四天王寺『篝の舞楽』観賞記ー3年越しで出会えた幽玄の世界
苦節3年越しの念願が叶い、やっと見れた篝の舞楽!

2年前の2024年は8月初旬の開催で、訪れたものの雷予報が出たため「五智光院」での開催となり、十分に堪能できませんでした。
昨年の2025年は開催日が6月に変更となり、今度こそと意気込んでいたのですが、やはり天気に恵まれず断念。
3度目の正直の今年、文句の言いようのない晴天に恵まれ、やっと実現しました。
冒頭で四天王寺官長・瀧藤尊淳さんの漫談挨拶で言われた通り、篝火のない「篝の舞楽」など、鮭のない「鮭弁当」のようなもの。
今年こそ、正真正銘の「鮭弁当」ならぬ、本物の「篝の舞楽」を味わうことができました。
note友達同士の初顔合わせ
この日はなんと、私の変態仲間ともいうべきnote友達の岡埜さんとつきふねさんとトリオでの参加です。
私はそれぞれと何度も同行させていただいているので、よく知る仲間なのですが、岡埜さんとつきふねさんは初対面です。
マニアック度がよく似たお二人なので、きっと話も合うだろうとお誘いしてみました。
いずれも関西在住なので、同行しやすいという利点もあります。
先に岡埜さんとは阿部野橋駅で合流し、裏天王寺でお寿司を食べてから四天王寺へと向かい、つきふねさんとは現地で合流です。
開場までまだ1時間30分もあるというのに、すでに開催会場の伽藍への門・西重門には50mほどの列ができていました。

つきふねさんともここで無事に合流でき、いざ、入場です。
幽玄さを演出する篝火

ー次第ー
【挨拶】瀧藤尊淳さん
【振鉾】
舞台を祓い清める儀式舞
【篝の火入れ】
古典作法による点火
【北庭楽】
唐楽の影響を受け、日本独自の貴重な「創作舞楽」の一つ
【八仙】
中国の故事に由来する高麗楽
【陪臚】
武舞の一つで、戦を勝利へと導く舞楽
【長慶子】
演目の終了を告げる雅楽。作曲は源博雅
※公演中の撮影は完全禁止につき、今回の画像や動画はいっさいありません。
なので、印象に残ったことを要約して報告します。

左手に講堂。
前から5列目のなかなかの良い席を確保できました。
すでに18時40分頃なのにまだあたりは明るく、篝火が映える状態まではもう少し時間がかかりそう。
19時の開園までの間、軽く変態同志の雑談を楽しみました(笑)
春日大社との違い
特に複数回鑑賞した振鉾と、「八仙」は昨年春日大社「万葉雅楽会」でも観賞したので、その違いがよくわかり、大阪の「天王寺楽所」と奈良の「南都楽所」との違いを再度楽しむことができました。
やはり、こちらには力強さがあります。
とはいえ、南都楽所の柔らかいふわりとした舞も素晴らしく、それぞれの特徴をしっかり取り入れつつ、継承されているのがわかりました。
「八仙」は8人の仙人による舞なのですが、そのいでたちは鶴を象ったもの。
「鶏冠」にあたる頭部の冠が春日大社は扇子を広げたようなものだったのに対し、こちらは金色のしっかりした造りで、より鶏冠らしい力強さがあります。
衣装も含めて全体的に豪華で、やはりこちらの方がしっかり男性的だと言えます。
ここでひとつ疑問が…
「鶴」がモデルなら「鶏冠」はないのでは?
強いて言えばタンチョウヅルの頭頂が赤くなっている程度。
調べてみると、実は鶴そのものではなく中国の伝説上の鳥がモデルだとか。
空想上で鶴の頭の毛や羽を強調した装飾が、鶏冠のように創作表現されているそうです。
ここは観る側にも、ファンタジーを受け入れる想像力は必要のようです。
肝心の篝火の効果は?
夜の帳が降りる頃、篝火に火が灯された時は、正直胸が高鳴りました。
舞台の四隅に設置された篝火による炎のゆらめきは、夜空の「黒」や欄干の「赤」をいっそう鮮やかに引き立てます。
これはやはり素晴らしい!
夜でも「闇」がない現代の都会の光景を、原始的な「炎」を使う事で、思った以上の演出効果を発揮していました。
しかし、燃え盛る炎の光景にうっとりしていた矢先、安全面を考慮したのか、火は水をかけて小さくされてしまい、思わず「え?」と声が出そうになりました。
せっかく良い感じに炎が上がっていたのに、どうしてそれを制御してしまう??
つきふねさんいわく、春日大社の「薪能」に見習うべきとの事でした。
まさしくこれは”水を差す行為”。
宴たけなわだっただけにがっかりしました。

伝来の芸能を独自にアレンジ

篝火の下で舞う姿を見ていると、一昨年の大河「光る君へ」で、藤原道長などの貴族が舞楽鑑賞するシーンが蘇りました。
きっと彼らが見た光景は、何の光源もない闇の中で篝火だけに照らされた舞台だったはずです。
現代において、ましてや都会にある四天王寺に「闇」は存在しません。
当時のまま再現することは不可能ではありますが、それでもこの光景は、1000年以上も前の人々も鑑賞した日本最古の芸能なのだと改めて思いました。
さらに、そもそも舞楽とはどのように日本へ伝わり、発展してきたのだろうと思わずにはいられませんでした。
日本での起源と歴史
元々はインドやベトナムで起こり、飛鳥~奈良時代に中国や朝鮮を経由して仏教伝来と同じころに伝わりました。
その音楽や舞が日本古来の神事と融合し、日本の風土や美意識に沿ってアレンジされ、日本の舞楽は確立されてきました。
日本人特有の神仏習合の感覚が、独自の舞楽を誕生させたのかもしれません。
さらに伝来した舞楽は、「左方」と「右方」に分けられて2つの源流となります。
左方:起源は中国・中央アジア。唐楽を演奏。赤系統の装束。
右方:起源は朝鮮半島。高麗楽を演奏。緑系統の装束。

黄金期は平安時代
宮中における儀礼の際に取り入れられた舞楽でしたが、平安時代₍10世紀頃₎になると、宮廷貴族により、節会や仏教法会の儀式や饗宴で盛んに披露されるようになり、装束だけでなく、仮面の意匠も日本独自の進化を遂げることになります。
藤原時代₍平安期後半₎になると、舞楽は日本の宮廷貴族の美意識が加味されて和様化し独自に進化したようです。
藤原氏の全盛時代が、舞楽の黄金時代だったと言えそうです。
藤原氏は骨肉の権力争いが絶えませんでしたが、それでも長期的な平和を築いたことで、結果的に「日本の舞楽」を定着させることに大きく貢献したことになりました。
当時の古典文学『源氏物語』や『枕草子』などにも登場しているのを見ると、まさしく旬の芸能だったのがわかりますね。
時代とともに継承されてきた
鎌倉時代になると、朝廷内だけでなく京都や奈良、大阪にも舞楽や雅楽を司る機関「楽所」が置かれて継承され、有力な寺社にも伝わります。
京都は今でも宮廷行事が中心のようですが、私が鑑賞した「春日大社」や「四天王寺」では神や仏に奉納する宗教的なものであり、一般の人々も鑑賞可能なのです。
明治になると宮内庁内の「式部職楽部」で重要無形文化財として保護されることとなります。
そして今現在も、宮中の儀式や園遊会、海外からの賓客をもてなす際に披露され、日本を代表する伝統芸能として世界的な評価を受けているのです。
千年の時を経て周囲の情景は一変しましたが、舞楽の歴史に想いを馳せることで、藤原時代の貴族の気分に浸り、この上なく贅沢な時間を味わうことができました。
日本が誇るこの文化、今後も大切に継承してほしいものです。

中におられる「十一面観音」と「阿弥陀如来」のお姿がチラ見え。



「このアングル、何べん撮るねん!」

同行してくれたお二人のnote↓↓↓
何より変態トリオで観賞できて、とても楽しかった(笑)
2024年「聖霊会」の様子↓↓↓
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