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第10回:イエス・キリストの十字架はA.D.33年の出来事と伝えるヨハネの福音書の暗号文(ヨハネ2章~5章)

◆ペテロが語る十字架の説教を聞いて心を刺されたユダヤ人たち

 ヨハネ2章の背後の「使徒の時代」では、五旬節の日にガリラヤ人の弟子たちが聖霊を受けたこと(使徒2章)が描かれていることを前回の第9回で書きました。

ヨハネ2:11 イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた

「イエスを信じた」=「聖霊を受けた」
という方程式がヨハネの福音書には存在しますから(第7回参照)、このヨハネ2:11でガリラヤ人たちの弟子たちが聖霊を受けました。

そしてヨハネ2:23の、

ヨハネ2:23 過越の祭りの祝いの間、イエスがエルサレムにおられたとき、多くの人々がイエスの行われたしるしを見て、その名を信じた

ここは、同じ五旬節の日にエルサレムにいたユダヤ人たちがバプテスマを受けて聖霊を受けたことが重ねられています。

使徒2:41 彼(ペテロ)のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。

ユダヤ人たちはペテロが語った十字架の説教を聞いて心を刺されたのでした。

使徒2:36 「ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」

ユダヤ人たちがイエスを十字架に付けてから50日ほどしか経っていませんでしたから、彼らはこのことをまだ鮮明に覚えていました。


◆神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された


 五旬節の日に、実に三千人ものユダヤ人たちがバプテスマを受けて教会が誕生しました。ヨハネ3章で登場するニコデモもまた、イエスを十字架に付けたユダヤ人の一人でした。ニコデモもまた、バプテスマを受けたのでしょうか?もしかしたら、未だ半分ぐらいしか心を刺されていない、中途半端な状態だったのかもしれません。彼はイエスのもとを訪ねました。

ヨハネ3:1 さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。ユダヤ人の議員であった。
2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」

イエスはニコデモに答えて言いました。

ヨハネ3:3 「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

このイエスのことばを使徒2章の心を刺されてバプテスマを受けたユダヤ人たちのことを重ねて読むと、「新しく生まれて神の国を見る」とはどういうことかを、より深く味わえるように思います。

使徒2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
43 すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。
44 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、
45 財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。
46 そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
47 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。

神の御子イエスを十字架に付けたことは重大な罪でした。しかし、イエスが十字架で血を流したことで罪は赦され(第9回参照)、御子を信じる者には永遠のいのちが与えられます。

ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

イエスの十字架は神の大きな愛の表われです。この神の愛に包まれて、エルサレムの教会は急速に成長していきました。


◆イエス・キリストの十字架はA.D.何年の出来事だったのか?

 イエスが十字架に付けられたことは、歴史的な事実です。では、これはA.D.何年の出来事だったのでしょうか?ネットで調べると、有力なのはA.D.30年または33年のようです。このどちらか、なのでしょうか?

実は、ヨハネの福音書5章には「イエスの十字架が何年だったのか」、その「答」が気付かれにくい形で書かれています。

ここで、ヨハネ1章~4章の「使徒の時代」の流れを復習しておきましょう。

ヨハネ1章:イエスの復活から五旬節の日までの50日間のカウントダウン。(第8回)
ヨハネ2章:五旬節の日にガリラヤ人たちの弟子たちがイエスを信じて聖霊を受け、同じ日に三千人のユダヤ人たちがバプテスマを受けた。(第9回)
ヨハネ3章:教会が成長したことで、ユダヤ人たちの反発を招いた。
ヨハネ4章:ステパノの殉教をきっかけに教会への激しい迫害が起きて、弟子たちがエルサレムから散らされた。そして、サマリア人たちがイエスを信じて聖霊を受け、コルネリウスら異邦人たちがイエスを信じて聖霊を受けた。(第7回)

異邦人のコルネリウスたちが聖霊を受けたことは使徒10章に書かれていますから、ヨハネの福音書の「使徒の時代」はヨハネ4章までで使徒10章まで進んだことになります。


◆38年間、形式主義から抜け出せなかった病人

 従って、ヨハネ5章には使徒11章以降のことが描かれていることになります。ここで、38年も病気にかかっている人が登場します。

ヨハネ5:1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。
2 エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があり、五つの回廊がついていた。
3 その中には、病人、目の見えない人、足の不自由な人、からだに麻痺のある人たちが大勢、横になっていた。
5 そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた

この病人は、イエスの「良くなりたいか」という問い掛けには答えず、「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます」と訴えました。彼は、水がかき回されたときに最初に池の中に入るという「行い」にこだわっていました。この「行い」によってしか救われないと信じていました。せっかくイエスが「良くなりたいか」と声を掛けてくれたのに、イエスを信じて頼ることができませんでした。

この病人は、使徒15章に描かれている「割礼」という「行い」を重視する人々と重なります。

使徒15:1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに「モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。

ただ単にイエスを信じれば救われるのに、彼らは「割礼」という「行い」にこだわっていました。


◆イエス・キリストの十字架はA.D.33年

 使徒15章によれば、割礼は必要ないことで教会は一致しましたが、「行い」重視の傾向は多かれ少なかれ、エルサレムの神殿がある限りは続いたのではないかと思います。なぜならエルサレム神殿の礼拝はユダヤ人だけに許されていて、異邦人は神殿に立ち入ることができなかったからです。このことで、ユダヤ人クリスチャンは異邦人クリスチャンに対して優位性を感じていたかもしれません。すべてのクリスチャンはユダヤ人も異邦人もなく平等であるはずですが、神殿礼拝が存続する限り、「行い」重視の傾向は続いたのではないでしょうか。

しかし、エルサレムの神殿はA.D.70年にローマ軍の攻撃によって炎上し、焼失しました。このことで「行い」重視の病気は癒されました。

A.D.70年は、A.D.33年から数えて、まさに「38年目(満37年)」の出来事です。ここから、イエスの十字架はA.D.33年であったことが分かります。十字架で血を流したイエス・キリストを信じれば誰でも救われるようになったからです。しかし、「行い」を重視する傾向が38年間続きました。

病人がいたベテスダの池は羊の門の近くにあり、羊の門は神殿のすぐ近くにありました。ここからも、38年の病人の「行い」の病が「神殿」と深い関係にあることが分かります。エルサレム神殿のすぐ目と鼻の先にある羊の門のベテスダの池にいながら、彼は行いに囚われ、すぐ目の前にいる救い主を見失っていました。

このように、イエス・キリストの十字架はA.D.33年の出来事であったことが、ヨハネの福音書を読み解くことで分かります。

21世紀の私たちもまた、「行い」に縛られやすい者たちです。神の大きな愛により、ただイエスを信じるだけで救われることを、改めて心に刻みたいと思います。

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(※仕事と家族の介護で多忙なため、コメントへの返信は行いません。大変申し訳ありませんが、あらかじめご了承ください。よろしくお願い致します。)

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