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第4回:ヨハネの福音書2章が描く、旧約の「モーセの時代」のタイムライン

◆「ヤコブの時代」から「モーセの時代」へ

 ヨハネの福音書の第2章は「それから三日目に」という書き出しで始まります。

ヨハネ2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。

ヨハネ1章の最後は、創世記の「ヤコブの時代」でした。

ヨハネ1:51 そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」

ですから、ヨハネ2章1節の「それから三日目に」は、この福音書の「旧約の時代」の舞台が創世記の「ヤコブの時代」から出エジプト記の「モーセの時代」に移ったことを示しています。ヨハネの福音書は創世記の「ヨセフの時代」をスキップしています

なぜ「それから三日目に」が「ヨセフの時代」のスキップを意味するかは、マタイやルカの福音書の次のようなイエスのことばから分かります。

ルカ 18:33 「彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」

イエスは「十字架の日」に殺され、「安息日」を経て「復活の日」によみがえりました。この三日のうち、福音書は「安息日」の記述をスキップしています。これと同じ理屈で、ヨハネ2章は「それから三日目に」と書くことで創世記の「ヨセフの時代」をスキップしています。


◆ヨハネ2:1-4【モーセのアイデンティティ】
 イエスは母に言いました。

ヨハネ2:4 「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。」

少し冷たい響きがある母へのことばの背後には、モーセの境遇があると思われます。モーセは実の母を離れて、王女の息子としてファラオの王宮で育てられたからです。複雑な境遇ですが、エジプトで最高の教育を受けたからこそ、イスラエルの民を率いてエジプトを脱出するという難しいリーダーの役割を果たして、カナンへと向かって行くことができたのでしょう。


◆ヨハネ2:5-11【最初の災い】

ヨハネ2:7 イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
8
イエスは彼らに言われた。「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
9
宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。

 イエスがカナの婚礼の祝宴で水をぶどう酒に変えた奇跡は、出エジプト記に記されている「十の災い」の中の「最初の災い」に当たるでしょう。十の災いとは、下記の通りです。

①  ナイル川の水が血に変わる、②蛙(かえる)、③ぶよ、④あぶ、⑤疫病、⑥腫れ物、⑦雹(ひょう)、⑧蝗(いなご)、⑨暗闇、⑩初子の死

エジプト脱出という壮大な事業は「最初の災い」であるナイル川の水が血に変わることから始まりました。そうして過越の恵みの血(良いぶどう酒)へと昇華されます。


◆ヨハネ2:13-16【過越の恵み】

ヨハネ2:13 さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。

 イスラエル人を奴隷にして苦役を課していたエジプト人たちは「第十の災い」の初子の死によって決定的な打撃を受けました。ファラオの長子も例外なく死にました。しかし、イスラエル人たちは、この災いを免れました。イスラエル人たちの家の鴨居と門柱には羊の血が塗り付けられていたからです。神は血が塗られた家を過ぎ越して行ったので初子が打たれて死ぬことはありませんでした。


◆ヨハネ2:17【葦の海の奇跡】、2:23【主とモーセを信じたイスラエル人】

ヨハネ2:17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。

 この「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」は、詩篇69篇9節の引用です。詩篇69篇の書き出しは下記のようになっています。

詩篇69:1 神よ私をお救いください。水が喉にまで入って来ました。
2
私は深い泥沼に沈み足がかりもありません。私は大水の底に陥り奔流が私を押し流しています。

これはエジプトを脱出したイスラエル人を追って海に入ったファラオの軍勢が水に飲み込まれた様子を表していると言えるでしょう。

出エジプト記14:27 モーセが手を海に向けて伸ばすと、夜明けに海が元の状態に戻った。エジプト人は迫り来る水から逃れようとしたが、主はエジプト人を海のただ中に投げ込まれた。
28
水は元に戻り、後を追って海に入ったファラオの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残った者は一人もいなかった。

そうして、イスラエル人たちは主とモーセを信じました。

出エジプト記14:31 イスラエルは、主がエジプトに行われた、この大いなる御力を見た。それで民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。

このことをヨハネ2章は次のように書いています。

ヨハネ2:23 過越の祭りの祝いの間、イエスがエルサレムにおられたとき、多くの人々がイエスの行われたしるしを見て、その名を信じた。

モーセは神の霊(聖霊)を受けた預言者でした。預言者たちは聖霊を通して「天のイエス」のことばを聞き、そのことばを人々に伝えていました。聖霊は預言者たちの内にいましたから、それはつまり預言者たちの内には「天のイエス」がいたということです。ヨハネ2:23の「イエスの行われたしるし」とは出エジプト記14:27の「モーセが手を海に向けて伸ばすと、夜明けに海が元の状態に戻った」ことを指していると言えるでしょう。


◆ヨハネ2:24-25【荒野の不平不満】

 ヨハネ2章の最後に「イエスは、人のうちに何があるかを知っておられた」という記述があります。

ヨハネ2:24 しかし、イエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。すべての人を知っていたので、
25
人についてだれの証言も必要とされなかったからである。イエスは、人のうちに何があるかを知っておられたのである。

これは、イスラエルの民が主とモーセを信じたにも関わらず、水や食べ物のことで苦しいことがあると不平不満を言ったことを指すでしょう。イスラエルの民は、次のような本当にひどいことを言っています。

出エジプト記16:2 そのとき、イスラエルの全会衆は、この荒野でモーセとアロンに向かって不平を言った。
3
イスラエルの子らは彼らに言った。「エジプトの地で、肉鍋のそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたときに、われわれは主の手にかかって死んでいたらよかったのだ。事実、あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出し、この集団全体を飢え死にさせようとしている。」

しるしを見てもすぐに「エジプトの肉鍋」を恋しがって不信仰に陥る、人の心の内にある根深い罪深のことを、イエスはよく知っていました。

以上、今回はヨハネの福音書2章のタイムラインが出エジプト記のタイムラインと美しく整合していることを紹介しました。

そして、ヨハネ3章以降のタイムラインも旧約聖書の順番通りに出エジプト記から民数記、サムエル記、そして列王記へと流れて行きます。次回はヨハネ3章について書きますから、是非ヨハネの福音書に隠された美しい秘密を楽しんでいただけたらと思います。

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(※仕事と家族の介護で多忙なため、コメントへの返信は行いません。大変申し訳ありませんが、あらかじめご了承ください。よろしくお願い致します。)

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