚したの?」
「まあ、そうなるね。」
三上佐代子はフンと鼻をならして腕組みをすると黙ってしまった。
しばらく気まずい沈黙が続いたが、先崎サナが口を開いた。
「私、せんぱいとリサコさんを応援することにしました。」
それを聞くと三上佐代子は驚いて彼女の方を見た。
「え、サナちゃん、良介のことが好きだったんじゃなかったの?」
「え"っ。好きってそういう好きはないですよ…やめてくださいよ。」
先崎サナが本気で嫌そうな顔をしたので良介は少し傷ついた。
うぬぼれていたわけではないが、この後輩が自分のことを恋愛の対象として見ているのではないかと少なからず思っていたところがあったのだった。
それは完全なる勘違いであったことが今発覚した。
そんなことは意に介さず先崎サナは続ける。
「でも、せんぱいのことは尊敬しているんです。どんな痛ましい事件にも感情的にならずに、淡々と調査するところとか。正直、サイコパスか何かかと思ってたんですよ。和ませようとしても、全く心を開いてくれないものですから。」
(和ませようとしてたのか…勘違いされるぞあれは…)
良介は思ったが黙っておいた。
「でもそんなサイコパスなせんぱいが情で動いただなんて、興味津々ですよ。それに、私はムネーモシュネーには賛成できない立場です。たとえ殺人犯であっても記憶を穿り出すのはどうかと思うんですよ。ましてや、リサコさんはただの目撃者でしょう?」
「八木澤博士はおそらく、リサコさんのその特殊な状態での記憶調査がしたいだけなんじゃない? 私もムネーモシュネーには反対。うちの部署は推進してる方だけど。今後、性犯罪の調査にも使おうとしてるらしいじゃない。被害を受けた人の事情聴取や裁判なんて、ただでさえ精神的苦痛が多いのに。記憶を覗かれた上に、その記憶に関して他人にあれやこれや言われるなんてゾッとするわ。」
三上佐代子はブルブルっと身体を震わせた。
良介は二人が自分の味方になってくれたことを理解した。
話してよかったと思った。
言いずらいことでも話した方がやりやすくなることはたくさんある。
「というわけだ。二人には何かしてもらうことはないかと思うけど、口裏合わせはしてもらうこともあるかもしれない。」
「まあ、そのくらいはいいけど。」
三上佐代子は何か思うことがあるようだった。
「その…≪体系≫ って人格がムネーモシュネーに反対の派閥を集めろって言ってたんでしょう? 何か企んでる?」
良介は肩をすくめた。実際に ≪体系≫ が何を企んでいるのかはよくわからなかった。
確かなことは、リサコにとって悪いことは絶対にしないということだ。
三上佐代子と先崎サナは、何か進展があったら教えてと言い残して自分の職場へと戻って行った。
良介は詮索好きな同僚を巻き込んで少しほっとしていた。
自分のことをあれこれ聞かれるのは苦手なのだ。
これで少しはほっといてくれるだろう。
良介も何食わぬ顔で職場へ戻ると北山安吾郎の調査の続きを進めた。
だが、ひとつも新しいことはわからなかった。
北山安吾郎の人生に登場する人物は、相変わらず怪しい奴らばかりであるが、北山安吾郎を殺害するほどの悪意を持っていそうな奴もいないのだった。
北山安吾郎はそのへんは天才的な距離感を持っていたようで、一人の人間に深く関わらないようにしていたようだ。
浅く広く。これが北山安吾郎の揺るぎない特徴であった。
誰にとっても便利だが、どうでもいい奴。それが北山安吾郎だった。
仕事を早めに終えると、良介はそのままリサコの元へと向かった。
そろそろ記憶調査の立ち合いの許可が下りているかもしれない。
それから、同僚二人に全ての事情を話した旨も伝える必要もあった。
それには少し緊張した。他の人にリサコの事情を話すのはまずかったかもしれない…と思ったのだ。
病室に入るとリサコはベッドから体を起こして座っていた。
窓から西日が差し込んで影が長く伸び、部屋の中はまるで絵のように見えた。
何かおかしい…。
良介がそう感じ取ったと同時にリサコが口を開いた。
「よう、小僧。久しぶりだな。元気そうじゃねぇか。」
これまで聞いたことのない口調だった。
口の悪いアイスリーとも違う。そもそもアイスリーなら「久しぶり」とは言わないはずだ。
「誰だ?」
良介は警戒心を強めながら訪ねた。
「おいおい、俺のことを忘れちまったのか? ジジイはどうしたんだよ。酒持って来いよ。ああ、そうか死んじまったんだな。悪いな、忘れてたよ。」
そうして、リサコ…いや、リサコを乗っ取っている何かはクスクスと笑った。
それで充分だった。良介がこれが何者であるのか知るには充分なヒントだった。
体中から血の気が引いていくのが感じられた。
そんなことってあるだろうか…。
今、リサコの身体を乗っ取っているのは、他でもない。リサコの父親・山本幡多蔵なのであった。
(つづく)
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