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第34話 精神科以外の印象的だった医療のエピソード

チカノベの人生史小説。タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖ちはるが学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。

脳の障がいによる障がい特性を持つ主人公の知暖が、人生でたくさん失敗し、苦しんで、たくさん泣いて叫んで、報われない経験をして生きてきた。

そうやって、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話。

今回は、第3章『自分に向けた「ありえない」を覆した中学校生活』から『第34話 精神科以外の印象的だった医療のエピソード』です。

目次はこちらです。以前の話や次回以降の話を選んで読めます。

診察室で泣きわめく主人公の知暖
(Geminiさんで生成したイメージ写真)

精神科以外の印象的だった医療のエピソード

中学1年生の頃の夏、自分は学校に行きたくなかった。「学校に行きたくない」と言うと、母と裕喜ゆうきの怒りを買った。裕喜の所持しているカッターナイフを取り出し、脅しに使った。小学生の頃も、似たような状況で、錆びた包丁を見せられた。他にも、母の不在中、騒ぐと裕喜にハサミで脅される。そんなことが日常茶飯事だったからこそ、僕は将来、刃物で人を怯えさせるような家庭にはしたくないと「理想の家庭」を強く渇望するようになった。

中学1年生の、カッターナイフを見せられたのは、自分と家族の言い分が異なる。自分はカッターナイフを投げられたと思っているが、家族は自分が体当たりをした際に手から落ちたと主張している。

どっちみち、家族の手から離れたカッターナイフが、自分の左膝の上、腿のあたりに当たってしまい、皮膚がスパッと切れ、サラサラとした血が出て、止まらない状態になり「救急車」と言った。止まらない鮮血を見て、自分はこれが取り返しのつかない非常事態であることを、肌で感じ取った。
患部をハンカチで押さえ、パジャマから服に着替え、タクシーに乗り、外科を予約し、外科医院へ向かった。当時は泣き止まず、年相応の状態ではなかったため、外科医に発達障がいを疑われた。自分は認めた。この怪我に、母が「私がやりました」と医者に言った。

診察室の診察台で治療ができるそうだが、あまりにも泣き声がうるさく、2階へ行って、手術室で治療を受けた。傷口に局部麻酔の針が刺さった瞬間、僕は「死んだふり」をした。母はその時のことを「麻酔を打った途端に静かになった」と、まるで魔法でもかかったかのように語る。器具とタコ糸のような糸を使って、3針縫った。

傷口を絆創膏のような物で覆い、治療は完了。痛み止めと血液を作る薬が処方された。医院を出た母は泣いていた。自分もそれを見て泣いた。学校の先生と自分も電話をし、状況を説明した。1年8組のクラスメイトに休んだ理由を理解してもらおうとした。

入浴時は、傷口に気を遣って、母の介助で行なった。浴槽の縁に脚を伸ばし、傷口の部分にお湯がかからないように、頭や体を洗った。
時々通院し、傷口の消毒と絆創膏の貼り替えをしに行った。その時期、スポーツテストがあり、50m走では、はち切れそうな傷口を気にして走って、小学校の頃よりタイムが遅かった。

抜糸の日。自分は怖くて、診察室で騒いだ。麻酔なしで行う。皮膚に食い込んだ太い糸を引き抜かれる想像だけで、血の気が引いた。こんな思いをするくらいなら「死んだほうがまし」と大騒ぎした。診察台の上で抜糸を完了させ、少し痛かったが、そこまで騒ぐことはなかった。
また学校に行きたくなかったので、今度は「おなかが痛い」と言い出し、外科手術をしたところと同じ医院へ。医師に治った傷跡を見せた。診察を受け、浣腸をうけることになった。

ハサミのような器具があって、家庭で言う洗濯バサミや留め具のような物らしいが、皮膚を切開すると思ってびっくりした。医院のトイレで出せるだけ排泄した。

他に印象に残っているのが、中学2年生の頃の整形外科。12月頃、足が痛くなり、痛い日と痛くない日があり、年始まで放置していた。冬休み明け頃に整形外科へ。服薬の話を看護師の問診で説明した際、発達障がいのことを「病気?」と言ってきた。子どもの頃は、小さい子に、自分や蒼生あおいが他の子と違うことを、祖母が「病気」と説明していた。

病気と障がいの違いは、病気は治るもので、障がいは治らないものと当時から認識していた。祖母も医療技術が進んで、蒼生の障がいを直したいとも言っていた。もしこの障がいが治るのだとしても、自分は拒むだろう。治すことで、自分を形作る「美徳」や「感性」までもが削ぎ落とされてしまう気がするからだ。大人になった今、この障がいがあったからこそ巡り合えた「最高の出会い」が何度もあり、そのたびに「障がい者でよかった」と心から思える。だから、治す必要なんてないのだ。

整形外科医は、女医のとても感じのいい先生で、医療ミスがないよう徹底されていた。本人確認のため、毎回名前と生年月日を訊かれる。レントゲン検査では異常なし。足を触ってもらって、痛い部分を把握してもらい、テーピングを施してもらった。

テーピングの際も母が入浴を介助してくれた。テーピングの部分が痒くて、血が滲むまで掻きむしった。テーピングをやめてからは、市販のサポーターを身に着けた。

自分は、家庭事情で医療費が無料だった。大人になった現在は、重度心身医療で、医療費が無料。自己負担がないだけで、国が払っている。今でも、体に異変があれば、とことん通院している。歯が欠けたら放置せず、顎の骨が溶けて顔が変形することに危機感を抱いて歯科医院に通院し、続けて通院し、歯のメンテナンス。20代後半で、風邪を何度も引いた年だって、すぐに耳鼻咽喉科へ行った。アラサーに差しかかる頃も、風邪や体調不良で行きたいときに医院へ行った。自分は重度の精神障がいで、大人になった今、医療費無料と多めの障がい年金をもらっている。生活弱者が受けるべき制度をありがたく受けている。だから、この面で言うと「重度の精神障がいでよかった!」と思える事柄のひとつなのだ。


おことわり

この物語は、自分の主観と記憶を辿り、実体験をベースに綴ったノンフィクション・エッセイです。一部、プライバシー保護のために、地名や人名、団体名、家庭事情等を伏せたり書き換えたりしています。そして、歳月の経過による記憶の断片を繋ぎ合わせています。当時の心情風景としての描写が含まれることをご了承ください。


あとがき

所得が少ない家や、精神障がい等級1級(重度心身障がい者医療費助成)だと、医療費は自己負担なし(0割負担)になります。

なので、体のどこかが痛いとか、調子が悪くなることがあると、すぐに医院に受診しに行きます。もちろん、医療費助成制度を正しく利用しています。

生活保護の人が、医療費無料で、処方薬を転売していて、収入を得ているという情報をSNSで見かけます。

医療費をそのように使わないでほしいし、本当にその薬が必要な人に届かなくなってしまいます。

生活保護や低所得家庭、重度心身障がい者等の医療費助成制度を、不正に利用せず、正しく利用してほしいです。

僕は、コンサータや咳止め、風邪薬の不足をテレビニュースやSNSで知ることがあります。

そのとき「自分が本当に必要としている薬が、手に入らなくなるかもしれない』という切実な不安に駆られます。

これから、就職したり、実家を出て自立した生活をしたりすると、重度心身障がい者医療費助成は受けられなくなるかもしれません。

重度心身障がい者医療費助成が利用できるのは、精神障がい者だと等級1までで、精神障がい等級2級からは、1割程度の負担になる場合があります。

医療費がかからないで、自分の体の不調をすぐに治療しに行く生活に慣れてしまったので、医療費を負担するようになるのは嫌かもしれません。

自立した生活が送れるということは、決して損をしているというわけではなく、嬉しいことです。

もし、精神障がい等級が1級ではなくなっても、自立した生活を受け入れられる自分になりたいです。これからがんばります。


作者の近況

今、第10章を生きる作者の近況。今週末、お花見に行く予定です。天気が不安でしたが。天気予報では快晴のようです。

まだ行けるか確定ではありませんが、期待と不安が入り混じった今の気持ちも大切にしながら、当日は心から楽しんでこようと思います

図書館で借りた本も、今度こそ完読して返却したいですが、4月15日(水)に延長してから読んでいません。

このあと、少しでもいいので、読みたいです。他のことに気を取られても、まだ返却日まで1週間ほどあります。しっかり読んで返します。


トップ画像説明と次回予告

トップの生成写真、実際に着ていた服は、トップスは失念しましたが、半袖シャツを着ていたと思います。

ボトムスは、デニムのハーフパンツを穿いていました。傷口をハンカチで押さえていました。診察室で泣き喚いていました。

次回、第3章『自分に向けた「ありえない」を覆した中学校生活』から『第35話 中学時代の交友関係」です。

中学時代に関わっていた同性の友人とどう関わっていたかについてのお話です。


参考記事

次回、お楽しみに!

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