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第3回:ヨハネ1章を地動説で読み、創世記の「天のイエス」と出会う

◆「旧約の時代のイエス」と「使徒の時代のイエス」

 ヨハネの福音書は一見するとマタイ・マルコ・ルカの福音書と同じように「地上のイエス」を描いた書のように見えます。しかし、地上を離れて天上の視座からヨハネの福音書を読むなら、ヨハネの福音書のイエスは「天のイエス」であることが見えて来ます。

この書の冒頭に

ヨハネ1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2
この方は、初めに神とともにおられた。
3
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。

 

とあるように、イエスは天地創造の初めから父とともに天にいて万物を創造しました。そうして「旧約の時代」のモーセやエリヤ、イザヤやエレミヤなどの預言者たちに聖霊を通して神のことばを伝えました

また、約二千年前に「地上のイエス」として約30年間をパレスチナの地で過ごし、その後に再び天に帰り、ペテロやヨハネなどの使徒たちに聖霊を通して神のことばを伝えました。この「使徒の時代」は現代に至るまで続いていることを前回の記事で書きました。

今回は「創世記の時代のイエス」について書きます。そして次回は「出エジプト記の時代のイエス」について書きます。さらには「列王記の時代のイエス」など、「旧約の時代のイエス」について順番に書いて行く予定でいます。そして「旧約の時代」について一通り書いてから、「使徒の時代のイエス」について書いて行こうと思っています。

ヨハネの福音書は「旧約の時代」と「使徒の時代」が重なる重層構造を持つ、やや複雑な書です。まずは「旧約の時代」について一通り説明したほうが分かりやすいと思うからです。


◆三つの「その翌日」と「それから三日目」による時代区分

 旧約聖書の創世記は、大きく分けるなら
  ①アブラハム以前
  ②アブラハムの時代
  ③イサクの時代
  ④ヤコブの時代
  ⑤ヨセフの時代
の5つに区分できるでしょう。

ヨハネ1章の3つの「その翌日」(29節、35節、43節)と「それから三日目」(2章1節)は、これらの時代の区切りとなっているように見えます。

すなわち、
  ①1章19~28節:「アブラハム以前」
  ②29~34節:「アブラハムの時代」
  ③35~42節:「イサクの時代」
  ④43~51節「ヤコブの時代」
  ⑤2章1節の「それから三日目」で「ヨセフの時代」をスキップ
  ⑥2章1節~:「モーセの時代」
となっています。

19~28節が①アブラハム以前であることは、28節から分かります。

ヨハネ1:28 このことがあったのは、ヨルダンの川向こうのベタニアであった。

この「ヨルダンの川向こう」は創世記11章28節の

創世記11:28 ハランは父テラに先立って、親族の地であるカルデア人のウルで死んだ。

「ウル」の地です。ウルはメソポタミア地方にあり、アブラハムは父テラと共にウルで暮らしていました。ここで死んだ「ハラン」はアブラハムの兄弟です。ハランの死後、アブラハムは父テラと共にヨルダン川の西側のカナンの地を目指してウルを出発しました。ここまでが①アブラハム以前です。

だいぶ先の話になりますが、ヨハネ10章40節にも「ヨルダンの川向こう」が出て来ます。

ヨハネ10:40 そして、イエスは再びヨルダンの川向こう、ヨハネが初めにバプテスマを授けていた場所に行き、そこに滞在された。

この「ヨルダンの川向こう」は紀元前6世紀に南王国が滅びてエルサレムの人々が捕囚として引かれて行った「バビロン」の地のことを指します。頭の片隅に置いておいていただければ幸いです。


◆神の側から人に近づいて始まった新しい時代

 1章29節の「その翌日」から「アブラハムの時代」に入ります。

ヨハネ1:29 その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」

この時、神(イエス)が人(ヨハネ)に近づきました。これは、創世記12章で神がアブラム(アブラハム)に近づいて声を掛けたことと重なります。

創世記12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。」

こうしてアブラハムは神の声に聞き従ってカナンの地に入ったことで、イスラエルの歴史が始まりました。

アダムが神の命令に背いて園の中央にある木の実を食べてしまったことに始まり、ノアの時代の人々やバベルの塔の時代の人々は神から離れていました。そこで神はアブラハムに近づいて声を掛け、イスラエルの歴史が始まりました。

しかし、イスラエルは神と共に歩むことがなかなか出来ず、ソロモンの王国が南北に分裂してからは先ず北王国が滅ぼされて人々はアッシリアに捕囚として引かれて行き、次に南王国が滅ぼされて人々はバビロンに捕囚として引かれて行きました。

そこで神は御子を地上に遣わし、イエスの宣教によって新しい契約の時代が始まりました。新しい時代は、このように神が人に近づくことで始まります。


◆信仰のバトンの継承
 そして1章35節の「その翌日」から「イサクの時代」に入ります。

ヨハネ1:35 その翌日、ヨハネは再び二人の弟子とともに立っていた。

前回の第2回の記事で、「二人の弟子」の一人は「次の愛弟子候補」であり、ここで信仰のバトンが次の世代に渡されたと書きました。それゆえ、ここではアブラハムの信仰が息子のイサクに引き継がれたことと重なります。

イサクは父のアブラハムが移り住んだ約束の地のカナンにとどまり、父が神から受け取った「大いなる祝福の約束」を次世代へ継承しました。次の創世記26章にそのことが書かれています。

創世記26:2 主はイサクに現れて言われた。「エジプトへは下ってはならない。わたしがあなたに告げる地に住みなさい。
3
あなたはこの地に寄留しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福する。あなたとあなたの子孫に、わたしがこれらの国々をすべて与える。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たす。」

この神の声に聞き従ってイサクはカナンに「とどまった」のです。ヨハネ1章39節にも弟子たちがイエスのもとに「とどまった」ことが書かれています。

ヨハネ1:39 イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすれば分かります。」そこで、彼らはついて行って、イエスが泊まっておられるところを見た。そしてその日、イエスのもとにとどまった。

弟子たちがイエスのもとにとどまったことで、ヨハネの信仰が彼らに引き継がれて行きました。21世紀の私たちもまたイエスのもとにとどまり、次の世代へ信仰のバトンを継承して行きたいと思います。


◆人の側から神に近づいたヤコブとナタナエル

 1章43節の「その翌日」からは「ヤコブの時代」に入ります。ここではナタナエルがヤコブです。

ヨハネ1:47 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた。「見なさい。まさにイスラエル人です。この人には偽りがありません。」

ここでは人(ナタナエル)が神(イエス)に近づきました。これは、創世記32章でヤコブが神と格闘したことと重なります。ヤコブは兄のエサウに復讐されることを恐れて、神に近づいて必死で祈りました。神との格闘とは、ヤコブの祈りの格闘です。

創世記32:24 ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。

「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ」と神に食らいつくヤコブに神は彼の名前を聞きました。

創世記32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」

このことをヨハネ1:47は「見なさい。まさにイスラエル人です。この人には偽りがありません」というイエスのことばで表しました。ヤコブはかつて自分のことを「長男のエサウです」(創世記27:19)と嘘をついて父のイサクをだましました。しかし、創世記32章ではヤコブは偽ることなく正直に「ヤコブです」と答えました。それゆえ、神は

創世記32:28 「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。」

と言って、ヤコブにイスラエルという新しい名前を与えました。ヨハネ1:47でイエスが「見なさい。まさにイスラエル人です。この人には偽りがありません」と言ったのは、このことを指します。

また、イエスがナタナエルに

ヨハネ1:51 「まことに、まことに、あなたがたに言います。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」

と言ったことばは、創世記28章12節でヤコブが見た夢と重なります。

創世記28:12 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。
13 そして、見よ、主がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。
14
あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。

この神のことばによって、アブラハムの信仰がイサクを経てヤコブへとしっかりと継承されて行くことが分かります。

そしてヨハネ1章は51節で終わり、2章は「それから三日目に」(ヨハネ2:1)で始まります。この「それから三日目に」によって「ヤコブの時代」の次の「ヨセフの時代」がスキップされて、ヨハネ2章からは「モーセの時代」に入ります。次回は、この「モーセの時代」について書きます。


◆ヨハネの福音書の独特のユーモア

 神がイスラエルという新しい名前をヤコブに与えた創世記の出来事を、「見なさい。まさにイスラエル人です。この人には偽りがありません」というイエスのことばで表現されていることには、心がほっこりする独特のユーモアを感じます。ヨハネの福音書には、このようなユーモアを感じる箇所が他にも複数あります。この連載ではそれらを紹介して行きますから、楽しみにしていて下さい。

聖書というと堅苦しいイメージがあるかもしれませんが、聖書ってこんなに面白い書物なのだということを、ぜひ多くの方々に知っていただきたいと思います。

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(※仕事と家族の介護で多忙なため、コメントへの返信は行いません。大変申し訳ありませんが、あらかじめご了承ください。よろしくお願い致します。)


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