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アラサーの今だから言えること

彼に出会い「真実の愛」に気づき始める頃の僕
(Geminiさん生成写真)

人生史小説の第9章の現在のを生きる僕が、今後執筆・投稿を予定している、小説のネタになりうる記事を書く。

今回は、ちょっと小説の内容に触れてしまうかもしれないけど、僕が子ども時代、人生で学んだことについて、当時の自分に言ってやりたいことです。

チカノベは今、アメーバとnoteで、人生史小説を連載中で、自分の人生経験をありのままに書いたノンフィクションの物語を執筆しています。

小説のタイトルは『精神障がい、性的違和の知暖が学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』です。

脳の障がいによる障がい特性を持つ知暖(ちはる)が主人公で、今までたくさん失敗し、苦しんで、たくさん泣き叫び、報われない経験をしてきました。

そうやって、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話です。

今回は、小説の下書きに書いたような、アラサーの僕が子ども時代の自分に言ってやりたいことや、今だから言えることについて説明します。


子ども時代の自分に言ってやりたいこと

僕はギリ平成初期生まれ、90年代後半生まれで、小学1年生の頃に「多動を伴う高機能自閉症」と診断され、特性は「積極奇異型」です。

障がい特性上、人間関係の構築や恋愛、集団生活に馴染むことが難しく、社会性が身につきにくく、学習能力や反省する力が乏しいです。

高機能で、知的障がいはないので、授業の学習はできるのですか、人との関わりや集団生活、日常生活の面の学習ができないことに苦を感じています。

子どもの頃は、本当に自由奔放に動いていて、空気が読めなかったり、他者の気持ちを全く考えず行動したりしました。

そのため、社会性や集団生活のルール、一般論に縛られず「みんなと同じ」「普通」「常識」「基本」を知らない子でした。

僕が人生を歩んでいき、ある程度「社会性」が身につき「真実の愛」を知り「人生の正解」を掴んできたアラサーの今だから言えることを説明します。


1.人間関係・他者の前での言動などで衝動的に動いて失敗したことについて

僕は子ども時代、他者の気持ちを考えず、自由奔放で、自分の気持ちだけで動いていました。

そのため、思い通りにならないとかんしゃくを起こしたり、パニックになったり、物に八つ当たりしたり、人に噛みついたりしました。

そうやって、小学生時代は、友達に攻撃したり、怪我をさせたり、喧嘩をしたり、意地悪したりと、問題行動を起こし、先生に叱られ、叩かれました。

小学校中学年頃に友達と元気に遊ぶ僕
(Geminiさん生成写真)

自分が子ども時代にやってしまった、人間関係の失敗について思うことは、僕が大人になるために必要な過程だったと今は思えます。

子どもの頃に経験した「健常者とのいざこざ」は、他者の気持ちを考え、反省する機会を設けるためにありました。

林間学校の問題行動や、児童会長とのいざこざの際、自分の言動について、スケッチブックや黒板、用紙で反省させられました。

大人になってからは、AndroidPCとメモアプリを使ってでのひとり反省会となりました。最近はAIと一緒に反省したり、気持ちを考えたりします。

他者の気持ちを考えずに行動することは、前より減りました。後悔することの数%は、行動に移す前に考えて止められます。

一度だけ、2月には、行動に移す前に考えて、AIにも相談した上で実行したことに、激しく後悔することはありました。

でも、あれ(過激投稿)以降、最近はSNS(プライベートページ)に投稿する内容は、自分で気をつけられるようになりました。

何か良くなさそうな行動をする前に、1割程度はワンクッション置くことができるようになりました。

今まで人間関係で失敗したり、衝動的な言動で激しく後悔したことは、他者の気持ちを考えるために必要だったことと言えます。


2.一部の学友・好きな人に嫌われていたことについて

僕が6年生の頃に好きになった年下の子
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何度も言っている通り、子どもの頃は、自由奔放で、自分の気持ちだけで動いていました。

積極奇異型の人は、一方的に話し、他者の気持ちを考えない言動、空気を読まず、人との距離が近過ぎると言います。

積極奇異型の長所は、何事にも積極的に取り組み、周囲に流されず自分の軸がしっかりし、自分だけの世界を持っているところです。

無理をして適応しようとしないため、ストレスを溜め込みにくいそうです。子ども時代までの自分は、良くも悪くも、そうでした。

子どもの頃は、人の気持ちを考えず、相手にどう思われるか気にせず、自分の一方的な気持ちを満たすため、好きな人にしつこくし嫌われていました。

今の自分や人間関係や恋は違うと思います。でも「一方的に喋る」「しつこい」「うざい」「距離を詰め過ぎる」とかは、今も変わりません。

大人になると、積極奇異型の特徴にはない「誰かの気持ちを考える」「流されやすい」「ストレスを溜め込みやすい」自分になってしまいます。

社会性がある程度身につき、ひとの気持ちを考え、反省する能力ばかりが育って、気にしいになってしまいます。

自分の言動に激しく後悔し、他者の言動を深読みして、一喜一憂し、泣いたり落ち込んだりする、帰宅後に「ひとり反省会」をする日々です。

自由奔放の頃の自分に言葉をかけるとしたら、好きな人に嫌われ続けた経験は、大人の自分の人間関係や恋愛で、フルに活用できていることです。

どうすることが嫌われるのか良くないのか、恋愛に難になるのか、膨大な「自分調べ」のデータが構築されていきます。

だから、まだ人間関係の構築方法が掴めない子どものうちは、学校の仲間たちや、好きな人たちにどんどん嫌われなさい。

その人、学校を卒業したら、友達でも何者でもないし、好きだった人は結婚相手の候補にはならないし、今は知らない人同士だよ。

たくさんの人と関わったり恋をしたりして、膨大な人間のタイプのデータを蓄積し、社会性や愛の形、人生の正解、幸せとは何かを学んでいってね。

いくら学んでも足りないから、積極奇異らしく、たくさんの人と関わるんだよ。

アラサーの僕は、人間関係を制限して、人のことが嫌になるくらいだから、人と関わる機会があるうちは、しつこいほどコミュニケーションしてね。

積極奇異で、誰とでも仲良くなろうとした、人懐っこいの範疇を超えていた当時の自分を、このように綴って誇りに思っているから。


3.美少女だった自分について

小学校高学年の頃だっただろうか。障がい者施設の職員に「美少女ですね」と言われました。低身長で、体脂肪率も18%の幼い顔つきでした。

家族で街を歩いていると、よく知らない人に声をかけられた記憶があります。母が話すような、声がけの内容だけ、ほとんど記憶がないです。

母の話によると「メルアド交換しよう」「学校どこ?」という内容だったらしく、ナンパされていたそうです。

10代前半頃の僕
(Geminiさん生成写真)

自分には、美少女であること、かわいいこと、脚が長くスタイルがいいことの自覚が全くありませんでした。

容姿で興味を持たれることや、容姿に関して配慮のない発言をされたことは、心の奥底では困惑していました。

子ども祭りで、巨大ヒーローの格好をしている大人の男性に握手を求められました。

当時の自分はなぜ握手を求められているか理由が全くわからず、警戒し困惑して何もできませんでした。

隣のクラスの女子からは、中学生まで「自分のことかわいいと思ってるでしょ」と何度か言われることもありました。

かわいいことが無自覚な自分は、何のことを言われているのか、理解できませんでした。それほど、自分の容姿がいいという自覚はなかったです。

中学生の頃、服薬内容の大きな変更があったせいか、食べる量が増え、夜食も摂るようになり、中学時代だけでも30Kg程増加しました。

小柄だった身長も、母親と同じくらいの背丈になり、10代後半には171cmで身長が止まり、20代前半で172.5cmに定まりました。

大人になった僕から言えること。当時はあんなにかわいかったのに、どうして自分のかわいさを自覚できなかったのか。本当に謎だね。

肥満でむくんで不格好な体になってから、やっと「自分はかわいい」と気づきました。何でもっと早く気づかなかったんだろう。

容姿を生かして、人たらしにもなれたはずだし、良い待遇も受けられたはずなのに、どうしてよりによって美少女じゃなくなったあとに気づくの。

自分が美人なら、もっと人生が楽しめたはずなのに。でも、人は容姿だけだとだめだって気づくときもくるんだよ。

自分が将来出会う好きな人って、タイプの見た目とは違う部分があっても好きになることもあります。

自分の好みではない、長身やたれ目、男性的、短髪、大人っぽい容姿の人も、性格がいいところが好きになるんだよ。

自分が持っていた、見た目だけの長所があったこと、それに早く気づけたら、もっと違った少女時代の生き方ができたのに。

しかし、いくら美少女でも、障がいがあり、他人と違い過ぎて、しつこ過ぎると、いじめられるし、嫌われるし、愛されないです。

美少女時代、声をかけた人々や、握手を求めてきた人は、本当の「積極奇異でわがままな障がい者」を知らない人です。

つまり、見た目だけで寄ってくる、見た目しかいい部分が見えていない悪い奴らです。

真実の愛を知ったアラサーの僕が言うと、本当に心から愛されて、美しい人は、見た目がきれいな人ではなく、性格がいい人なのです。

当時の自分は、いじめっ子の容姿だけが好印象に思って、嫌いになれませんでした。そのうち、重要なのは、見た目じゃないことに気づきます。

僕は、高校生までは、恋愛対象は見た目を重視して好きになります。高卒頃になって、性格を重視できるようになります。

体格も心も年齢も大きくなった自分になるまで、いろんな見た目や内面の人たちと関わって「本当の愛の形」に気づいていってね。


4.本当に美しい男性の特徴について

夏休みと冬休み、障がい者の施設に宿泊利用をしていました。養護学校の隣にある、養護学校生の寮のような施設です。

自分は、知的障がいがないので、地元の市立小学校や中学校に通い、夏休みと冬休みは、短期利用でその施設に泊まるのを楽しみにしていました。

ここで取り上げるお話は、中学1年生の頃の冬休みから好きな「初代イケメンさん」に感じたことについてです。

食堂で食事を摂っていると、やたらと目が合う人がいて、茶髪に染めた長髪に、くりくりとした目、特徴的な鼻筋。とても美形な男の子がいました。

「初代イケメンさん」をモデルにした創作人物
(僕が描いたイラスト)

名前すら知らなかったとき、好きなアニメの主人公のセリフみたいに、その人を「イケメンさん」と言っていました。

自分にとって「初代イケメンさん」となる人でした。初代イケメンさんは、有名な城のある、おしゃれな街出身の1歳上の男の子です。

頭が良くて、養護学校に行くほどの知的障がいではなく、顔つきや動作、喋り方もほぼ健常者と同じように見えました。

どこに問題があって養護学校に行っているのか、当時は全く想像がつきませんでした。施設に泊まっている間は、その子と遊んで過ごしました。

1年生の冬休みの宿泊利用後半には「お前気に入った」とか、施設に「入所して」と言われ、とてもいい印象に思ってくれました。

こんなに顔がきれいで、頭の良さそうな人に気に入ってもらえるなんて、これまで片思いの男子たちに嫌厭されていた自分に春が来たと今は思います。

2年生の夏休みも、施設の宿泊利用をし、イケメンさんは髪型をイメチェンしていました。

ツーブロックの短髪になり、茶髪はほとんど残っていなかったけど、顔がいいので、まだ「イケメンさん」と言える容姿でした。

本当に大好きで大好きで仕方なくなり、ドはまりしました。出会えたことがとても嬉しくなりました。

2年生の冬休みに、初めて男子と付き合いたいと思い、告白することにしました。

その男子と、コピー用紙に字を書いてコミュニケーションを取り、自分は紙に「彼女になりたい」と書いてしまいました。

今考えると、僕から告白された直後の本人は、相当びっくりして困惑していたと思います。

「えー?」とか「ガチで?」と何度でも聞き返してきたので、自分も何度でも告白の返事を求めました。

しかし、初代イケメンさんは、過去の恋愛を打ち明け、元ヤンキーで不登校で、そこそこな悪行をしていたそうです。

見かねた大人たちが、その男子を養護学校に転校させたそうです。当時はちょっとだけショックでしたね。

付き合う条件は、初代イケメンさんが出題する物理学の試験に合格することでした。結果は不合格でした。

告白の返事を何度も要求していたせいで「しつこい人は嫌い」と言われ、振られました。

本人は、最初から僕と付き合うつもりはなかったんだと思います。その子のタイプと僕は、ことごとく違いました。

年上の女性が好みで、太っている人は好みではなく、自分のようなお喋りでしつこくて、お下品なことを普通に喋っている人はだめだったみたいです。

挙句の果てには「彼女欲しい」「結婚したい」が口癖になりました。当時中高生の男子の発言でした。

振った異性の前でもこんなに配慮のない、悔しい思いをするようなことばかりを言うようになりました。

初代イケメンさんは、高卒後、僕の地元で運送会社のドライバーとして就職しました。1歳年上の初代イケメンさんも今はアラサーです。

「初代イケメンさん」に恋していた、当時の自分に言ってやりたいこと。初代イケメンさんはね、出会った異性の中で確かに最初だけ最も美形でした。

でもね、本当に美しい男の人や「真のイケメン」と言える人は、整った顔立ちだけではないんです。

お互いの欠点なんか気にならないし、タイプじゃない面も受け入れられるし、否定し合わないし、外見や年齢なんて関係ないです。

世間一般のイケメンではなくても、内面の美しさが顔に現れて、自分だけの「イケメンさん」になるんだよ。

僕の「2代目イケメンさん」こと「2代目恋人」
(Geminiさん生成写真)

運命の相手と確信する「2代目イケメンさん」こと「2代目恋人」に出会い「真実の愛」を知るまで、そのことには気づけませんでした。

子ども時代の自分よ、いろんな人に恋をして、恋愛対象との人間関係や距離の詰め方を学んで「真実の愛」を知るための道を辿っていってね。

最近の僕は、積極奇異なあまり、今のイケメンさんにメッセージを送りすぎてしまい、ブロックされて、本格的なサイレント期間中です。

サイレント期間中は、反省の日々です。ブロック解除して、話し合うとしたら、自分ばっかり発言せず、彼の言い分にもしっかり目を通すよ。


5.中学生時代にかんしゃくを起こしたことについて

普通クラスでの授業ができず落ち込む僕
(Geminiさん生成画像)

中学校の特別支援学級にいた頃、度々かんしゃくを起こし、先生や生徒に迷惑をかけたり怪我をさせたりし、仕事中の母が呼ばれました。

20代半ば頃までは「中学校大嫌い」「みんな(先生・生徒)頭おかしい」と思って、最悪の現場と言って歩いていました。

アラサーになり、自分の人生を小説に書いて振り返り、気づいたことがありました。自分ばかりが苦しんだ被害者ではないこと。

普段から担任や、教科学習の教師たちには、かんしゃくを起こしたことや、校内・校外を脱走したこと、本当に迷惑をかけ、苦労をさせました。

仕事中の母親が度々呼ばれることもあり、その度に早退し、給料を減らしてまで、かんしゃくを起こす僕を迎えに来てくれました。

自分と母、教師、生徒。お互いに苦しめ合い、傷つき合い、そんな中学時代を過ごして、自分もまわりの人たちも、かんしゃくの対応に大変でした。

高校に入っても、学生をあがっても、アラサーの今でも落ち着くことのないかんしゃくです。

最近は、人間関係や就労、恋愛の悩みで、泣き叫ぶことが多く、家族たちはとても苦しんでいます。悪いとはわかっています。

積極奇異で、自分の気持ちだけでも満たそうと、気持ちを理解してもらおうと、泣き声や金切り声をあげる自分から脱せるほど楽なことはないです。

かんしゃく持ちのせいで、人生損してきて、就職も止められ、就労施設でも才能が伸ばせませんでした。

こんなかんしゃくに囚われ、可能性を広げられない人生を終わらせ、人生の新たな道を切り拓きたいです。


6.その他の学んだ社会性について

自由奔放で他者の気持ちを考えずに行動した子ども時代。小学1年生の頃は、全くと言っていいほど、自分だけの気持ちで動いていました。

小学2年生の頃、特別支援学級で、1学年上の、知的障がいを伴う自閉症を持つ男の子がいました。

その子には、嫌いなフレーズ(バツ、ちがう、じゃあ、パンチなど)があり、僕の動物の鳴き真似が好きではありませんでした。

当時の自分は、よくわからずに、ただ喋らないようにしただけのことや、わざと嫌いな言葉を言うこともありました。

大人になってから気づいたことは、自閉症の子への気遣いから、自分より弱い人に気を遣うことを覚えたんだなって思いました。

集団生活の基本は、小学校生活後半である程度身についてきました。小学4年生から6年生までの担任がきっかけでした。

授業中に、ふざけたり、一発芸をしたり、下品ワードを言ったりすることを許さない先生でした。

お楽しみ会や修学旅行といった、楽しい場面では、クラスメイトたちや自分がしたウケ狙いや下品ネタを大笑いして聞いてくれます。

感覚的に、場面に合わせて、していいこととしてはいけないことを身に着けてくれた先生だと今では思えます。

社会性や、他者のための言動については、林間学校の前後の教育が特に印象強いです。

林間学校の道中、きれいな花を見つけたら、班の人を気にせずに見続けるか?という指導内容が印象に残っています。

林間学校の前後では、ひとの気持ちを考えることを、先生や母から教えてもらいました。

林間学校で問題行動を起こす前の僕
(Geminiさん生成写真)

林間学校で、クラスメイトの誤解を与える発言によって本気で怒り、僕が起こした問題行動で、他者の気持ちを考え、反省する力が育ちました。

社会科見学で、地元の博物館を見学したとき、館内のスタンプを捺したいと思いました。でも、それは自分勝手なことだと思いました。

「まわりのために考えて行動をする」ことができ、林間学校のおかげであることを、当時は振り返りの作文に書きました。

母は、子ども時代、僕は社会性がないことを言い、その意味がわからず、勉強はできることを話すと、社会科学習でも学べないことだと言われました。

幼稚園に入る前の僕
(Geminiさん生成写真)

今でも、きょうだいにも、社会性皆無であることを指摘されます。子どもが最初に学ぶ社会性は、親や祖父母、きょうだいからだとも言います。

その次に、幼稚園、小学校と学ぶのですが、僕は小学校高学年まで、社会性が身につかず「社会性」という言葉の意味も、大人になってから知りました。

僕には、本当に社会性がありません。皆無というよりは、年相応の社会性がないこと。

「社会性」の言葉の意味を大人になってようやく理解し、人生史を書いて振り返るようになり、気づきました。

今まで教師や家族が言っていた、指導していた、しつけていたことは、僕に「社会性」を身につけることだったんだってね。


最後に

僕が人生を振り返り、小説に書くようになってから、人生を俯瞰からというのでしょうか。別の視点で見ることができるようになりました。

アラサーになり、子ども時代を振り返ると、今まで執拗にペットの動物や学友、恋愛対象に構っていたことは、積極奇異の特性からでした。

自由奔放だったあの頃、人に嫌われることを気にせず、しつこく話しかけてきたこと。アラサーの気にしいの僕は、人に嫌われることをとても気にする。

でも、積極奇異の特性で、人間関係や恋愛でうまくいかなかった経験は、脳内でデータ化され、今の人間関係や恋愛に活かそうとしています。

でも、データが足りないです。両想いになった経験が少ないからです。今、いちばん想っている彼のことや、人間関係を制限していること。

足りないデータは、今あるデータを応用して考えたり、Geminiさんと一緒に考えたり、反省したりして補っています。

僕は、障がい特性のせいで、ずっと人生がうまくいかず、報われない経験をし、たくさん泣いて叫んできました。

今まで、集団生活を教育されたこと、人間関係や恋愛の距離感で失敗したことは、全て「社会性」と「真実の愛」を知るための経緯でした。

これからも、いろんな経験をし、更に「社会性」と「愛の形」を知って学んでいき「人生の正解」を見つける道を進んでいきます。

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以上!

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