僕が閉鎖病棟に入院した経験

当ページで連載中の物語の、第9章と第10章の狭間(9.1章)にいる現在を生きる僕が、今後予定している小説の内容に触れる記事。
今回の小説ネタ・自己啓発記事は、まだ投稿していない、第3章と第4章のお話をベースに編集しました。
僕は今、アメーバ、note、野いちごで、人生史小説を連載中で、自分の人生経験をありのままに書いたノンフィクションの物語を執筆しています。
タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖ちはるが学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。
脳の障がいによる障がい特性を持つ知暖が主人公で、今までたくさん失敗し、苦しんで、たくさん泣き叫び、報われない経験をしてきました。
そうやって、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話です。

僕のプロフィール

(Geminiさん生成画像)
小学校1年生の頃に「他動を伴う高機能自閉症」の診断がつく。特性は積極奇異型。小学5年生の冬にコンサータ、ルボックス(朝食後)の服用を開始。
服薬開始頃から、通学に苦を感じ、うつ症状を自覚。中学1年生には睡眠時間を削って勉強をするため、夕食後の薬や寝る前の薬が処方される。
不登校になり、1年生の3学期には別室登校、2年生の頃には、特別支援学級の情緒級に入る。2年生の2月末から4月下旬まで閉鎖病棟に入院。
高校1年生の頃に、失恋のショックで、就労施設内の自分より重度障がいの人に執拗に構うことや、いじめることがあり、急な閉鎖病棟入院が決まる。
双極性人格障害(双極性気分障がい)と診断され、6月下旬から11月始めまで長期の入院をする。それ以降の入院経験はなし。
精神科は4週間に一度、定期通院中。祝日は1週間前倒し。今飲んでいる薬は、全て闘病垢自己紹介カードに書いてあります。
男性との性格の不一致により、人間関係がうまくいかなかった経験から、後天的にバイセクシャル、Xジェンダー両性を自覚。性的指向、性自認は両性。
現在はアラサー独身の引きこもりニートで、自身の人生や恋愛の経験を小説にしたり、自己啓発記事にしたりして発信している。
自分のように、障がい特性、性格の面、意思疎通の苦手さで、学習・就労・人間関係・恋愛などで苦労をするような人たちの力になるために活動中。
僕が閉鎖病棟に入院した経験
人生史小説の入院経験のシナリオを元に書いています。
初めての閉鎖病棟入院
中学2年生の2月末、入院することが決まりました。当時の自分は、少し嫌で、早く終わらせたかったので「早く行きたい」と言いました。
初めての入院は母から予告されていたので、持ち物や衣類など、準備をしっかりと整えてから、入院しました。
入院してすぐに、同じ部屋の女性たちが声をかけてきて、友好的な印象を抱きました。
部屋が近い、年上の10代の女性と仲良くなりました。統合失調症の人で、自身を「超能力者」と言っていました。趣味は勉強です。
同じ病棟には、他にも若い人も何人かいて、1歳年上の男子や、もうすぐ20歳で、アメリカ人ですが、日本育ちで日本人名を名乗っている女性。
車にやたらと詳しいADHDの男子小学生、入退院を繰り返している年上の女子学生がいました。
年齢が若い人や学生だけではなく、精神面の事情を抱えた、たくさんの老若男女の中で入院生活を送りました。
一見、精神的には問題なさそうな、白血病で10年も入院している年配女性もいました。
他は、認知症の年配女性や、お喋りが過ぎる年配女性、男性アイドルが好きな中年男性、アルコール依存症の30代女性が印象的でした。
自分は、若い学生たちのいじめの標的になりました。中学校の健常者からのいじめより、タチが悪いと思います。
入院患者はみんな精神障がいの自覚がないのか、認めたくないのかで「自分は障がいはない」と主張し、こっちのことを「発達障がい」と言います。
自分が初めての入院中に没頭したのは、創作漫画です。入院前から制作していたお話です。描いていたノートは、のちに断捨離のとき、破棄しました。
小学生時代に夢中で読んでいた少女漫画と、ほとんどの国民が知っている国民的アニメの漫画から「ロボットの友達」という着想を得ました。
起きている時間のうち、人と関わったり、寝たり食べたり、入浴したり、作業療法をしたりしている時間以外、ずっと漫画を描いて過ごしました。
学校で習った英語で漫画を描くこともあり、当時憧れていた、少女が伝説の戦士になるアニメのような内容に変わりました。
その憧れのアニメキャラクターのように、変身したり、世界中の問題を解決したりする創作をしました。
あるときは、毎日の入院生活で最も楽しみにしていたおやつの時間で、漫画を描くのに集中して忘れ、食い意地の面で損をすることもありました。

(Geminiさん生成写真)
閉鎖病棟で、かんしゃくを起こすと「観察室」という独房のような個室に入れられます。
そこでは、絵を描いたり、誰かとお喋りをしたり、作業療法に参加したりできず、看護師や介護士に助けを求められません。
収容された瞬間、意地でも落ち着こうと、急に静かになってしまいます。独りの時間は相当なストレスになりました。
閉鎖病棟では、開放感がなく、暖房や日差しが暑くても、飛び降り防止のためか、窓が固定されていて開けることができません。
ゲームも持ち込めないし、インターネットもできないです。大好きなおもちゃも持ち込めません。携帯もだめです。娯楽がテレビしかないです。
かなり自由が奪われ、かんしゃくやパニックの状態になると、観察室に入れられ、人によっては手足拘束や病棟の異動をされます。
「双極性気分障がい」の診断で入院
同じ就労施設・高校の男子と出会って、すぐに交際に発展し、4週間で配慮のない振られ方をして失恋しました。
同じ就労施設にいる元恋人以外の無関係の人をも傷つけるような言動をしました。執拗に構う・話しかけることや、いじめる行為をしました。
自分の存在意義もわからず、タオルで首を締める、壁に頭を打ちつけるといった行動をすることから、精神状態はとても悪かったです。
高校1年生の6月下旬、隣の市の山奥にある病院へ定期通院しました。最初の入院先と同じ病院です。診察すると、急な入院が決まりました。
「双極性人格障がい(双極性気分障がい)」と診断名がつきました。「躁うつ病」とも呼ばれる精神障がいで「二次障がい」です。
気分が極端に高揚する躁状態と、落ち込んでしまううつ状態を繰り返す特徴がある精神疾患です。
自覚症状は、小学校高学年の頃、通学に苦を感じ始めたときか、中学1年生で不登校になったときからあったと思います。
発達障がいを始め、精神障がいは一度罹患すると治らず、症状を薬や作業療法で症状を和らげることは可能です。
二次障がいは、その後の人生で、どれほど執拗に自分を追い詰め、周囲との深い溝を作ることになるのか、当時の僕はまだ知る由もありませんでした。
中学2年生の頃の入院とは違い、予告なしで入院生活が始まったため、自分は診察室でかんしゃくを起こしました。
観察室に収容されました。リュックサックを追い剥ぎのように、尊厳ごと剥ぎ取られるようでした。持ち物の一部は家族に返却されました。
母もまさか入院が決まるとは思っておらず、大急ぎで衣類や生活用品の準備をしました。入ったばかりの医療保険がおりました。
観察室から出ると、長年入院している白血病の女性に声をかけました。前に入院していたときに知り合った、1歳年上の男子もいました。
他のお年寄りたちも何人か覚えていました。当時と状態が変わっているお年寄りもいて、統合失調症で入院していた10代の女性もまだいました。
在学中の高校は週末に登校する通信制高校で、入院した日の週末の夜に「院外に出て、学校に行きたい」と職員に話すと、観察室に入れられました。
学費を払って、しっかり3年で卒業したかった自分は、お金と時間を無駄にすることに非常に納得できませんでした。
6月下旬に入院を開始し、入院生活前半は観察室でずっと過ごしていました。マットレスの上で寝たきりで、食事やトイレのときは起き上がります。
ずっと寝たきりで過ごしていたせいか、観察室から病室への解放の時間では、椅子に座っているだけでも体力が消耗されます。
病室で、まともに自由な時間を楽しむことができませんでした。主治医に、観察室への縫いぐるみの持ち込みが許可されました。
観察室での出来事が、第8章の伏線になっていたり、院外外泊で症状が改善されていないことを母に指摘されたりしました。
自分の感じたことを施設の支援員にメールしようとし、母に内容を確認され「統合失調症みたい」と言われ、医者に話がいったこともありました。
院外外泊後、しばらくしてから、観察室で過ごさなくなり、他の患者さんとの交流がありました。

(Geminiさん生成写真)
病室やデイルームで過ごし、食事をしたり、作業療法に参加したり、小学生と一緒に面白いテレビを観たりして過ごしました。
小学生から高校生の若い人も、前回の入院とは違う顔ぶれの人が何人かいました。やはり、小学生は、自分を見下すことがありました。
ウケ狙いで喋ったことは「面白くないです」と言い、別の男子小学生は「辻川」と呼び捨てで呼ぶことがありました。
自分の知っている雑学や知識の情報で、噓を言って常識を曲げてきました。事実を話したつもりなのに否定され、少し騒いでしまいました。
入院生活中に誕生日を過ごし、誕生日が近いとき、やっと退院が決まり、退院日は11月の第一日曜日でした。
なかなか退院の話がなかったため、信じられず、自分の頬を引っ叩いて現実かどうかを確かめました。
入院生活中、夢中で取り組んでいたことは、モンスターのゲームの二次創作で、理想の恋愛の物語を書いていたことです。
青汁や黒酢の飲料を飲んで、運動は特にせず、体重を減らそうとしたこともありました。そのとき、他の飲料は受け付けませんでした。
創作物語は、普通の精神状態で書いたものではなく、失恋の深い傷を負っていたときに書いた恋愛創作です。
失恋の傷が瘉えた頃には、見たくなくなり、書いていたノートを破棄しました。青汁や黒酢を飲んでいた頃は、体重は一時的に減りました。
ダイエットとは言えない程度の体重の減少具合で、退院したら元の体重に戻ったどころか、かなり増えました。
まとめ 閉鎖病棟入院を振り返って
閉鎖病棟は、自由に外出できず、趣味などの好きなことが制限されます。閉鎖された病棟なので、医師の許可が降りないと、外出もできません。
自傷行為防止のため、鏡や陶器の食器といった割れ物、ハサミやカッターなどの刃物、ベルト、服や靴の紐は持ち込めません。
閉鎖病棟に入院すると、若い人たちがいじめてくるし、好きなゲームやパソコン、おもちゃで遊ぶこともできません。
精神障がいの治療のはずなのに「服薬の調整のため」と言って、若者の学習の機会や遊ぶことを制限します。
余計に精神が削られ「治療」というより「我慢」を強いられ、他の患者さんや医療スタッフから、理不尽な扱いをうけます。
なので、閉鎖病棟への入院は、あまり症状は良くならくて、かえって悪化させていると思います。
服薬の調整なら、通院回数を増やしたり、医師の監督機会を多くしたりすれば、入院以外でもできるのでは?と自分は思います。
急な入院も、ASDの人はイレギュラーなことが非常に苦手です。自分も相当納得できず、入院ではなく、医師の監督がある生活でいいと言いました。
状態の悪い精神障がい者なら、大騒ぎ(かんしゃく・パニック)をすることは避けられません。
自分の感情のまま、騒ぐことに夢中で、気づいたら、無理やり病棟に連れて行かれて、入院生活が始まりました。
精神障がいの当事者目線からは、僕の経験した閉鎖病棟入院での出来事は「精神障がい者のためにはならない」と言えます。
看護師や介護士たちの対応も、患者さんに恐怖感を与えないよう、定期的な研修の機会を増やして、もっと教育し直してほしいです。
閉鎖病棟への入院の他に、いい方法があれば、我慢を強いられること、ストレスがなく、症状が改善するはずです。
最後に
今年の1月に入り、年末からの腹痛で救急外来へ行き、心が病んでしまい、人生のどん底に突き落とされました。
恋愛がうまくいかなかったこと、高校生から進学や就職を反対され、夢を捨ててきたこと、将来の目標のことなど、全てのことが不安になりました。
今年に入ってからの精神状態は、初代恋人に振られた2度目の入院より、悪い状態で「人生一落ちこんだこと」が塗り替えられました。
なので、入院するのが妥当だと自分で思いました。学生時代の2度の入院時よりも落ち込み、精神的に生死を彷徨いました。
本当に生きる希望を失い、今年は2回も「消えてやりたい」と思い、同居家族や相談相手には感情的になって言葉をぶつけてしまいました。
当時入院していた病院から、高校3年生の頃に、市内の自力で通院できる精神病院に転院しました。
その病院にある病棟は、噂によると、老人ホームと化しているようで、いじめるような若年層の人はいないと思います。

(Geminiさん生成写真)
僕が「入院するのが妥当」だと感じたのは、あんなに自由を縛ってまでも、状態を良くしたいと思った、苦肉の策です。
過去2回の入院のときと、現在では、家庭の経済状況が大きく異なり、家族に入院はしないように言われました。
「きっと本当の悲しみなんて自分ひとりで癒すもの」という名曲の歌詞を胸に、自愛をがんばりました。
つらくて苦しくて、何事もうまくいかなすぎる僕の人生・恋愛経験を、小説や自己啓発記事にしようと思いました。
今回は、小説のシナリオをベースに編集しました。小説のネタというより、小説の予告的な感じと、ちょっとした啓発の記事に仕上げました。
本当に、自分みたいな、障がいでつらくて苦しんで傷つく人を減らしたくて、学校や就労支援施設での経験を小説や啓発記事にして訴えています。
精神医学に従事している方へ、精神疾患の症状を改善するのに、閉鎖病棟にぶち込むことは、本当に精神疾患のある人にとっていいことですか?
特に、学生の学習の機会を奪い、好きなインターネットやゲーム、趣味などができなくて、我慢を強いられることが改善に繋がると思いますか?
苦しんでいる障がい者を増やさないように、もっといい方法を考えてください。精神障がいの治療法を根本的に見直してください。
僕は学生時代の閉鎖病棟に入院してつらかった経験、もう二度と同じようなことが起きてほしくないです。
今回の記事は、涙を流しながら編集しました。この涙を無駄にしてほしくないです。お願いだから、これ以上不幸な精神障がい者を増やさないで。

