第9回:水からぶどう酒へ、そして動物の追放へ――世の罪を取り除く神の子羊の血(ヨハネ2章)
◆復活から50日目の五旬節の日に聖霊を受けたガリラヤ人の弟子たち
前回の第8回で説明したように、ヨハネ1章の「使徒の時代」においては三つの「その翌日」(29節、35節、43節)と「それから三日目」(2章1節)はイエス復活から50日目の五旬節(ペンテコステ)の日までのカウントダウンになっています。
それゆえ「使徒の時代」の「天のイエス」は、ヨハネ2章1節では五旬節(ペンテコステ)の日にいます。
使徒2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。
つまり、イエスは天の父と共にいて、ガリラヤ人の弟子たちに向けて聖霊を遣わしていました。このように「それから三日目に」で始まるヨハネ2章の背後には、使徒2章の五旬節の日の出来事があります。
ヨハネ2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。
2 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれていた。
聖霊は、天からの祝福です。ヨハネ2章は、ガリラヤ人たちの弟子が受けた素晴らしい祝福を、婚礼の祝宴にたとえて描いています。
◆良いぶどう酒とは、イエスの血のこと
さて、このガリラヤのカナの婚礼でイエスはきよめの水を良いぶどう酒に変える奇跡を行いました。
ヨハネ2:6 そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、石の水がめが六つ置いてあった。それぞれ、二あるいは三メトレテス入りのものであった。
7 イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
8 イエスは彼らに言われた。「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
9 宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。それで、花婿を呼んで、
10 こう言った。「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。」
旧約の時代のきよめの水と動物の血では、人の心の内の罪まできよめることはできませんでした。心の内まできよめるためには、「良いぶどう酒」が必要でした。「良いぶどう酒」が「イエスの血」であることは、マタイの福音書の「最後の晩餐」の場面に記されているイエスの次のことばから分かります。
マタイ26:27 (イエスは)杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
28 これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。
「罪の赦しのための血」は、旧約の時代には動物の血が使われていました。このことを新約聖書の「ヘブル人への手紙」は次のように書いています。
ヘブル9:19 モーセは、律法にしたがってすべての戒めを民全体に語った後、水と緋色の羊の毛とヒソプとともに、子牛と雄やぎの血を取って、契約の書自体にも民全体にも振りかけ、
20 「これは、神があなたがたに対して命じられた契約の血である」と言いました。
22 律法によれば、ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。
しかし、動物の血による罪の赦しは完全なものではありませんでした。それゆえ天から御子イエスが遣わされて十字架に掛かり、罪の赦しのための血が流されました。このイエスの血による罪の赦しによって、弟子たちは聖霊を受ける恩恵に与ることができました。神である聖霊が人の心の内に入って住むためには、まず罪の赦しが必要でした。
◆動物たちを追い出したヨハネ2章の宮きよめ
このように罪の赦しのために旧約の時代は動物の血が流されましたが、新約の時代はイエスの血が流されました。ヨハネ2章の「宮きよめ」の場面は、このことを明確に示しています。
ヨハネ2:13 さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。
14 そして、宮の中で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを見て、
15 細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、
16 鳩を売っている者たちに言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。」
イエスは「羊も牛もみな宮から追い出し」(15節)ました。この記述はマタイ・マルコ・ルカの福音書とは大きく異なります。マタイ・マルコ・ルカのイエスは動物ではなく商売人たちを追い出したからです。
マタイ21:12 それから、イエスは宮に入って、その中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
動物を追い出したヨハネの福音書、商売人を追い出したマタイ・マルコ・ルカの福音書。マタイ・マルコ・ルカの宮きよめが商売人たちの罪を糾弾したのに対し、ヨハネの宮きよめは「動物の血による古い犠牲システムの終わり」を告げています。牛や羊を宮から一掃することで、イエスはご自身こそが「真の過越の子羊」として新しい血の契約を結ぶことを示されました。この違いは、旧約の時代から新約の時代にわたる広大な時空間にいる「天のイエス」を描いたヨハネの福音書の特徴を顕著に表していることを感じます。
動物の血は幕屋や神殿での礼拝で使われただけでなく、イスラエルの民がエジプトを脱出した時にも使われました。この連載の第4回でも説明したように、イスラエル人を奴隷にして苦役を課していたエジプト人たちは「第十の災い」の初子の死によって決定的な打撃を受けました。ファラオの長子も例外なく死にました。しかし、イスラエル人たちは、この災いを免れました。イスラエル人たちの家の鴨居と門柱には羊の血が塗り付けられていたからです。神は血が塗られた家を過ぎ越して行ったので初子が打たれて死ぬことはありませんでした。
神が過越の恵みをイスラエルの民に与えたのは、彼らに罪が無かったからではありません。後に彼らが荒野で神へ不平不満を何度も言ったことから分かるように、彼らの心の内にも罪がありました。しかし、神は彼らを憐れみ、奴隷の苦役から彼らを解放しました。
新約の時代の私たちも同様です。私たちの心の内には罪が根強く存在します。そんな私たちを天の神は憐れんで御子を地上に遣わし、十字架に付けました。この十字架で流されたイエスの血によって私たちの罪は赦されて、イエスを信じる者は聖霊を受けて内からきよめられるようになりました。
この広大な時空間を満たす神の豊かな愛を感じることで、私たちの心の内も平安に満たされます。ヨハネの福音書を地動説で読み、「天のイエス」に出会うことで、私たちはこの豊かな神の愛の恵みに浸りたいと思います。
(※仕事と家族の介護で多忙なため、コメントへの返信は行いません。大変申し訳ありませんが、あらかじめご了承ください。よろしくお願い致します。)
