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第40話 双極性人格障がいと診断され 長期の閉鎖病棟入院

チカノベの人生史小説。タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖ちはるが学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。

脳の障がいによる障がい特性を持つ主人公の知暖が、人生でたくさん失敗し、苦しんで、たくさん泣いて叫んで、報われない経験をして生きてきた。

そうやって、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話。

今回は、第4章『何かと闘いまくった高校生活』から『第40話 双極性人格障がいと診断され 長期の閉鎖病棟入院』です。

目次はこちらです。以前の話や次回以降の話を選んで読めます。

主人公の知暖 病室での姿
(Geminiさんで生成したイメージ写真)

双極性人格障がいと診断され 長期の閉鎖病棟入院

今回は、第4章『何かと闘いまくった高校生活』から『第40話 双極性人格障がいと診断され 長期の閉鎖病棟入院』です。

6月、隣の市の山奥にある精神病院へ定期通院した。初めての交際で失恋し、元恋人以外の無関係の人をも傷つけるような言動をした。大好きだった人に拒絶された空虚さを埋めるために、誰かを支配し、傷つけることでしか、自分を保つことができなかった。自分の存在意義もわからず、タオルで首を締める、壁に頭を打ちつけるといった行動をすることから、精神状態はとても悪く、急な入院が決まった。「双極性人格障がい」と診断名がついた。「躁うつ病」や「気分障がい」「パーソナリティ障がい」とも呼ばれる精神障がいで、発達障がいという土壌の上に芽吹いてしまった『二次障がい』。

双極性障がいとは、気分が極端に高揚する「躁状態」と、落ち込んでしまう「うつ状態」を繰り返す特徴がある精神疾患である。

人格障がいとは、思考や感情、行動、対人関係の偏りが著しく、社会生活に支障をきたす精神疾患で、主な症状は「極端な認知の偏り」「感情・衝動のコントロール困難」「安定した関係の構築が困難」の3点。代表的なものに、見捨てられ不安や感情の爆発が見られる「境界性」自己中心的で共感性に欠ける「自己愛性」依存的な「依存性」などがあり、計10種類に分類される。

うつ状態の自覚症状は、小学校高学年の通学に苦を感じ始めたときか、中学1年生で不登校になった頃からあったと思う。発達障がいを始め、精神障がいは一度罹患すると治らない。症状を薬や作業療法で和らげることは可能だが、その後の人生でどれほど執拗に自分を追い詰め、周囲との深い溝を作ることになるのか、当時の自分は、まだ知る由もなかった。

急な入院生活が始まった。中学生の頃の入院とは違い、予告なしだったため、自分は診察室でかんしゃくを起こした。当時の主治医は病棟のスタッフに連絡を入れ、複数人で抱き上げ、身に着けているリュックを追い剥ぎのように剥ぎ取られ、車椅子で病棟まで運ばれ、観察室に収容された。

当時の持ち物は、筆記用具と数円程度の所持金、携帯電話、図書館で借りた数冊の本、化粧ポーチ、アクセサリー、ゲーム機、フェアリーモンスターのつがいの縫いぐるみ、つがいのモンスターのフィギュアと入れ物くらいだった。携帯電話、図書館の本、化粧ポーチ、ゲーム機、一部のアクセサリーが家族に返却された。母もまさか入院が決まるとは思っておらず、大急ぎで衣類や生活用品の準備をした。当時加入したばかりの医療保険がおりた。

観察室から出ると、まず長年入院している白血病の女性に声をかけた。前に入院していた、1歳年上の男子もいた。他のお年寄りたちも何人か覚えていた。症状が変わってしまったお年寄りもいた。統合失調症での入院で学校に行かなくなったひなさんもまだいた。

入院した日の週末の夜、院外に出て、「学校に行きたい」と職員に話すと、観察室に入れられた。学費を払って、しっかり3年で卒業したかった自分は、お金と時間を無駄にすることに非常に納得できなかった。

6月下旬に入院を開始したのだが、入院生活前半は観察室でずっと過ごしていた。マットレスの上で寝たきりで、食事やトイレのときは座る。観察室には和式トイレのような場所があり、用を足すのだが、自分は和式トイレが嫌なので、洋式の簡易トイレを設置してもらっていた。寝たきりで過ごしていたせいか、観察室から病室への解放の時間では、椅子に座っているだけでも体力が消耗され、まともに自由な時間を楽しむことができなかった。主治医に、観察室への縫いぐるみの持ち込みが許可された。

縫いぐるみは、電気とフェアリーの属性があり、あるときは、フェアリーの声が聞こえるようになった。「いつかの火曜日いいことがあるよ」と教えてくれた。確かに、5日は火曜日である。迎えた5日の火曜日は、院外外泊の許可がおりた。入院生活で必要な娯楽として、母が色鉛筆などを買ってくれた。カラオケに行くと、母が声にエフェクトをかけてきて、うまく歌えないことに不満を持ち、感情を声に出して表すと、症状が改善していないと指摘された。携帯電話で西島にしじまさんに、自分の味方は限られていること、また就労施設で、瑛亮えいすけくんと、さえさんと一緒に過ごしたいことと、フェアリーの声の話を書き、母にそれを西島さんに送信するようにお願いしたが、内容を完全に否定され、送信には至らず、フェアリーの声が聞こえた話も「統合失調症みたい」と言われ、主治医にも伝わった。この「幻聴」と精神医学上で処理されたことは、第8章の伏線となるとは思っていなかった。

院外外泊後、しばらくしてから、観察室で過ごさず、病室やデイルームで過ごし、食事をしたり、作業療法に参加したり、小学生と一緒に面白いテレビを観たりして過ごした。病棟外の調理室での作業療法でラーメンを作る際、縫いぐるみが持ち込めず、不安定な状態で調理室へ行き、落ち着きがなく、食材に触れる前から、無理やり退場させられたこともあった。

小学生から高校生の若い人も、前回の入院とは違う顔ぶれの人が何人かいた。やはり、小学生は、自分を見下すことがあり、ウケ狙いで喋ったことは「面白くないです」と言う人もいた。ある男子小学生は「辻川つじかわ」と呼び捨てで呼ぶことや、自分の知っている雑学や知識の情報で、噓を言って曲げてきた。自分のゲームで成し遂げた、42億分の1の確率で出るかもしれないというモンスターを捕まえた話をすると「そんなブログ、ありませーん」と言い、事実を話したつもりなのに否定され、少し騒いでしまった。

摂食障がいと思しき女子中学生は、いつも点滴を摂取しており、おやつの時間はおやつが食べられず、その時間は、他の若者との会話で聞き手にまわっていた。お菓子作りでクレープ作りに参加した際は、彼女の父親も参加し、食べたのはクレープの皮だけで、なんかかわいそうだと思った。自分や他の人は、フルーツやクリームなどを包んで食べていた。

怖い看護師も2人いた。男性と女性の方。他の患者さんも、特にその男性看護師が怖いと言っていた。男性看護師の近くを通っただけで、観察室に入れられたと話しているが、被害妄想であることも、内心では疑っていた。

入院生活中、外出をし、大人向けの障がい者施設の見学をした。退院後に利用する施設として、利用の計画を進めていた。その施設には、知っている男性利用者がいて、しばらく硬直した。名前を思い出そうとした。名前を思い出し、正解した。西島さんと、見学先の施設の職員と、自分と母と面談した。

作業療法で、バスレクというものがあった。入院生活が長い人が優先的に行くことができるみたいだったが、自分は選ばれず、自分より入院生活が浅い人や、年単位で入院している人が選ばれた。この時点では、自分は入院生活が長く、当時は母も納得していなかった。

入院生活の中で誕生日を迎えるため、特別メニューが食べられるようになる。自分の名前を歌っていたため、自分が「辻川さん」であることを栄養士さんに認識され、ハンバーグと刺身のどちらかを選んだ。他の人は刺身を選んだあと、急にハンバーグに変更したと言っていた。小春日和の頃の、自分の誕生日には、刺身を食べた。

誕生日が近いとき、退院が決まった。11月の第一日曜日。なかなか退院の話がなかったため、信じられず、自分の頬を引っ叩いて現実かどうかを確かめた。

入院生活中、夢中で取り組んでいたことは、モンスターの創作で、理想の恋愛の物語を書いていたことと、青汁や黒酢を飲んで、体重を減らそうとしたこと。創作物語は、普通の精神状態で書いたものではなく、失恋中に書いた恋愛創作のため、失恋の傷が瘉えた頃には、見たくなくなり、書いていたノートを破棄した。青汁や黒酢を飲んでいた頃は、体重は一時的に減ったものの、ダイエットとは言えない程度の減少具合で、退院したら元に戻ったどころか、かなり増えた。

長い入院生活が終わり、復学もする。これからの学校生活では、最初は無理せず通学するものの、授業やレポートといった勉学に励み、いろんな生徒に恋をする。恋人に振られたというどん底から、これからの学校生活で、いろんな経験をしていく。もちろん、悲しい現実を見ることにもなる。入院中に見学していた障がい者施設には通わないこととなった。主治医が、別の施設に紹介状を書き、通所することになる。一度は地底に落ちたような気持ちになるも、このあとの人生、もっと泣くことになる。高校生の若き知暖の人生は、まだ終わらない。


おことわり

この物語は、自分の主観と記憶を辿り、実体験をベースに綴ったノンフィクション・エッセイです。一部、プライバシー保護のために、地名や人名、団体名、家庭事情等を伏せたり書き換えたりしています。そして、歳月の経過による記憶の断片を繋ぎ合わせています。当時の心情風景としての描写が含まれることをご了承ください。


あとがき

「双極性人格障がい」診断されたことは、当時は知りませんでした。長年「気分障がい」だと思って過ごしていました。

今年の3月から、就職活動をする際、障がい者就業センターの支援員に、障がい特性について説明する際、母から聞き、本当の診断名を知りました。

あまり「双極性人格障がい」という診断名は一般的ではないそうです。いつもAIから添削の対象として見なされます。

当時の主治医が実際に診断した名前で、診断当時の状態を表すのに、最も適切な傷病名だと思って、診断名のまま書いています。

人格障がいについて検索してみたところ、自分に当てはまると思ったのが、境界性と依存性と反社会性です。

人格障がいの特徴
〈検索のAIモード〉

どの特性か、医師から聞いた覚えがないですが、境界性の特徴が、自傷行為で、タオルで首を締めたり、壁に頭を打ちつけるといった行動です。

依存性は、他者への依存で、元恋人に過剰な執着を見せていました。年金の書類にも、元恋人への過剰な執着について書かれていたと思います。

反社会性は、他者への攻撃性で、自分より重度の障がい者に執拗に話しかけたり、いじったり、構ったり、差別したりしたことです。

今の自分は、人格障がいの症状はだいぶ落ち着いていますが、気持ちが不安定になると、一部の症状が現れることがあります。

時々自分を叩いたり、掻きむしったりする自傷、人に対し、人にしつこく話しかけ、親しい人が他の人に取られるかもしれない依存性や執着性。

人に拒絶されたり、裏切られたり、仲違いしたりすることを繰り返し、人間関係や恋愛で信頼性を築くことが難しく、安定した関係の構築が困難です。

闘病垢自己紹介カードで「トラウマ」にチェックリストを入れているのは、PTSDといった診断がくだったわけではなく、精神的な傷があるからです。

初代恋人との失恋で、相手に執着し、拒絶され、誰かを支配し傷つけることでしか自分の存在を確かめられませんでした。

それ以降の恋愛、高校や20代半ばまでの恋では、交際には発展せず、一定の距離感を保つことはできました。

20代後半の頃に連絡していた、外国人男性とのメッセージのやり取りで、カルチャーショックと異性愛の恐怖から男性不信になりました。

特に、20代後半の頃の恋で、深く傷つき、人間不信になり、長期の体調不良を経験し、好きな人にも心身が不健康なせいで、交際できませんでした。

その後、体調不良とうつ状態が改善し、付き合えましたが、仕事への不満で、大声を出してばかりで、職場恋愛の彼が仕事に集中できなくなりました。

他にも、仲違いした人がいて、傷ついてばかりで、あんなに人懐っこく、誰とでも仲良くしようとする自分は、人間関係を狭くするしかなくなりました。

「双極性人格障がい」は、なりたくてなったわけではないです。「周囲の人に意地悪されると症状が出る」と今まで認識していました。

二次障がいの原因は、本当に誰かのせいなのでしょうか?こちらも調べてみました。

二次障がいの主な原因は、発達障害の特性(一次障害)と周囲の環境とのミスマッチによる長期間の慢性的なストレスです。

周囲からの叱責、否定、いじめ、失敗体験の蓄積が自信喪失や自己否定感につながり、うつや不安障がい、強迫性障がいなどの症状を引き起こします。

私は今まで、小・中学教師から叱られ、中学校の男子からいじめられていました。その頃からうつ症状を自覚しています。

最近では、家族から価値観や恋愛観の否定をされることや、威圧的な態度を取られることがあります。

うつ病はウイルスや遺伝が原因とも最近は言われていますが、ウイルスといっても、風邪や伝染病とは異なり、人との接触で移ることはないそうです。

発達障がいや精神障がいの原因や治療法は、現在でも研究が進められていて、様々な因子が発表されていますよね。

できるのなら、これからを生きる子どもや若い人たちが、障がいの発症を事前に食い止めることができたらいいですね。

自分のように、多動やかんしゃく、感情の起伏などで、人間関係、恋愛、就職といった人との関わりで苦労する人が増えてほしくないからです。


作者の近況

今、第10章を生きる作者の近況。昨日の記事でも言いましたが、一人称を「私」に変えることにしました。

二次障がいの原因が、人間関係のトラウマからくるように、性指向や性自認の揺らぎも、精神的なことで起こったと自覚しています。

異性関係や恋愛がうまくいかず、女性と仲良くなりやすいため、バイセクシャルを自覚し、好きな女性のために男性でいたいと思いました。

最近は、傷ついているときの一人称として「僕」と言っていましたが、昨日は復縁した恋人と4週間も続きました。

私は以前の交際で、4週間以上付き合えた経験がなく「4週間以上付き合えない呪いがかかっているのではないか」と思っていました。

昨日は、彼と復縁して4週間が経過し、また終わるのではないかと、日中までは落ち着いて過ごせませんでした。

昨日・今日と、彼と仲良くメッセージのやり取りをしていて、別れる気配が微塵にも感じられませんでした。

「もう自分は傷つくことはない」「愛されていいんだ」「愛されるべき存在なんだ」と気づきました。

これからは、彼の恋人、パートナーとして生きてもいいんです。彼の隣にいる女性として相応しいんです。

過去の傷の痛みが徐々に反応しなくなるはずです。過去の傷の防衛反応で後退りする必要はない。もう性自認を揺るがすものか。

この前、彼と2人で出かけていても、話した一人称のほとんどが「私」でした。これからは、女性として、彼を好きになります。

以前投稿したり、執筆したりした人生史小説や、第10章のお話では、一人称が「僕」になっています。

書いたときの気持ちを尊重して、自分を表現したいので「僕」と書いた部分はそのままにします。

5月4日(月)以前に執筆したお話は、一部を除いて一人称を「僕」のままにし、今日以降執筆した過去のお話や第10章のお話は「私」で表現します。

でも、ツインレイの物語は複雑で、また傷つくことがあれば、一人称や性自認が揺らぐことはあるかもしれません。

就職活動でも、男性として就職するか、性別欄を、選択しないか、中性的な表現で表そうと思っていました。「女性」か選択しない方向でいきます。

これから何があるかわからないこともあるし、完全克服をしたわけではないので、闘病垢もトラウマとLGBTQのチェックリストは外さないでおきます。

小説のタイトルから「性的違和」も取らないことにします。特に「多様な性のあり方」の描写が「無条件の愛」を形にできていると感じるからです。

これからもずっと、1ヵ月、2ヵ月、3ヵ月、半年、1年、2年と、彼との関係が末永く続くといいです。


トップ画像説明と次回予告

トップの生成写真、病室で母が撮影した写真を忠実に再現できていると思います。実際かけていたメガネは、百均で買った伊達メガネです。

「見た目は関係ない」と言い出したくせに「メガネをかけているほうが好みの顔」と初代恋人に言われたあの頃。

初代恋人と別れたあとや、入院中まで、なぜずっとメガネをかけていたんですかね。この頃は、視力が落ちてくる頃だったと思います。

メガネをかけると、フレーム内でしか眼球が動かず、眼球の筋肉が衰えるので、視力が低下するそうです。当時はそれが原因と思っていました。

まだ視覚過敏を自覚するずっと前です。20代半ばになると、視覚過敏症が理由で、またメガネやサングラスをかけ始めることになります。

次回は、第4章『何かと闘いまくった高校生活』から『第41話 退院後の通学と通っていた施設』です。

就労施設を出禁になり、次に通うことになった施設、デイケア(リハビリテーション室)でのお話です。


参考記事

次回、お楽しみに!

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