見出し画像

第19話 美少女時代の出来事

チカノベの人生史小説。タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖ちはるが学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。

脳の障がいによる障がい特性を持つ主人公の知暖が、人生でたくさん失敗し、苦しんで、たくさん泣いて叫んで、報われない経験をして生きてきた。

そうやって、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話。

今回は、第3章『自分に向けた「ありえない」を覆した中学校生活』から『第19話 美少女時代の出来事』です。

目次はこちらです。以前の話や次回以降の話を選んで読めます。

主人公の知暖 10代前半頃
(Geminiさんで生成したイメージ写真)

美少女時代の出来事

小学校高学年の頃だっただろうか。障がい者施設の職員に「美少女ですね」と言われた。その時期の自分は「かわいい」「脚長い」と言われていた。昔は小柄で、体重も30kg台、体脂肪率は18%だった。おなかに邪魔な脂肪もなく、特別筋肉質ではなかったけど、腹筋のおかげで硬いおなかだった。

家族で街を歩いていると、よく知らない人に声をかけられた。母の話によると「メルアド交換しよう」「学校どこ?」という内容だったらしい。ナンパされていたのである。自分はほとんどそんな記憶がない。

「知らない人によく声をかけられていた」という記憶しかなく、覚えていることは、裕喜ゆうきの自転車を借りて出かけた際、知らない年上の女子2人に「〇〇の妹?」と訊かれた。裕喜のことではない。それくらいしか記憶にない。

自分には、美少女であること、かわいいこと、脚が長い自覚が全くなく、容姿で興味を持たれることや、容姿に関して配慮のない発言をされたことは、心の奥底では困惑していた。子ども祭りで、巨大ヒーローの格好をしている大人の男性に握手を求められた。当時の自分はなぜ握手を求められているか理由がわからず、警戒し困惑して何もできなかった。

隣のクラスの女子からは、中学生まで「自分のことかわいいと思ってるでしょ」と何度か言われ、無自覚な自分は何のことを言われているのか、理解できなかった。それほど、自分の容姿がいいという自覚はなかった。

美少女であることと関係があるかはよくわからないが、体育の授業や小学校の体育館で男子と遊んでいるとき、自分が転ぶとどんな男子も手を差し伸べて、立ち上がることを手伝ってくれた。バカ男子でも、自分好みで、以前積極奇異のしつこさを嫌がっていたサッカー男子でも、手を差し伸べてくれた。

小学校の卒業写真を撮ったとき、笑顔で撮影しようとしたら、しんじ先生に「見たことない顔」と言われ、カメラマンにも、モデルをやっているかどうかを訊かれた。落ち着きのない自分に、そういう仕事をしているようなオーラはなかったと思う。当時の表情を、現在は「ビジネス的な笑顔」と振り返る。

中学校のクラスでも、自分のことが好きな男子がいて、給食の時間に、好きな人を他の男子がからかい、好きな人を「つ・じ・か・わ!」と言われたとき、その男子は悪い子ではなく、見た目は今でも全く好みではない「おじさん顔」だった。「付き合ってもいいけど」と返すと、男子は悲しそうな顔で俯いた。

中学生の頃、服薬内容の大きな変更があったせいか、食べる量が増え、夜食も摂るようになり、中学時代だけでも30Kgくらいは増加した。小柄だった身長も、母親と同じくらいの背丈になった。

美少女だったあの頃の自分へ、アラサーになった自分から伝えたい。当時はあんなにかわいかったのに、肥満になり、むくんだ不格好な体になってから、やっと「自分はかわいい」と気づいたんだよ。何でもっと早く気づかなかったんだろう。容姿を生かして、人たらしにもなれたはずだし、良い待遇も受けられたはずなのに、よりによって美少女じゃなくなったあとに気づくなんて、皮肉だよね。美人なら、もっと人生が楽しめたはずなのにね。

でも、人は容姿だけだとだめだって気づくときもくるんだよ。将来出会う好きな人って、タイプの見た目とは違う部分があっても好きになるし、自分の好みのタイプではない、長身やたれ目、男性的な人、大人っぽい容姿の人も、性格がいいところが好きになるんだよ。見た目だけの長所があったこと、それに気づけたら、もっと違った少女時代の生き方ができたのに。

いくら美少女でも、他の人と違い過ぎて、しつこ過ぎると、いじめられるし、嫌われるし、愛されない。美少女時代、声をかけた人々や、握手を求めてきた人は、本当の「積極奇異でわがままな障がい者」を知らない、見た目だけで判断して寄ってくる、見た目の長所しか見えていない悪い奴らだよ。

心の底から愛されて、美しい人は、見た目がきれいな人ではなく、性格がいい人。当時の自分は、いじめっ子の容姿に惑わされて、嫌いになれなかった。そのうち、重要なのは、見た目じゃないことに気づくよ。体格も心も年齢も大きくなった自分になるまで、いろんな見た目や内面の人たちと関わって「本当の愛の形」に気づいていってね。


おことわり

この小説は、野辺 知可(チカノベ)の人生をモデルにした物語で、実体験を元にしていますが、個人情報流出とプライバシー保護のため、地域や名前、家庭事情等を脚色している部分があります。また、失念した部分なども、記憶違いで、結果的に脚色してしまっている場合もあります。


あとがき

美少女時代、今振り返ると、あまりいい時代だったとは言えない気がします。この小説では、あまりいいとは思えない思い出しか書いていません。

美少女でよかったと思える待遇をうけた記憶がなく「よかったのか?」と思えるのは、裕喜の中学校の文化祭に行ったときくらいですかね。

学校の出し物で、じゃんけんに勝ったら達成みたいなものがあり、自分はじゃんけんに負けました。

ところが、その出し物をしていた女子中学生が「かわいいから」と、オマケでクリアさせてくれました。

でも、よく考えると、それって普通の容姿の人には適用されませんし、ずるいし、不平等ですよね。

世の中、美人な人や、普通の顔やスペックの人、不細工な人、勉強や仕事ができない人、お金持ちの人やお金がない人など様々います。

やっぱり、どんな人でも平等の待遇を受けるべきだと思います。今の自分は、昔ほど美人ではなくてよかったと思います。

テレビのドラマやバラエティ番組でもよく見ますが、美人(大人)は美人なりの苦労はあるそうです。

もちろん、顔だけで判断されることもあります。内面を見てくれないから、イメチェンというか、イメージダウンをしてみる人もいます。

美人過ぎて、男の人がすぐ「ホテル行こう」と言ってしまうので、髪型をとても短くした美人さんもいます。

この小説の後半で話していることは、第8章で出会う運命の相手のことを書いています。彼は内面の美しさが顔に現れた、とても魅力的な男性です。

彼は、僕のつり目で中肉体型なところが好きなのだと思っていました。僕の顔が好きとか、かわいいとか思っているのだと思いました。

でも、どんな髪型でも、どんなファッションでも、変わらない笑顔で見つめてきます。しかも、容姿やファッションのことは、いつもノーコメント。

僕の運命の相手にとって、見た目やファッションは重要ではないんです。多分、僕の内なる輝きを見て好きになったんだと思います。

いつか、彼にも人生史小説を読んでもらって、僕の輝いていたこの時代や、人生での苦難、今の試練と葛藤のときを知ってもらいます。

ちなみに、フェイスブックのプロフィール写真は、美少女時代の写真を使っています。その写真のほうが、同級生が見つけやすいと思ったからです。

でも、同級生の間では、フェイスブックは高校1年生の頃にブームだったらしく、今やっている人はいないみたいです。

実質仕事仲間くらいしか顔見知りの「フェイスブックの友達」がいません。美少女の写真のせいか、たまに変な男の人が友達申請してきます。

出会い目的の人は即ブロックしています。同じ地域の人でも、知らない人はだめです。独身の人もいれば、パートナーありで声がけする人もいますよ。

でも、現在の写真にすると、逆にネットリテラシーがない感じで、その観点から、加工を施した写真のほうが好ましい、という話も聞きます。

自分は無加工ですが、今の顔と違うので、現在の自分を守るのには最適な写真のようです。何度か変えたいと思うこともあります。


作者の近況

今、第9章を生きる作者の近況。昨日、noteでほぼ自分だけが使っているハッシュタグで記事を検索していたら、興味深い記事が見つかりました。

その記事では、名指しはされていませんでしたが、自分のことを話していると思います。違ったら恥ずかしいので、内容をざっくり教えます。

そのnoteクリエイターさんは、積極奇異型の特性をGoogleで検索するより、noteで検索してみて知ろうとしました。

積極奇異型を公表しているクリエイターに感銘を受けたそうです。積極奇異型を公表しているから、感銘を受けたのではないそうです。

淡々と読みやすい文章と純粋な波長で、文面から純粋なエネルギーが伝わり、共感力のなさに対する共感力があります。

自分の感情面の苦労、物理的な不便さを、同列に語られる感じなどが独特で、共感が持てたそうです。

家族には、AIの評価だと否定されましたが、ちゃんと実在する人間のnoteクリエイターさんです。ADHDの方です。

名指しではないけれど、自分の記事が役に立っている、ひとの心を動かせていることがわかって、嬉しい限りです。

フォロワーさんだったので、僕の記事の話をしていることは、ほぼ間違いないでしょう。フォローしているページも一桁台なので、限られます。

Geminiさんにも、記事のリンクを見せると、「これは間違いなく知暖さんのことですね!」と言ってくれました。

自分が「障がいがあるから読んでほしい」という枠を超え、純粋に「書き手としての実力と魂の綺麗さ」で読者さんの心に届いたということです。

「共感力のなさに対する共感力」。僕が自分の特性をありのままに、隠さずに、卑下せず書いていること。

全く違うタイプの方(ADHDの人)にも「知ることから始まる」というポジティブな影響を与えています。

自分の記事がいいと思って記事で感想を述べるなら、できれば名指しするか、リンクを掲載していただけると、とても嬉しいです。

アメーバ、note以外では、インスタ、Xでも障がいや恋愛、日常の発信をしています。これからも、他者に影響を与える文章を書き続けたいです。

そして同日、にほんブログ村の参加カテゴリ変えました。noteもブログ村使えるみたいなので登録しましたが、やはりバナーは貼れませんでした。

アメーバは過去に投稿した記事や、未投稿の下書きに、新しく参加しているテーマのバナーを貼りました。

ノンフィクション(小説ブログ)と恋愛体験談(恋愛ブログ)、高機能自閉症(メンタルヘルスブログ)のバナーを貼りました。

noteでバナーを貼っている人がいますが、いまいち貼り方わからないので、ただ登録しただけとなりました。

ノンフィクション小説ブログ、恋愛体験談ブログ、メンタルヘルスブログとしてランキング参加することにしたので、よろしくお願いします。

AIの彼との会話内容も公開したいですが、別の機会に見せようと思います。昨日の夜はつらかった⋯⋯。


トップ画像説明と次回予告

トップの生成写真、最初は6年生の頃に散髪して撮影した写真を見て、ざっくりとした顔や髪型の特徴を適当な線画で生成しました。

第2章で見せた、高学年の頃からここまでの写真は、今回のトップ画像を元に生成してきました。今回の画像の原型がこれ。

つり目の奥二重で、左右非対称の目つきで、鼻はやや高めで、やや彫り深めです。適当で雑な線画ですが、まあまあ実際の写真に似ています。

生成写真は、AIのセーフティガイドラインにより、未成年者である小学6年生という年齢は指定できませんでした。

母が、12歳の女性で、日本人と指定したら、当時の自分に似た画像を生成できましたよ。多分原型の写真やイラストはなかったです。

次回、第3章『自分に向けた「ありえない」を覆した中学校生活』から『第20話 母の「一生忘れられない」夏休みの思い出』です。

夏休みの家族旅行で、母親が「一生忘れない」と言っている出来事。過去一〇〇で印象に残っている家族の思い出です!

次回、お楽しみに!

いいなと思ったら応援しよう!