第6回:ヨハネ4章のサマリアの女には「夫が5人いた」の地動説的解釈
◆聖書の地動説的な読み方を堪能できるヨハネ4章
前回までヨハネ1~3章の地動説的な読み方について解説して来ました。ヨハネの福音書の背後に隠されている「天のイエス」の姿は、どの章もとても興味深いですが、とりわけヨハネ4章は鮮烈であり、圧倒的な面白さがあります。
そこで、この連載の読者の皆さんには、ヨハネ4章を味わい尽くしていただきたいと思います。そのためには、ヨハネ4章の「旧約の時代」と「使徒の時代」の両方について解説する必要があります。
この連載では、まず「旧約の時代」だけを一通り説明して、その後で「使徒の時代」の説明をする予定でした。しかし、ヨハネの福音書を味わい尽くすには「旧約の時代」と「使徒の時代」の両方を併行して説明したほうが良いであろうと考え直しました。それで、以降は次の順番で解説して行こうかと思います。また変更するかもしれないので、今のところの【案】として受けとめておいていただければ幸いです。
第6回(今回): ヨハネ4章の背後の「旧約の時代」
第7回(次回): ヨハネ4章の背後の「使徒の時代」
第8回: まだ説明していないヨハネ1章の背後の「使徒の時代」
第9回: まだ説明していないヨハネ2章の背後の「使徒の時代」
第10回: まだ説明していないヨハネ3章の背後の「使徒の時代」
第11回: ヨハネ5章の背後の「旧約の時代」と「使徒の時代」
第12回: ヨハネ6章の背後の「旧約の時代」
第13回: ヨハネ6章の背後の「使徒の時代」
第14回~第23回: ヨハネ7章~11章の「旧約の時代」と「使徒の時代」
第24回: 「旧約の時代」と「使徒の時代」が合流するヨハネ12章
第25回: ヨハネ13章で登場する「愛弟子」
第26回: ヨハネ14章~17章の最後の晩餐での「聖霊」についての教え
第27回: ヨハネ18章~19章のイエスの受難
第28回: ヨハネ20章のイエスの復活
第29回: ヨハネ21章の役割
第30回: ヨハネ1章~21章を味わい尽くす
というわけで、今回はヨハネ4章のまず「旧約の時代」について説明します。次回は「使徒の時代」についての説明です。
まさにDNAの二重らせん構造(ダブル・スパイラル)のように二つの時代が絡み合う、ヨハネの福音書の驚異的な設計図。その片方の鎖の「旧約の時代」における「5人の夫」の謎を地動説的に読み解く時空の旅をどうぞ楽しんで下さい。
◆疲れていたイエス
ヨハネ4章でサマリアの町へ来たイエスは疲れていました。
ヨハネ4:6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れから、その井戸の傍らに、ただ座っておられた。
ここには尋常ではないイエスの姿が描かれています。弟子たちやイエスに助けを求めて寄って来る人々を励ます立場にあったイエスが疲れた姿を見せていたとは、よほどのことがあったのでしょう。こういう尋常ではない描写がある時、背後には必ず何かがありますから、それを見逃さないようにしたいと思います。
前回見たヨハネ3章の「旧約の時代」の最後のほうには、サムエルとダビデがいました。
ヨハネ3:30 「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」
「あの方」とはダビデ、「私」とはサムエルのことであり、このことばは、「士師の時代から王の時代への移行」を示すことを前回説明しました。
サムエルに油を注がれたダビデは王になりました。そしてダビデの息子のソロモン王の時代にイスラエルの王国は繁栄しました。しかし、ソロモンの死後にイスラエルの王国は北王国と南王国の二つの国に分裂してしまいました。
このイスラエルの王国の分裂はソロモン王の不信仰が招いたことでしたから、「天のイエス」にとっては悲しいことだったでしょう。しかも、北王国の不信仰の度合いはどんどん増して行きました。エルサレムの神殿は南王国にあり、分裂後は北王国の王も民も神殿で礼拝しなくなったからです。
このような北王国の不信仰を天から見ていたイエスが疲れていたことは無理もないことです。ヨハネ4:6の疲れていたイエスの姿からは、華やかなダビデ・ソロモン王朝の絶頂期(3章)が終わり、国が分裂して神から離れていく北王国の不信仰が、何世代にもわたって増大していく歴史の重みが透けて見えています。イエスが座っておられたヤコブの井戸の傍らは、その悲劇の歴史を映し出す悲しい舞台でした。
◆「サマリアの女」=「ツァレファテのやもめ」
このヤコブの井戸に、サマリアの女が水を汲みにきました。
ヨハネ4:7 イエスは彼女に、「わたしに水を飲ませてください」と言われた。
女に水を所望したイエスのことばは、北王国の預言者エリヤがツァレファテのやもめに水を所望したことばと重なります。
列王記第一17:10 エリヤは彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」
神の霊(聖霊)を受けた預言者エリヤの内には「天のイエス」がいましたから、エリヤのことばはイエスのことばでした。
エリヤが遣わされたツァレファテは、厳密には北王国の国境の外側でしたが、バアル礼拝によって霊的暗黒に陥っていた北王国の歴史と深く直結した場所でした。
ヨハネ4章のサマリアの女はイエスのことばを信じて救われましたが、ツァレファテのやもめもまた、エリヤ(イエス)のことばを信じて救われました。
列王記第一17:15 彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。
16 エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。
16節の「かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった」という尽きることのない奇跡は、前回のヨハネ3:15~16で示された「永遠のいのち」とも深く重なり合っています。神のことばを信じる者に与えられる、決して枯れることのない「いのちの糧」の約束。天のイエスは、このサマリアの井戸端で、旧約から新約へとつながる救いの約束をいよいよ現代の読者へとつなげていかれます。
だからこそ、旧約のエリヤの奇跡(粉と油)を引き継ぐ形で、この「永遠のいのち」の教えはヨハネ4章の以下のイエスのことばによって一層深く心の奥底に届きます。
ヨハネ4:14 「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
◆「夫が5人いた」=「アハブ以前の北王国の王たち」
さて、エリヤはアハブ王の時代の預言者でした。アハブについて列王記は次のように書いています。
列王記第一16:30 オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目に悪であることを行った。
31 彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。
31節の「ネバテの子ヤロブアム」とは、北王国の初代の王のことです。ヤロブアムは北王国を不信仰の道へ導いた悪名高い王でしたが、アハブ王の不信仰ぶりはヤロブアムを遥かに超えていました。
このアハブ王の前には初代からヤロブアム、ナダブ、バアシャ、エラ、ジムリ、オムリの6人の王たちがいました。しかし、ジムリの在位はわずか7日間であり、民から王として承認される前にクーデターによって自害したため、正統な列王の歴史からは除外されます。このジムリを除外すると、アハブ王の前の王たちは「5人」となります。この5人の王たちこそ、イエスがサマリアの女に言った「あなたには夫が5人いました」の正体でしょう。
ヨハネ4:18 「あなたには夫が五人いましたが、今一緒にいるのは夫ではない」
そして、ツァレファテのやもめは「やもめ」でしたから、今一緒の時代にいるアハブ王は夫ではありませんでした。
◆極上のユーモアが散りばめられたヨハネの福音書
不信仰な王たちの下で暮らさなければならなかった北王国の民は不幸な境遇にありました。しかし「あなたには夫が五人いました」という表現にはイエスのユーモアがにじみ出ていて、ヨハネの福音書の懐の深さを強く感じることができます。天動説的な解釈で5人の夫がいたサマリアの女を不品行な女性として読むと、こういう懐の深さはなかなか感じられません。
ヨハネ1章のナタナエルに対するイエスのことばの
ヨハネ1:47 「見なさい。まさにイスラエル人です。この人には偽りがありません。」
も同様です。地動説的な解釈で、ナタナエルが創世記のヤコブのことであると気付くなら(連載第3回参照)、そこからイエスのユーモアがにじみ出ていることを感じて、とても温かい気持ちになります。
このように、ヨハネの福音書には極上のユーモアが随所に散りばめられています。これらの宝石を、ぜひとも見逃さないようにしたいと思います。
(※仕事と家族の介護で多忙なため、コメントへの返信は行いません。大変申し訳ありませんが、あらかじめご了承ください。よろしくお願い致します。)
